第五十五章 「上映会の前夜」
第五十五章
「上映会の前夜」
上映会まで、あと一日。
島はどこか落ち着かなかった。
祭りの前日みたいな空気だった。
商店街では、
「明日何時からじゃった?」
という声が飛び交い、
港では漁師たちが
「わし映っとったらどうする」
と笑っている。
高校生たちはSNSで宣伝を始め、
公民館では椅子を並べる作業が続いていた。
朝から湊も手伝いに出ていた。
上映機材の確認。
スクリーン設置。
音響チェック。
配線確認。
やることは山ほどある。
「監督!」
高校生の一人が呼ぶ。
「監督ちゃう」
「じゃあ映像作った人!」
長い。
周囲が笑う。
湊も苦笑した。
こうして笑われるのも、 悪くないと思った。
昼過ぎ。
公民館。
スクリーンの前に立つ。
まだ真っ白な布。
明日になれば。
ここに島が映る。
港が映る。
海が映る。
レモン畑が映る。
そして。
島の人たち自身が映る。
そのことを考えると、 少しだけ緊張した。
その時。
後ろから声がした。
「顔、固い」
レモナだった。
両手に段ボール箱を抱えている。
「何それ」
「差し入れ」
中にはコーヒー。
焼き菓子。
紙コップ。
準備スタッフ用だった。
「店大丈夫なん」
「今日は早めに閉めた」
当然みたいに言う。
上映会は、 もう島全体の行事になっていた。
二人で椅子を並べる。
少し沈黙。
昔なら気まずかったかもしれない。
今は違う。
無理に話さなくてもいい。
その時間が心地よかった。
レモナが言う。
「覚えとる?」
「何を」
「高校の文化祭」
湊は笑う。
覚えている。
二人とも実行委員だった。
前日準備で遅くまで残った。
体育館で。
椅子を並べながら。
将来の話をした。
東京へ行きたいと言った自分。
島を出る気はないと言ったレモナ。
今思えば。
あの頃から、 少しずつ違う道を見ていた。
それでも。
不思議と同じ場所へ戻ってきた。
レモナも思い出したように笑う。
「若かったな」
「まだ若い」
「いや、あの頃は無敵じゃった」
それは少し分かる気がした。
未来は何でもできると思っていた。
夢は叶うと思っていた。
好きな人とは、 当たり前に未来が続くと思っていた。
現実は違った。
失敗した。遠回りもした。
傷ついた。傷つけた。
だからこそ。
今ここにいる。
そのこともまた事実だった。
夕方。
準備はほぼ終わった。
スクリーン、椅子、音響、受付。
全部整った。
人が帰り始める。
夕陽が窓から差し込む。
公民館の中がオレンジ色になる。
最後に残ったのは。
湊とレモナだけだった。
静かだった。
遠くでカモメの声が聞こえる。
レモナはスクリーンを見る。
「明日やね」
「うん」
短い返事。
その一言に一年分の時間が詰まっている気がした。
湊は白いスクリーンを見上げる。
ここから始まった。
いや、本当はもっと前から始まっていた。
東京で壊れかけた日。
島へ帰った日。
レモナと再会した日。
迷った日。
選んだ日。
全部繋がっている。
レモナが小さく言う。
「楽しみ」
それは上映会だけじゃなかった。
湊は頷く。
自分も楽しみだった。
もちろん怖さもある。
それ以上に、見てもらいたかった。
この島に。
この人たちに。
そして。
レモナに。
公民館を出る。
空には春の星が見えていた。
風はまだ少し冷たい。
でも冬の風ではない。
春の風だった。
上映会まで。
あと一日。
それぞれが歩いてきた道が、 明日ひとつの場所で重なろうとしていた。
そして。
明日。
春が来る 第五十六章へ続く。




