第五十七章 「映っていたもの」
第五十七章
「映っていたもの」
会場は静かだった。
スクリーンの光だけが、 暗い公民館の中を照らしている。
誰も話さない。
誰もスマホを見ない。
ただ映像を見つめていた。
港の朝。
レモン畑。
漁港。
商店街。
学校帰りの子どもたち。
夕暮れの海。
どれも見慣れた景色だった。
なのに。
なぜか違って見える。
島の人たちは少し不思議な気持ちになっていた。
毎日見ていた。
毎日通っていた。
毎日顔を合わせていた。
それなのに。
スクリーンの中の島は、
少しだけ知らない島に見えた。
それなのに。
こんなに綺麗だっただろうか。
こんなに優しかっただろうか。
こんなに大切だっただろうか。
スクリーンの中で。
港のおっちゃんが笑っている。
客席から声が上がる。
「あ、わしじゃ」
小さな笑い。
会場の空気が少し柔らかくなる。
その次には。
商店街のおばちゃん。
高校生たち。
漁師たち。
みんなが映る。
特別な人はいない。
有名人もいない。
ヒーローもいない。
ただ。
この島で生きている人たち。
それだけだった。
でも。
それが良かった。
映像はゆっくり進む。
春。
夏。
秋。
冬。
季節が流れていく。
そして。
再び春。
島の時間そのものだった。
後方の席で。
真白はスクリーンを見つめていた。
編集作業で何十回も見た映像。
内容は知っている。
展開も知っている。
それでも。
今日は違った。
客席の反応がある。
笑い。
驚き。
沈黙。
涙。
映像は完成していた。
けれど。
作品は今、
初めて観客の中で完成した気がした。
真白はそう思った。
その時だった。
スクリーンに一人の女性が映る。
『nagi』。
カウンター。
コーヒーを淹れているレモナ。
窓際で笑う姿。
厨房で試作を繰り返す姿。
店を閉めた後。
一人で帳簿をつける姿。
客席のレモナが少し驚く。
「え」
撮られていたことを知らなかった。
映像の中の自分は。
思ったよりずっと真剣だった。
思ったよりずっと必死だった。
そして。
思ったより楽しそうだった。
レモナは目を伏せる。
少し照れ臭かった。
でも。
嬉しかった。
湊が見ていてくれたことが。
自分でも気づかなかった自分を。 湊はちゃんと見ていてくれた。 スクリーンの中で。
ナレーションが流れる。
それは上映会のために最後に入れた言葉だった。
湊の声。
静かな声。
少し照れたような声。
「人は、変わる。」
会場が静かになる。
「島も変わる。」
フェリーが離れていく。
シャッターの閉じた店。
人のいなくなった家。
映像が映る。
初めて。
島の現実が映し出される。
若者が減っていること。
店がなくなっていること。
フェリーが減便されたこと。
みんな知っている。
知っているけれど。
改めて見ると胸が痛かった。
「残る人もいる。」
映像は続く。
レモン農家。
漁師。
商店街の人たち。
『nagi』。
そして。
「出ていく人もいる。」
卒業フェリー。
旅立つ高校生たち。
春の港。
白い航跡。
誰かが鼻をすする音が聞こえた。
「どちらも間違いじゃない。」
真白は顔を上げる。
スクリーンには海。
春の海。
そして。
「大事なのは。」
少し間が空く。
会場全体が息を止める。
「どこにいるかじゃなくて。」
海が光る。
レモン畑が風に揺れる。
『nagi』の窓から春の海が見える。
「何を大切にして生きるかだと思う。」
静寂。
長い静寂。
誰も動かなかった。
誰も言葉を発しなかった。
ただ。
その言葉を受け取っていた。
スクリーンには。
春の港が映っている。
一年前。
湊が帰ってきた港。
そして今。
春を迎える港。
映像は終盤へ向かう。
会場の誰もが気づいていた。
これは島の映像ではない。
誰かの人生の話だった。
迷って。
立ち止まって。
選んで。
また歩き出す。
そんな物語だった。
そして。
スクリーンには、
まだ誰も知らない最後の春が映ろうとしていた。 第五十八章へ続く。




