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第五十二章 「春が来る上映会」

第五十二章

「春が来る上映会」

三月下旬。

島の桜が咲き始めた。

満開にはまだ少し早い。

それでも港へ続く道は、 うっすらと春色になっていた。

潮風に揺れる桜の向こうを、白いフェリーがゆっくり港へ入ってくる。 青い海は春の光を受けて柔らかく輝いていた。

その景色は、 どこか映画のワンシーンみたいだった。

『nagi』の店内。

レモナは頭を抱えていた。

目の前には紙。

色鉛筆。

マジックペン。

そして大量の失敗作。

「ダサい……」

自分で言う。

上映会のポスターだった。

《島の上映会開催!》

と書いてみた。

違う。

《朝倉湊監督作品上映》

もっと違う。

《春の映像上映会》

味気ない。

「なんなんもう……」

レモナは机に突っ伏した。

その時。

ドアベルが鳴る。

《カラン》

航平だった。

「何しよるん」

「苦しんどる」

「そりゃ、見たら分かる」

航平は紙を覗き込む。

数秒。

そして吹き出した。

「ぷっ!」「これは、ダサいな」

「知っとる!」

即答だった。

レモナは紙を丸めて投げる。

航平は避ける。

昔から反射神経だけは良かった。

「お前やれ」

「嫌や」

即答。

本当に役に立たない。

だが。

航平は少し考えてから言った。

「映像の名前は?」

レモナは首を振る。

「まだ決まっとらんらしい」

実際には仮タイトルはある。

でも湊は最後まで悩んでいる。

その理由も何となく分かる。

この映像は。

島の話であり。

人生の話であり。

帰る場所の話でもある。

一言では表せない。

だから難しい。

航平は窓の外を見る。

港、桜、春。

そしてぽつりと言った。

「別に映画の名前いらんやろ」

レモナは顔を上げる。

「え?」

「上映会の名前にしたらええ」

「上映会の?」

航平は頷く。

そして。

「春が来る上映会」

航平は照れ隠しのように言った。

レモナはその言葉を頭の中で繰り返す。

春が来る。

店内が少しだけ静かになった。

誰も何も言わない。

けれど、その言葉だけが不思議と残った。

レモナは窓の外を見る。

春の港。

桜、風。

そして。

思う。

ああ…それだ。

この恋もまた、春から始まった。

再会の春、選択の春、旅立ちの春、帰る春。

全部、春だった。

「それ!採用」

レモナは即決した。

航平は少し驚く。

「早!」

「今ので決まった」

「俺著作権料もらえる?」

「コーヒー一杯」

「安っ」

「文句言うなら無し」

「……じゃあそれで」

安かった。

午後。

ポスター作りが始まる。

高校生たちも手伝いに来る。

卒業したばかりの子たち。

進学までの短い時間。

みんな楽しそうだった。

色を塗る、文字を書く。

笑う、騒ぐ。

気づけば店内が文化祭みたいになっていた。

完成したポスターには。

大きな文字。

『春が来る上映会』

その下に。

小さく。

「朝倉湊 映像作品上映」

開催場所。

日時。

そして。

《入場無料》

誰でも歓迎。

そんな言葉も添えられた。

夕方。

完成したポスターを港の掲示板へ貼る。

風が吹くと、紙が少し揺れる。

その瞬間。

通りかかった松本のおばあちゃんが言った。

「楽しみじゃねぇ」

松本のおばあちゃんはポスターを見上げて、まるで遠足を待つ子どものように笑った。   その一言で。

レモナは嬉しくなった。

まだ上映会は始まっていない。

湊も帰ってきていない。

映像も見ていない。

もう始まっている気がした。

誰かが楽しみにしている。

誰かが待っている。

その気持ちが少しずつ広がっている。

夜。

東京。

仕事を終えた湊のスマホに写真が届く。

港の掲示板。

貼られたポスター。

『春が来る上映会』

その文字を見た瞬間。

湊はしばらく動けなかった。

春が来る。

その言葉は。

上映会の名前であり。

島の今であり。

自分自身のことでもあった。

そして。

湊が帰る日まで、あと少し。

島ではもう、誰もがその日を待っていた。

もちろん――レモナも。           第五十三章へ続く。

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