第八章 「灯台へ続く階段」
第八章
「灯台へ続く階段」
夕方の海は、 昼より少しだけ青が深くなる。
湊は灯台へ続く坂道を歩いていた。
細い道。
古いガードレール。
脇に咲いた菜の花。
高校時代、 何度も通った道なのに、 十年ぶりに歩くと妙に長く感じる。
灯台は岬の先にある。
白い小さな灯台。
観光地というほど有名でもなく、 地元の人間が散歩に来るくらいの場所。
でも、 夕陽だけは綺麗だった。
階段を上がると、 先にレモナがいた。
灯台の柵にもたれて、 海を見ている。
風で髪が揺れていた。
湊に気づくと、 軽く手を上げる。
「おっそ」
「十分前やぞ」
「待った側は一時間感覚なんよ」
「理不尽」
レモナは笑う。
その笑顔を見て、 湊は少し安心する。
昼間、 真白と話したことを、 どこか引きずっていたから。
二人で並んで海を見る。
夕焼けが、 水面をオレンジ色に染めていた。
遠くをフェリーが横切る。
静かだった。
でも、 気まずくはない。
それが逆に危ない気がする。
昔より、 自然に一緒にいられてしまう。
レモナが、 缶ジュースを差し出す。
「はい」
「ありがと」
「レモンスカッシュしかなかった」
「お前ほんまレモン好きやな」
「島の義務教育だから」
缶を開ける。
炭酸の音。 潮風。 夕暮れ。
あの頃の続きを、 間違ってもう一度始めてしまいそうだった。
だから余計に、 少し苦しくなる。
レモナがぽつりと言う。
「高城さんと、 何話したの?」
まっすぐな質問だった。
湊は少し迷う。
でも、 隠しても仕方ない気がした。
「……戻ってこないかって」
レモナの視線が、 海へ向く。
「そっか」
短い返事。
でも、 その一言の中に、 いろんな感情が混ざっている気がした。
「湊は、 戻りたいの?」
風が吹く。
灯台の金属が、 小さく鳴る。
湊は缶を握る。
「わからん」
また、 同じ答えだった。
最近、 そればかり言っている。
レモナは苦笑する。
「便利な言葉だね、それ」
「……悪い」
「別に責めてない」
沈黙。
波の音だけが聞こえる。
高校時代なら、 この沈黙に耐えられなかった。
でも今は。
言葉にしない感情の方が、 ずっと多い。
レモナは灯台を見上げる。
「私さ」
「ん?」
「昔、 ここで告白されそうになったことある」
湊の心臓が止まりそうになる。
「……え」
「高校二年の時」
その瞬間、 湊の喉がひりついた。
レモナは少し笑う。
「でもその人、 結局なんも言わんかった」
——ああ。
湊は、 ようやく気づく。
その横顔を見て、
自分のことだ。
言えなかった。
結局。
あの日も。
この場所で。
湊は息を飲む。
レモナは海を見たまま続ける。
「ずっと、 何言うんだろって待ってた」
夕陽が、 彼女の横顔を染める。
「でも、 来なかった」
湊は何も言えない。
言い訳なら、 いくらでもできる。
怖かった。
若かった。
壊したくなかった。
“優しさ”みたいな顔をして、 一番楽な場所にいただけだった。
レモナは笑う。
少しだけ寂しそうに。
「だからさ」
風が吹く。
レモン色の夕陽が、 海に溶けていく。
「“途中”って、 結構しんどいよ」
「終わってないって、 ずっと期待してしまうから」 その言葉が、 胸の奥へ静かに沈む。
湊は、 ようやくわかった気がした。
自分はずっと、 選ばないことで、 誰も傷つけていないつもりだった。
でも本当は。
宙ぶらりんのまま、 一番長く傷つけていたのかもしれない。
灯台の明かりが、 ゆっくり点き始める。
夜が来る。
レモナは小さく息を吐いた。
「……なんかごめん。 変な空気にした」
「いや」
湊は、 無意識に口を開いていた。
「俺、 ずっと後悔しとった」
レモナの目が、 少しだけ見開く。
潮風が吹く。
逃げたら、 また同じになる。
そう思った。
「卒業式の日、 ちゃんと言えばよかったって」
声が震える。
情けないくらい。
でも、 止められなかった。
レモナは黙って聞いている。
「怖かった」
湊は笑う。
「断られるんじゃなくて、 本当にうまくいくのが」
レモナが、 少しだけ泣きそうな顔をした。
夕焼けが、 ゆっくり夜に変わっていく。
その時だった。
湊のスマホが震える。
画面には、 真白の名前。
画面の中で、 “真白”の名前が静かに光っている。
湊は、すぐに通話ボタンを押せなかった…。 第九章へ続く。




