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四十六章 「東京か島かじゃなかった」

四十六章

「東京か島かじゃなかった」

一月下旬。

島の朝は冷たかった。

港には薄く霜が降り、 海から吹く風が頬を刺す。

それでも。

空だけは驚くほど青かった。

湊は早朝から港にいた。

カメラを持って。

最後の撮影だった。

今回の帰島で撮る予定だった映像は、 ほぼ揃っている。

冬の海、減便したフェリー、閉店した店、島を出る高校生、島に残る人。

そして。

『nagi』、レモナ、故郷、全部。

映像の中に入った。

あとは編集だけ。

東京へ戻れば、 作品は完成する。

そう。

東京へ戻れば。

港のベンチ。

湊は一人で座っていた。

潮風が吹く。

冬の海が揺れる。

遠くでフェリーのエンジン音が聞こえる。

その時。

隣に誰かが座った。

真白だった。

缶コーヒーを差し出す。

もう何本目かわからない。

湊は受け取る。

「またそれ」

「朝倉さんが買わないので」

少し笑う。

それから。

二人とも海を見る。

しばらく沈黙。

やがて。

真白が口を開く。

「決まりましたか?」

湊は答えない。

もう隠す必要もなかった。

真白は続ける。

「会社は待ってくれません」

現実だった。

大型企画、責任者候補、全国配信。

チャンス。

全部。

今しかない。

真白は静かに言う。

「たぶん朝倉さんなら」

海を見る。

「もっと上へ行けます」

本心だった。

東京で働いてきたからわかる。

才能がある。

努力もしている。

本気でそう思っている。

だからこそ。

次の言葉が重かった。

「でも…」

湊が顔を上げる。

真白は少し笑う。

「東京で成功した人、何人も見ました」

「でも……笑わなくなった人もいました」

冷たい風が頬にまとわりつく。

真白は立ち上がる。

それ以上は言わなかった。

答えは他人が決めるものではない。

湊自身が選ぶものだから。

午後。

『nagi』。

店は珍しく静かだった。

レモナは帳簿を見ている。

移動販売計画。

通販企画。

新しい挑戦。

少しずつ形になり始めていた。

その時。

ドアベルが鳴る。

湊だった。

レモナは笑う。

「いらっしゃい」

いつものように。

二人ともわかっている。

今日は違う。

湊は窓際の席へ座る。

レモナも向かいに座る。

沈黙。

冷蔵庫の低い音だけが響いていた

外では海が光っている。

湊が先に話し始めた。

「決めた」

レモナの指先が少し止まる。

ついに来た。

その時が。

怖くないと言えば嘘になる。

でも。

逃げたくなかった。

レモナは頷く。

「うん」

湊は窓の外を見ながら、港、フェリー、島。

そして。

ゆっくり言った。

「東京には戻る」            レモナの指先が帳簿の上で止まる。

胸の奥が、きゅっと縮んだ。

その時、湊が続けた。                  「何度も考えていた…」

「東京を断る未来も考えた…」

「島に残る未来も考えた…」        レモナは目を閉じる。

予想もしていたし、理解もしていた。

でも。

痛いものは痛い。

湊は続ける。

「完成させたい」

映像と、夢を。

自分の人生を。

それは嘘じゃない。

レモナは静かに聞く。

最後まで。

湊は拳を握る。

そして。

今度はまっすぐレモナを見る。

逃げずに。

「でも」

その一言に。

レモナが顔を上げる。

湊は言う。

「俺は…ここに帰る」

「必ず」                店内が静かになる。

レモナは動けない。

湊は続ける。

「今じゃない」

正直だった。

「すぐでもない」

それも本音。

「でも…帰る」

東京でやるべきことを終える。

作品を完成させる。

積み上げる。

そして。

島へ帰ってくる。

逃げ場所ではなく。

選んだ場所として。

湊は笑った。

少しだけ。

「ようやくわかった」

レモナは黙っている。

湊は続ける。

「東京か島かじゃなかった」

ずっと二択だと思っていた。

どちらかを選べば、 どちらかを捨てる。

そう思っていた。

でも違った。

東京で積み上げたいものがある。

島で守りたいものもある。

どちらかを捨てろと言われても、今の自分にはできなかった…。

格好のいい答えじゃなくていい。

それでも。

これが自分の選んだ道だった。

レモナはしばらく何も言わない。

やがて。

小さく笑う。

涙が滲んでいた。

「長かったね」

湊も笑う。

「ごめん」

「もう、本当だよ」

二人とも笑う。

少し泣きそうになりながら。

レモナは言う。

「私も待たないからね」

湊は頷く。

「知ってる」

移動販売も、通販も、夢も。

全部進む。

止まらない。

待つだけの人ではない。

それを知っている。

だから、安心できた。

夕方。

港。

冬の夕陽が海を染めていた。

フェリーがゆっくり出港する。

その景色を。

湊はカメラで撮る。

最後のカットだった。

ファインダー越しに見る。

帰る人、残る人、見送る人、迎える人。  ファインダーの向こうで、

フェリーがゆっくり離れていく。

島は少しずつ遠ざかる。

それでも。

湊は不思議と、離れていく気がしなかった。

帰る場所があると知ったからだ。     だから。

いつか必ず帰る。

選ばされた場所ではなく。

自分で選んだ場所へ。

その時。

夕陽の向こうで、 フェリーの汽笛が長く鳴った。

それは、まるで。

新しい物語の始まりを告げるように。    第四十七章へ続く。

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