第三十七章 「残る想い、撮る想い」
第三十七章
「残る想い、撮る想い」
十二月中旬。
朝の港は、 吐く息が白くなるほど冷えていた。
レモナは、 仕入れの帰りにフェリーターミナルへ立ち寄った。
特に用事があったわけじゃない。
ただ、 最近は時々ここへ来てしまう。
港を見ると、 島の今がわかるからだ。
観光客は少ない。
並んでいる人も少ない。
昔なら、 この時間はもっと賑やかだった。
スーツ姿の会社員。
高校生。
買い物帰りのお年寄り。
旅行客。
様々な人が行き交っていた。
でも今は。
どこか空白が目立つ。
レモナは、 待合室の掲示板を見上げた。
そこに貼られた一枚の紙。
数日前から噂になっていたもの。
『運航ダイヤ改正のお知らせ』
目で追う。
そして。
胸が少し重くなる。
午後便が一本減る。
来春から。
正式決定だった。
島の人なら、 その意味がわかる。
一本減るだけ。
数字だけ見ればそうだ。
それは、 「人が減っている」という現実の証明でもあった。
レモナは、 しばらく掲示板の前に立ち尽くした。
「決まっちゃったねぇ」
後ろから声がした。
振り返ると、 魚屋の山下だった。
昔から港で働いている。
レモナが小さい頃から知っている人だ。
「残念ですね」
山下は苦笑する。
「仕方ないんだけどな」
仕方ない。
最近、 島で一番よく聞く言葉だった。
人が減る。
便が減る。
店が閉まる。
若者が出て行く。
全部。
仕方ない。
本当にそれだけなのだろうか。
山下は海を見る。
「昔はなぁ」
少し懐かしそうに笑う。
「フェリー乗るのに並んだんだぞ」
レモナも聞いたことがある。
夏休み。
お盆。
港が人で埋まった時代。
今の子供たちは、 想像もできないかもしれない。
山下は、 肩をすくめた。
「魚市場もな、昔は朝から人でごった返しとったんじゃ」
山下は笑う。
「今じゃ知っとる顔ばっかりだ」
少し間を置いて、
「俺らがおらんなったら、もっと静かになるかもしれんな」
冗談みたいに言う。 けれど、レモナは笑えなかった。
午後。
『nagi』。
窓際の席に座る客は一人だけ。
静かな時間。
スマホが震えた。
湊からだった。
珍しく昼間。
『写真見た』
昨日送った、 閉店した乾物屋の写真。
レモナは返信する。
『フェリーも減る』
少しして既読。
そして。
『知ってる』
数分後。
また通知が来た。
『ずっと考えてた』
『何を残せるんだろうって』
そして。
そのあと、 しばらく通知は来ない。
レモナは、 窓の外を見る。
海、港、冬空。
スマホが再び震える。
『撮りたい』
その一言だった。
レモナは、 思わず画面を見返す。
『何を?』
すぐ返信する。
既読。
少し間。
『今の島』
レモナは、 胸の奥が少し揺れた。
湊はずっと、 綺麗な景色を撮ってきた。
春。
レモン畑。
祭り。
海。
観光ポスターみたいな風景。
今、湊が撮りたいと言ったのは……。
フェリーの減便。 シャッターの下りた店。 人の少なくなった港。
そんな島の今だった。
その現実だった。
レモナは、 ゆっくり文字を打つ。
『綺麗じゃないよ』
送信。
すぐ既読。
返信は少し長かった。
『だから撮りたい』
レモナは、 その言葉を見つめる。
『なくなる前に』
それだけだった。
夕方。 東京の編集室。
湊は、 窓の外のビル群を見ていた。
乾物屋の写真。
減便の話。
港。
全部が頭から離れない。
真白が、 資料を持ってやってくる。
「朝倉さん」
「ん?」
「企画書」
机に置かれる。
表紙にはタイトル。
『瀬戸内・四季の記録』
新しい企画案だった。
真白は、 湊を見る。
「本気なんですね」
湊は頷く。
「たぶん今しかない」
真白は、 少しだけ笑った。
「ようやく、 撮りたいものが決まった顔してます」
湊は返事をしない。
自分でもわかっていた。
島へ帰りたい理由が、 少し変わり始めている。
レモナに会いたい。
それもある。
でも今は。
消えていく景色を残したい。
なくなる前に。
誰かの記憶になる前に。
映像として残したい。
夜。
レモナは閉店後の港を歩く。
風は冷たい。
減便になっても、 海は変わらない。
波の音も変わらない。
でも。
人の暮らしは変わっていく。
レモナは、暗い海を見つめながら思う。
湊は帰ってくるかもしれない。
それは嬉しいことのはずだった。
ほんの少しだけ。
「私のためにも帰ってきてほしい」
そう思ってしまう自分がいた。
波の音だけが、 静かな港に響いていた。
第三十八章へ続く。




