第三十九章 「まだ、答え出さんでええから」
第三十九章
「まだ、答え出さんでええから」
最終フェリーの灯りが、 ゆっくりと夜の海へ消えていく。
『nagi』の店内には、 コーヒーの香りだけが残っていた。
閉店後。
客はいない。
時計の針が進む音だけが、 妙に大きく聞こえる。
湊とレモナは、 窓際の席に向かい合って座っていた。
久しぶりの再会。
何か話したいことは、 たくさんあるはずだった。
なのに。
言葉が出てこない。
レモナが、 マグカップを両手で包む。
湊は、 その仕草を見ていた。
昔から変わらない癖。
冬になると、 必ずこうする。
変わっていない。
そう思った瞬間。
逆に、 変わってしまったものの存在が浮かび上がる。
レモナが静かに聞く。
「東京、どう?」
ありふれた質問だった。
湊はすぐ答えられない。
どう、と言われても。
楽しい。
苦しい。
充実している。
疲れている。
全部本当だった。
「忙しい」
結局、 そんな答えしか出なかった。
レモナは小さく笑う。
「それ毎回聞いてる気がする」
湊も苦笑する。
確かにそうだった。
会話が、 報告になっている。
昔みたいに、 くだらない話をしなくなった。
沈黙。
また沈黙。
その時。
レモナが窓の外を見る。
「港、静かになったね」
湊も同じ方を見る。
減便したフェリー。
閉まった店。
人の少ない通り。
冬の海。
全部、 以前より少しだけ寂しい。
「うん」
レモナは、 少しだけ視線を落とす。
「ねぇ」
その声で、 湊の胸が少し緊張する。
レモナは、 あの日のメッセージの続きを言おうとしていた。
『ちゃんと話そう』
その続き。
レモナは、 少し迷ってから口を開く。
「私さ」
窓ガラスに、 店内の灯りが映る。
「待つの嫌になったわけじゃないんよ」
湊は黙って聞く。
「応援したくないわけでもない」
それも本当だ。
レモナは、 ずっと湊の夢を応援してきた。
東京へ行く時も。
映像を続ける時も。
何度も背中を押した。
でも。
「最近ね」
少し笑う。
寂しそうな笑顔だった。
「朝起きて」
「店開けて」
「閉めて」
「また次の日が来て」
「気づいたら、ずっと湊の答え待っとる気がして」
「自分が止まっとる気がする」
湊は何も言えない。
レモナは続ける。
「湊は進んどる」
東京で。
仕事で。
夢で。
ちゃんと前へ進んでいる。
自分はどうだろう。
『nagi』を守っている。
島で暮らしている。
それは間違っていない。
気づけば毎日、 湊の答えを待っている。
帰るのか。
帰らないのか。
東京なのか。
島なのか。
その答え待ちの人生になりかけている。
「それがね」
レモナは、 少し声を震わせる。
「怖くなった」
店内が静かになる。
湊は、 胸が苦しくなる。
レモナが悪いわけじゃない。
自分も悪くない。
誰かの選択待ちになることは、 確かに苦しい。
湊は、 拳を握る。
「ごめん」
その言葉しか出ない。
レモナは首を振る。
「謝ってほしいんじゃない」
わかっている。
他に何を言えばいいのかわからない。
レモナは、 まっすぐ湊を見る。
逃げられない視線だった。
「湊」
「うん」
「東京に戻りたい?」
湊は答えようとして、
言葉が喉で止まる。
嘘は言えない。
でも本当のことを言えば、
レモナを傷つける気がした。
それでも。
「……戻りたい」
レモナの目が少し揺れる。
それでも何も言わなかった。
湊は続ける。
「でも帰りたい」
レモナは黙る。
湊も苦しそうに笑う。
「意味わからんやろ」
自分でもわからない。
東京へ戻りたい。
島にも帰りたい。
どちらも本当。
どちらも嘘じゃない。
だから。
ずっと苦しかった。
レモナは、 しばらく黙っていた。
そして。
小さく息を吐く。
「うん」
その一言だけだった。
責めない。
怒らない。
その静かな声が、 かえって胸に刺さる。
レモナは、 少し笑う。
「やっと本音聞けた」
湊は顔を上げる。
レモナの目は、 少し赤かった。
泣いてはいない。
「ずっと」
レモナは言う。
「私に気を使ってたでしょ」
図星だった。
傷つけたくなかった。
待たせたくなかった。
だから。
本音を隠した。
それは優しさじゃなかったのかもしれない。
レモナは立ち上がる。
カップを片付けながら言う。
「今夜はここまでにしよ」
湊も立ち上がる。
何か言おうとして。
結局言葉が出ない。
レモナは、 少しだけ笑った。
「まだ、答え出さんでええから」
その言葉だけを残して、 厨房へ入っていった。
湊は一人、窓の外を見る。
夜の港。
冬の海。
遠くの灯り。
最終フェリーはもう見えなかった。
それでも、
海の向こうには東京がある。
そしてこの島にも、レモナがいる。
そのどちらも手放せないまま、
湊は静かに目を閉じた。 第四十章へ続く。




