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第四十一章 「東京では手に入らないもの」

第四十一章

「東京では手に入らないもの」

翌朝。

島には冷たい雨が降っていた。

港の空は灰色。

海も空も境界が曖昧になるような天気だった。

昨夜のことが頭から離れないまま、 湊は宿の窓から海を眺めていた。

眠れなかった。

レモナの言葉。

「一緒に悩んでほしかっただけ」

何度も思い返す。

反論できなかった。

できるはずもなかった。

あれは責める言葉じゃない。

助けを求める言葉だったから。

なのに自分は、 それを責任を問われているように受け取ってしまった。

スマホが震える。

画面を見る。

真白だった。

『撮影どうですか』

短いメッセージ。

仕事の確認のようでいて、 真白はいつも少しだけ人を見ている。

湊は返信する。

『順調じゃない』

少しして既読。

そして。

『仕事ですか』

『違う』

また既読。

少し間が空く。

それから。

『珍しいですね』

湊は苦笑した。

真白らしい返しだった。

午後。

雨は弱くなった。

湊はカメラを持って港へ向かう。

人は少ない。

減便された時刻表。

濡れたベンチ。

閉まった売店。

シャッター。

以前なら撮らなかった風景。

でも今は違う。

島の現実だった。

カメラを構える。

シャッターを切る。

その時。

後ろから声がした。

「ずいぶん暗いもの撮るようになりましたね」

聞き慣れた声。

湊は振り返る。

そして固まった。

「……は?」

聞き間違いかと思った。

目を凝らす…

そこにいたのは真白だった。

東京に居るはずの彼女が、島の港で傘を差していた。

東京で見慣れたコート姿。

なのに。

島の港にいる。

一瞬理解が追いつかない。

真白は平然と言う。

「出張です」

「いや絶対違うやろ」

「半分仕事です」

つまり半分違うらしい。

湊は頭を抱える。

真白は港を見回した。

静かな海。

減便の案内。

人の少ない待合室。

そして小さく呟く。

「思ったより静かですね」

その声には、 少し驚きが混じっていた。

東京で島の話は聞いていた。

映像も見ていた。

でも。

実際に立つのは違う。

風の冷たさも。

潮の匂いも。

人の少なさも。

全部。

画面越しではわからない。

二人は港近くのベンチへ座る。

真白は缶コーヒーを開ける。

湊は呆れた顔をしている。

「会社大丈夫なん」

「有給です」

「仕事は?」

「終わらせました」

真白らしい。

抜かりがない。

しばらく沈黙。

海を見ながら、 真白が言う。

「レモナさんと喧嘩しました?」

湊は思わずむせる。

「ぶっ!?」               「なんでわかるん」

「顔です」

即答だった。

逃げ場がない。

真白は少し笑う。

「朝倉さん、 昔からそういう顔します」

東京時代もそうだった。

企画で悩んだ時。

失敗した時。

自分を責めている時。

全部同じ顔。

真白はしばらく海を見ていた。

そして不意に聞く。

「ちゃんと傷つきました?」

湊は眉をひそめる。

意味がわからない。

真白は続ける。

「人って、 本気で向き合うと傷つくじゃないですか」

静かな声だった。

「でも朝倉さん、 今までずっと避けてきた気がするので」

その言葉が刺さる。

図星だった。

傷つけたくない。

嫌われたくない。

失いたくない。

だから曖昧にしてきた。

でも。

曖昧さは優しさではなかった。

真白は小さく息を吐く。

「私、 少し羨ましいです」

湊が顔を上げる。

真白は笑った。

少しだけ。

本当に少しだけ。

「レモナさん」

意外な言葉だった。

「ちゃんと怒ってくれるじゃないですか」

港の風が吹く。

真白は海を見る。

遠くを。

「私だったら言わないので」

真白はそう言って笑った。

けれど、その笑顔は少しだけ寂しそうだった。                  

湊は初めて気づく。

真白もまた――

言えなかった人なのかもしれない。

仕事を優先して。

感情を飲み込んで。

ずっと走ってきた人なのかもしれない。

夕方。

真白は『nagi』へ連れて行かれた。

店に入った瞬間。

レモナが驚いて固まる。

「えっ!?」

真白が頭を下げる。

「お久しぶりです」

「なんで!?」

正しい反応だった。

湊も同じことを思っている。

真白は平然としている。

「有給です」

レモナは笑った。

「自由すぎる」

久しぶりに聞く、 自然な笑い声だった。

湊は少し安心する。

でも。

真白はその横顔を見ながら思う。

この人だ。

朝倉湊が帰りたいと思う理由。

東京では手に入らないもの。

夢とも仕事とも違うもの。

それを。

レモナは持っている。

だからこそ。

簡単な話じゃない。

窓の外では冬の海が揺れている。

誰も何も言わなかった。

けれど。

昨日までと同じではないことだけは、

三人ともどこかで感じていた。             第四十二章へ続く。

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