第四十五章 「待つだけの恋を終わらせる日」
第四十五章
「待つだけの恋を終わらせる日」
一月中旬。
島に寒波がやって来た。
港には強い風が吹き、 フェリーも朝から揺れている。
『nagi』の窓ガラスは白く曇り、 温かいコーヒーを求める客が増えていた。
けれど。
レモナの心は落ち着かなかった。
湊の東京からのオファーの連絡の夜から、 数日が過ぎていた。
湊は相変わらず撮影を続けている。
東京から届いた大型企画の資料も、 何度も読み返しているはずだ。
そして。
まだ答えを出していない。
レモナはそれを責める気はなかった。
人生を決める選択だ。
簡単なはずがない。
だけど。
自分の中でも、 何かが変わり始めていた。
その日。
午後の店内。
客が途切れた時間。
レモナはカウンターで帳簿を開いていた。
売上や仕入れ、経費。
数字を追いながら、 ふと手が止まる。
ページの端に書かれたメモ。
昨年考えていた計画だった。
『移動販売』『レモンスイーツ通販』『島の食材イベント』『観光客向けのコーヒー講座』
忙しさの中で、 いつの間にか後回しになっていた。
いや。
違う。
後回しにしていたのではない。
待っていたのだ。
湊の答えを。
「湊が残るなら、移動販売は一緒にできるかもしれん」
「東京へ行くなら、店をどうするか考えんとな」
それが決まってから考えよう。
そう思っていた。
レモナは、 ふっと笑った。
自分でも気づかないうちに。
人生のハンドルを、湊に預けていた。
湊が残るなら。
湊が東京へ行くなら。
いつの間にか、自分の未来まで、その答え待ちになっていた。
夕方。
港の防波堤。
レモナは一人で海を見ていた。
冬の海は荒い。
波しぶきが風に乗る。
遠くではフェリーが揺れている。
その時。
後ろから声がした。
「珍しいな!」
振り返る。
航平だった。
漁協帰りらしい。
防寒着姿。
いつもの缶コーヒー。
「また悩んどる顔しとる」
レモナは苦笑する。
「そんな顔?」
「島の猫でももっと幸せそう」
昔、 湊にも言っていた言葉だ。
レモナは笑う。
「なにそれ」 久しぶりに自然に。
航平は隣に立つ。
しばらく海を見る。
それから聞いた。
「決めた?」
レモナは驚く。
「何を」
「人生」
即答だった。
航平らしい。
レモナは少し考える。
そして。
静かに言った。
「決める」
風が吹く。
航平は黙って聞く。
「湊がどうするかじゃなくて」
自分で言葉を確かめるように続ける。
「私がどうしたいか」
それが。
今まで言えなかったことだった。
航平は小さく笑う。
「やっとか」
レモナは睨む。
「何それ」 「みんな待ちすぎなんよ」
海を見る。
「湊も」
「……うん」
「お前も…」
少し間。 落ちてた貝殻を拾い、海に投げながら。 「お前な」
「なんで湊の代わりに悩んどるんや」
「あいつはあいつで考えとる」
「お前はお前のこと考えろ」
「お前が苦しんでも、湊の答えは変わらん…」 レモナは返事をしない。
図星だった。
夜。
閉店後。
レモナは店のノートを開く。
新しいページ。
白紙。
そこへ書き始める。
移動販売計画。
通販企画。
島外イベント。
レモン農家との協力。
新メニュー。
ずっと考えていたこと。
やりたかったこと。
湊がいても。
いなくても。
自分がやりたいこと。
ペンが止まらない。
不思議だった。
未来を考えるのが、 久しぶりな気がした。
翌日。
『nagi』。
湊がやって来る。
撮影帰りだった。
レモナは笑顔で迎える。
いつも通り。
どこか違った。
湊は気づく。
「なんかあったん?」
レモナは首を傾げる。
「なんで?」
「顔」
少し明るい。
そう思った。
レモナは笑う。
そして。
ノートを見せた。
「これ」
湊が見る。
新しい事業計画。
びっしり書かれたアイデア。
思わず目を見開く。
「これ!すご」
レモナは少し照れる。
「前から考えてたんよ」
湊はページをめくる。
これは、本気だ。
遊びじゃないし、レモナ自身の夢だ。
湊はふと気づく。
今まで、自分ばかりが夢を追っている気でいた。
けれど違った。
レモナもまた、自分の足で未来へ向かおうとしている……。
レモナは笑った。
前より少し強い笑顔で。
「私ね」
湊を見る。
「待つだけの恋は終わりにする」
店内が静かになる。
湊は息を飲む。
別れ話ではない。
それはわかった。
大きな変化だった。
レモナは続ける。
「湊を好きなのは変わらん」
それも本音。
少し間…
「私も前に進むよ」
「でも、それだけで立ち止まるのは終わりにする」 窓の外では、 冬の海が光っている。
その言葉は。
湊への宣言ではなく。
自分自身への約束だった。
そして。
その瞬間。
湊は初めて理解する。 レモナはもう待っていなかった。
自分の未来へ向かって歩き始めていた。
その背中を見つめながら、 湊は初めて思う。
もう、決めなければならない。 第四十六章へ続く。




