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第五部 『春が来る編』 第四十七章 「春の味は変わっていく」

第五部 『春が来る編』

第四十七章

「春の味は変わっていく」

二月。

東京はまだ冬だった。

ビルの隙間を吹き抜ける風は冷たく、 朝の通勤ラッシュは相変わらず人で溢れている。

湊は編集室のモニターを見つめていた。

画面には島の海。

春霞の港。

フェリー、笑う子どもたち、漁港で網を直す老人。

そして。

レモン畑。

何度も見た映像なのに、 見るたびに新しい発見がある。

島にいた頃は当たり前だった景色。

離れて初めて、 その大切さが見えてくる。

背後から声がした。            真白だった。               「また徹夜ですか」            缶コーヒーを机に置く。

湊は苦笑する。

「まだ徹夜ちゃう」

「まだ、ですね」

真白は呆れた顔をした。         「なんか…顔、変わりましたね」

「そう?」

「前は追いかけられてる顔でした」

「今は?」

真白は肩をすくめた。

「追いかけてる顔です」

東京へ戻ってから一か月。

仕事は忙しかった。

だが以前のような苦しさはない。

自分で選んで戻ってきたからだ。

逃げるためではなく。

前へ進むために。

その違いは大きかった。

昼休み。

スマホが震える。

レモナからだった。

写真が一枚。

湊は開いて、 思わず笑った。

またバーガーだった。

しかも前より大きい。

バンズからレタスが飛び出し、 タルタルソースがあふれそうになっている。

その下にはメッセージ。

『試作品』

さらに。

『十六号』

「十六号て」

思わず声が出る。

電話をかける。

数回の呼び出し音。

レモナが出た。

『もしもし』

店の音が聞こえる。

食器の音。

ドアベル。

誰かの笑い声。

島の音だった。

「またバーガー?」

『またバーガー』

「何号までいく気なん」

『納得するまで』

即答だった。

レモナらしい。

話を聞くと、 春限定メニューを考えているらしい。

『でもなぁ』

少し悩んだ声。

『なんか違うんよ』

「何が?」

『美味しいんじゃけど』

少し沈黙。

『私っぽくない』

湊は笑った。

その言葉に覚えがある。

昔からそうだった。

レモナは味だけでは決めない。

楽しさ。

驚き。

思い出。

全部含めて料理だと思っている。

『それでな』

レモナが言う。

『思ったんよ』

「うん」

『あのバーガー、変えてみようかなって』

湊は少し黙る。

あのバーガー。

言われなくても分かる。

瀬戸内レモンタルタルベーコンてりたま。

高校時代、レモナと一緒に食べた春限定メニュー。

そして。

湊が島へ帰ってきた日に食べた味。

レモナと再会した日に食べた味。

この恋の始まりの味。

「変えるん?」

『ちょっとだけ』

レモナは笑う。

『好きなんよ、このバーガー』

その声は優しかった。

『でもな』

窓の外で、 フェリーの汽笛が聞こえる。

『昔のままでもないんよ』

湊は何も言わない。

レモナは続ける。

『あの頃とは違うんよ』

『店も変わったし』

『港も変わったし』

『私も変わった』

『……』

『湊もじゃろ』

その言葉に、 湊は窓の外を見る。

東京の空。

冬のビル群。

あの日見た瀬戸内の海が、 少し恋しくなった。

『だから』

レモナは言う。

『少しだけ進化させる』

その声は楽しそうだった。

まるで新しい春を待っているみたいに。

数日後。

再び写真が届く。

今度は試作品ではなかった。

完成版らしい。

レモンピールを混ぜた特製タルタル。

炙ったベーコン。

少し甘さを加えたソース。

春らしい彩りの野菜。

そして。

どこから見ても、 あのバーガーだった。

昔から知っている形。

でも少しだけ違う。

写真の下にメッセージ。

『完成』

さらに。

『名前はそのまま』

湊は吹き出した。

すぐに返信する。

『長い』

数秒後。

返事が来る。

『今さら』

思わず笑う。

編集室で一人。

真白が不思議そうな顔をするくらいに。

その夜。

湊は映像を編集しながら考えていた。

モニターには春の港が映っている。

あの日と同じ海。

同じフェリー。

同じ空。

けれど。

もう同じ景色ではなかった。

窓の外では東京の夜景が光っている。

遠く離れた島でも、

きっと同じ月が見えている。

春はまだ少し先。

それでも。季節は確かに動き始めていた。

スマホの画面には、

完成したバーガーの写真。

湊は小さく笑う。

変わらないものを守るために、

少しだけ変わる。

その味は、

どこか二人によく似ていた。       窓の向こうの夜空に、

春の気配がほんの少しだけ混じっていた。                第四十八章へ続く。

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