8話:王女の休息①〜服選び〜
ホテルを離れて、しばらく――。
夜の星峰市を零たちは三人並んで歩いていた。
零と鈴華は、パーティー会場から出てきた時と変わらない制服姿。
そして二人の間を歩いているのは――鈴華の幻影魔法によって、影山の姿へ変わったアイリスだった。
大通りに並ぶ街灯や店の明かりが、三人の足元を次々と照らしていく。
零は気の抜けた様子で歩きながら、ときおりショーウィンドウへ目を向けていた。
ガラスへ映る背後の人影や、通り過ぎる車。
ホテルを出た時に感じた視線を警戒していたが、今のところ尾行してくる気配はない。
「……先に服だな」
不意に零が足元から視線を上げた。
「服、ですか?」
アイリスが影山の姿のまま、不思議そうに首を傾げる。
「ああ。白河、その幻、あとどれくらい保つ?」
「私が近くにいる間は、このまま維持できます」
鈴華は、アイリスを包んでいる魔力の流れを確かめるように、その全身へ視線を巡らせた。
「ただ、ずっと魔力を使い続けることになります。できれば、早めに解いた方がいいですね」
「だよな。いつまでも影山の顔で歩かせるのも変だし」
零が何でもないことのように言う。
アイリスは影山の姿をした自分を見下ろし、困ったように微笑んだ。
「魔法を解けば、私はまたドレス姿に戻ってしまうのですね」
「そういうこと。夜の街でその格好は目立ちすぎるだろ」
腰まで伸びた金色の髪、琥珀色の瞳、そして、パーティーのために用意された華やかなドレス。
そんな格好で夜の街を歩いていれば、嫌でも人目を引く。
「どこかで着替えを買いましょう」
鈴華の提案に零も頷いた。
「だな。まだ開いてる店があればいいけど」
すでに夜も遅い。
シャッターを下ろしている店も増えていたが、星峰市の中心街だけあって、明かりを残している店はいくつかあった。
「それと――」
零は何かを思い出したように、鈴華へ顔を戻した。
「外じゃ『王女様』も『アイリス様』もなしな。姿を隠してんのに、呼び方でばれたら笑えねぇだろ」
「あ……そうでした」
鈴華は申し訳なさそうにアイリスへ目を向ける。
「だったら、白河も『アイリス姉』でいいだろ」
「い、いきなりそれは……」
鈴華は困ったように眉を下げた。
身分を隠しているとはいえ、相手は一国の王女だ。零のように気軽に「アイリス姉」と呼ぶことなど、真面目な鈴華にはできそうになかった。
「私は構いませんよ? 鈴華さんにもそう呼んでいただけたら、嬉しいです」
アイリスは気を悪くした様子もなく、柔らかく目を細める。
それでも、いきなりそこまで親しげな呼び方をするのは、鈴華には少しハードルが高かった。
「では……『アイリスさん』とお呼びしてもよろしいですか?」
「はい。ぜひ、そう呼んでください」
アイリスは、むしろ嬉しそうに微笑んだ。
「なんだか、本当に普通の友人として遊びに来たみたいです」
王女に対する敬称を外しただけ。
それでもアイリスにとっては、王族ではない一人の少女へ近づけたように思えたのかもしれない。
その言葉に鈴華も笑みを返したが、ふと何かを思い出したようにホテルを振り返る。
「そういえば……影山くんは大丈夫でしょうか?」
アイリスの身代わりとして、ホテルの部屋へ残った影山そして幻影魔法を効果切れをしている。
レオンたちがそばにいるとはいえ、危険な役目を任せてきたことに変わりはない。
「まあ、大丈夫だろ」
零も一度だけ、ホテルの方角へ目を向けた。
「レオン伯爵が何とかしてくれるよ」
そう答える零の口調は、いつもどおり気楽なものだった。
けれど、鈴華には何の根拠もなく楽観視しているようには見えなかった。
その黄金色の瞳には、影山なら任された役目を果たせるという、確かな信頼が滲んでいた。
「……そうですね」
鈴華も安心したように頷いた。
「あっ、黒神くん」
鈴華が少し先へ顔を向け、通りに面した一軒の店を指差した。
「あそこ、まだ開いていますよ」
視線の先には、明るい照明に照らされたファッションショップがあった。
「お、ちょうどいいじゃん」
零は迷うことなく進路を変える。
「じゃ、行くか」
「はい」
鈴華がその隣へ並ぶ。
アイリスも店を興味深そうに見上げながら、二人のあとへ続いた。
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「わぁ……」
店へ入った瞬間、アイリスが感嘆の声を漏らした。
白い照明に満たされた広いフロアには、ブラウスやスカート、ワンピースなど、色も形も異なる服が並んでいる。
静かに流れる音楽と、「いらっしゃいませ」という店員の声が三人を迎えた。
夜も遅いため、店内に残っている客は少ない。
三人へ注意を向ける者もいなかった。
「こういうお店へ、自分で入るのは初めてです」
「そうなのですか?」
鈴華が驚いて尋ねる。
アイリスは店内へ視線を巡らせたまま、小さく頷いた。
「はい。普段着る服も、ほとんど王宮で用意していただいていましたから」
王族である彼女が身につけるものは、王宮の人間によって用意されたものがほとんどだった。
自分で店へ来て、自分の目で見て、自分が着たいと思った服を選ぶ。
そんな当たり前の経験さえ、アイリスにとっては新鮮だった。
「でしたら――」
鈴華は近くに並んでいた一着を手に取り、アイリスへ振り返った。
「今日は、アイリスさんが着たい服を選びましょう」
「私が、着たい服を……ですか?」
「はい。今日は立場を忘れて、遊びに来たのですから」
鈴華は安心させるように、にこやかに頷いた。
アイリスは一度目を瞬かせ、改めて店内に並ぶ服を見回す。
やがて、その表情が柔らかく綻んでいった。
「……そうですね。では、一緒に選んでいただけますか?」
「もちろんです」
そこから、二人の服選びが始まった。
「アイリスさん、こちらはいかがでしょう?」
「綺麗ですね。袖の形も素敵です」
鈴華が選んだブラウスを、アイリスは興味深そうに覗き込む。
「こちらのスカートと合わせてもよさそうです」
今度は別の棚からスカートを取り出し、アイリスの身体へ合わせるように掲げた。
少し離れて全体の釣り合いを確かめると、鈴華は満足そうに頷く。
「はい。きっとお似合いになります」
「本当ですか?」
アイリスの声が嬉しそうに弾む。
「ええ。ただ、こちらの色も捨てがたいですね……」
鈴華の視線が、すぐ隣に掛けられている服へ移った。
「こちらは、先ほどのものより少し可愛らしい印象になります」
「わぁ……こちらも素敵ですね」
アイリスもすぐに興味を示し、鈴華と並んで服を見比べる。
最初こそ物珍しそうに眺めているだけだったが、やがて自分から棚の間を歩き始めた。
「鈴華さん。こちらは、どうでしょう?」
アイリスが一着のスカートを手に取り、鈴華へ見せる。
「いいですね。それなら、こちらのブラウスと合わせてみませんか?」
「ええ。とてもよく合いそうです」
二人の声が、少しずつ弾んでいく。
服選びを楽しみながらも、鈴華は幻影に綻びが生じないよう、アイリスへ魔力を送り続けていた。
「…………」
その少し離れた場所で、零は二人の様子を眺めていた。
ただ着替えを一着買うだけ。
そのつもりで店へ入ったはずなのだが、二人が手に取る服は少しずつ増えている。
「……これ、今日中に決まるか?」
零は小さく呟いた。
それでも、楽しそうに服を見比べるアイリスを急かす気にはなれない。
零は苦笑しながら、近くの壁へ背中を預けた。
それから、しばらくして――。
「あっ」
鈴華が、一着のブラウスの前で足を止めた。
「アイリスさん。こちらはいかがでしょう?」
「わぁ……」
鈴華が手に取ったのは、白を基調とした長袖のブラウスだった。
襟元や袖には繊細なレースがあしらわれ、胸元には濃い色の細いリボンが添えられている。
華やかすぎることはない。
それでいて、どこか上品さを感じさせる一着だった。
「可愛い……」
アイリスの口から、素直な感想が零れる。
「ですよね」
鈴華も嬉しそうに目を細めると、近くに並んでいた淡いラベンダー色のロングスカートを手に取った。
白いブラウスと並べ、アイリスの身体へ合わせてみる。
「このスカートと合わせれば、落ち着いた印象になります。アイリスさんに、とてもよく似合うと思います」
「素敵ですね……」
アイリスは二着を受け取り、自分の身体へ合わせながら鏡を覗き込んだ。
王宮で身につけている格式高いドレスとは、まるで違う。
けれど、鏡に映る組み合わせを見つめるうちに、その琥珀色の瞳が嬉しそうに輝き始めた。
「私、これを着てみたいです」
その声には、先ほどまでにはなかった弾んだ響きがあった。
「はい。きっとお似合いになります」
「では、着替えてきますね」
「ここで待っています」
アイリスは選んだ服を大切そうに抱え、そのまま店の奥にある試着室へ向かった。
カーテンの向こうへ入ったことを確かめ、鈴華が声を掛ける。
「アイリスさん。魔法を解きますね」
「お願いします」
鈴華が試着室へ向けていた魔力を静かに解く。
カーテンの向こうで、影山の姿を形作っていた幻影が淡い光となって消え、本来のアイリスの姿が戻った。




