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第五章 「東京の匂いを連れてきた人」

第五章

「東京の匂いを連れてきた人」

店の中の空気が、 少しだけ変わった。

潮とコーヒーの匂いの中に、

真白だけが、場違いなくらい都会だった。

整いすぎたスーツ。 革靴の音。 隙のない姿勢。

この島にはない速度を、 高城真白はまとっていた。

「……久しぶり」

真白が言う。

相変わらず、 感情を大きく見せない声だった。

湊は立ったまま、 うまく返事ができない。

「なんでここに…?」

「仕事」

短い。

それが真白らしい。

レモナが、 二人を交互に見る。

「知り合い?」

「ああ、うん……東京で一緒に働いてた人」

「高城真白です」

真白は軽く頭を下げる。

仕草が綺麗だった。

レモナも笑顔を返す。

「柚木レモナです。あ、どうぞ、好きな席どうぞ」

その笑顔は自然だった。

でも湊にはわかる。

少しだけ、 声がよそ行きになっている。

真白は窓際から少し離れた席へ座った。

「えっと…ブレンドください」

「はい」

レモナがカウンターへ戻る。

その背中を見ながら、 湊は変な汗をかいていた。

東京と島。

過去と今。

急に、 二つの世界が同じ場所に重なった気がした。

真白が口を開く。

「連絡、 返してくれなかったから」   

責める言い方ではない。

でも、 その静けさが逆に痛い。

「……」                湊は目を逸らす。

退職してから、 会社の人間とはほとんど連絡を絶っていた。

真白からも何件か来ていた。

心配するメッセージ。

短い確認。

最後のメッセージは、『生きてますか』 だった。

それにも返せなかった。

「……悪い」

「別に」

真白はそう言って、 店の内装を見回す。

「朝倉さん、 こういう場所好きそう」

「……そう見える?」

「見るからに」

少しだけ、 昔みたいに笑う。

東京では、 二人は深夜まで編集室に残ることが多かった。

終電後のコンビニ飯。

仮眠室。

モニターの光。

モニターの光に照らされた真白の横顔を、

ふと思い出す。

あの頃、 自分もたぶん同じ顔をしていた。

レモナがコーヒーを運ぶ。

「お待たせしました」

「ありがとうございます」

真白はカップを持つ。

「美味しい」

一口でそう言った。

社交辞令じゃない声だった。

レモナは少し嬉しそうに笑う。

「レモンケーキも人気ですよ」

「美味しそう…じゃあそれも」

「はい」

二人の会話を聞きながら、 湊は妙な居心地の悪さを感じていた。

どちらも大事な人なのに。

二つの人生が、 同じ空間にいる違和感。

真白が、 ふと窓の外を見る。

「綺麗ですね、海」

レモナが頷く。

「毎日見てると慣れますけどね」

「贅沢ですね」

「東京の人、みんなそう言んですよ」

その瞬間。

レモナの視線が、 ほんの少しだけ湊へ向く。

“東京の人”。

その言葉に、 自分が含まれている気がして、 湊は胸がざわついた。

真白は静かに言う。

「朝倉さん、 戻る気あります?」

直球だった。

レモナの手が、 ほんの少し止まる。

湊は答えに詰まる。

戻る。

東京へ。

編集。 企画。 締切。

あの生活へ。

以前なら、 迷わず戻らなきゃと思っていた。

夢の途中だったから。

でも今は。

窓の外の海を見てしまう。

潮風に揺れる旗。

静かなフェリー。

レモンの匂い。

レモナのいる店。

真白は、 そんな湊を見ていた。

「……まだ、 決めてない」

やっとそれだけ言う。

真白は小さく頷いた。

「そっか」

責めない。

無理に引き戻さない。

それが逆に、 胸に刺さる。

レモナが、 空気を変えるみたいに笑った。

「東京ってやっぱすごい忙しいんですか?」

「忙しいですね」

真白は少し考える。

「でも、 慣れると静かな場所の方が落ち着かなくなります」

「へぇ」

「音がないと、 逆に不安になる」

その言葉に、 湊はドキッとした。

まるで、 今の自分のことを言われたみたいだった。

静かな部屋で眠れない夜。

通知が来ないスマホ。

急に取り残される感覚。

真白は、 たぶん全部わかっている。

東京で、 同じ場所にいたから。

その時だった。

店の外で、 子供たちの声が響く。

「うわ、フェリー来たよ!」

「急げ急げ!」「あっ!こーちん転ぶなよ!」

窓の向こうを、 ランドセル姿の子供達が走っていく。

その光景を見て、 真白が少し目を細めた。

「……なんか映画みたい」

湊は思わず笑う。

「職業病…」

「朝倉さんに言われたくないです」

久しぶりに、 自然に笑えた気がした。

でも。

その笑顔を見た瞬間、 レモナが少しだけ静かになる。

湊は気づかない。

久しぶりに笑った湊を見て、

真白は静かにカップへ視線を落とした。

――まだ、どこにも帰れてない顔だ。

東京にも。

この島にも…

たぶん、 ここにある恋にも…。       第六章へ続く。

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