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第四十章 「本当に向き合うということは…」

第四十章

「本当に向き合うということは…」

翌日。

空は朝から曇っていた。

冬の海は鉛色で、 風も強い。

港に打ち寄せる波の音が、 いつもより大きく聞こえる。

湊はカメラを持って、 島のあちこちを歩いていた。

漁港。

商店街。

閉店した乾物屋。

減便の張り紙。

子どもたちの下校風景。

老人たちの立ち話。

何気ない景色。

今しか撮れない景色。

ファインダー越しに見ながら、 湊は思う。

残したい。

この島を。

この時間を。

この空気を。

その気持ちは、 間違いなく本物だった。

だけど。

胸の奥には、 昨夜の会話が残っていた。

『戻りたい』

『でも帰りたい』

結局、 自分はどちらも選べていない。

夕方。

『nagi』。

店内には客が数人いた。

湊は窓際の席で、 コーヒーを飲みながら待っていた。

閉店まであと少し。

レモナは忙しそうに動いている。

二人とも、 昨夜の続きを避けていた。

言葉にしたら、 戻れなくなる気がしたから。

避け続けることはできない。

閉店後。

客が帰る。

店内が静かになる。

レモナは、 カウンターの中で片付けを続けていた。

湊は立ち上がる。

「話そう」

レモナの手が止まる。

静かに振り向く。

「うん」

その一言だけ。

だから、二人ともわかっていた。

今日は逃げられない。

窓の外では、 風が強くなっていた。

レモナが席へ座る。

湊も向かい側に座る。

沈黙。

長い沈黙。

先に口を開いたのは、 レモナだった。

「東京戻るんでしょ」

直球だった。

湊は少し息を飲む。

「……たぶん」

レモナは頷く。

予想していた答えだった。

それでも。

胸は痛む。

「企画もあるし」

「うん」

「仕事もある」

「うん」

「まだやりたいこともある」

「うん」

レモナは全部知っている。

理解している。

だから。

責められない。

理解できることと、 平気なことは違う。

レモナは、 ゆっくり言う。

「じゃあ私は?」

その言葉に、 湊は固まる。

レモナは続ける。

「私はどこにおるん?」

店内が静かになる。

冷蔵庫の音だけが響く。

レモナの目は、 まっすぐだった。

逃がしてくれない。

「夢の後ろ?」

少し笑う。

目は笑っていない。

「帰る場所?」

言葉が重くなる。

「待つ人?」

湊は何も言えない。

全部違うと言いたい。

今の自分は、 そう扱ってしまっている気がした。

レモナは、 声を震わせながら続ける。

「私さ」

拳を握る。

「応援することに疲れたんじゃないんよ」

「一人で応援し続けるのが疲れたんよ」

初めてだった。

こんな本音を聞くのは。

レモナはずっと、 笑って送り出してきた。

大丈夫と言ってきた。

でも。

本当は違った。

「会いたい時に会えない」

「……」

「寂しくても言えない」

「……」

「頑張ってるってわかってるから…」

その一言が痛かった。

湊は顔を上げられない。

レモナは涙をこらえながら言う。

「私ばっかり我慢してる気がする…」

「そう思う自分が嫌だった…」

「応援したいのに…」

「応援できん自分になるのが怖かった…」

静かな声だった。

それは叫びに近かった。

湊の胸が締め付けられる。

傷つけたくなかった。

だから黙っていた。

だから迷っていた。

だから優しくしようとした。

その結果。

一番傷つけている。

湊の胸の奥で、

ずっと押し込めていた焦りが弾けた。      湊は、 ようやく口を開く。

「じゃあ俺はどうしたらよかったんだ…」    声が少し強くなる。

レモナが目を見開く。

湊は続ける。

「島に残ればよかったのか?」

「東京へ行かなきゃよかったのか…」

「違う!」

レモナも声を上げる。

初めてだった。

こんなふうにぶつかるのは。

店内の空気が張り詰める。

レモナは立ち上がる。

涙が滲んでいた。

「なんでそうなるの…」

苦しそうな声。

「私は選べって言ってるんじゃない」

湊は黙る。

レモナは胸を押さえる。

「一緒に悩んでほしかっただけ!」

その言葉で。

湊は動けなくなった。

一緒に。

悩む。

答えを出すことじゃない。

成功することでもない。

ただ。

苦しいことを共有してほしかった。

でも自分は。

一人で抱え込み。

一人で決めようとして。

結果だけ渡そうとしていた。

レモナは涙を拭く。

「私」

少し震える声。

「置いていかれるのが怖い……」

その本音が。

ようやく出た。

東京じゃない。

夢じゃない。

仕事じゃない。

本当に怖かったのは。

湊の人生から、 自分がいなくなることだった。

店内が静かになる。

風の音だけが聞こえる。

湊は、 何も言えなかった。

言葉が見つからない。

慰めも、約束も。

今は全部嘘になる気がした。

レモナは、 ゆっくり席を離れる。

「ごめん」

そう言った。

謝る必要なんてない。

傷つけるために言ったわけじゃない。

本音だった。

ずっと飲み込んできた本音。

レモナは厨房へ消える。

湊は一人残される。

窓の外、冬の港、波、灯り。

そして。

初めて気づく。

本当に向き合うということは。

優しい言葉を言うことじゃない。

相手を傷つけるかもしれない本音を、 受け止めることなのだと。                そして自分は、まだ何ひとつ受け止めきれていない……。                     第四十一章へ続く。

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