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第三十四章 「待つことにも、終わりがある」

第三十四章

「待つことにも、終わりがある」

十一月の終わり。

瀬戸内の風は、 もう冬の匂いを運んでいた。

『nagi』のテラス席は片付けられ、 店の窓も夕方になると曇るようになった。

観光客は少ない。

港も静かだ。

夏には人で埋まっていたフェリー乗り場も、 今は地元の人ばかりになっていた。

レモナは、 閉店後の店内で一人、 売上帳を見ていた。

静かだった。

静かすぎるほどに。

時計の音。

冷蔵庫のモーター音。

遠くの波。

それだけ。

数字を見ればわかる。

去年より、少し客が減っている。

大きくではない。

でも。

常連だった夫婦が来なくなった。

隣の土産物店も営業時間を短くした。

島は静かに変わっている。

誰かが決断できない間にも。

店からも、

少しずつ何かが減っている。

レモナは、 帳簿を閉じる。

窓の外を見る。

港の灯り。

小さな船。

冬の海。

ふと。

スマホを開く。

湊とのトーク画面。

最後のやり取りは昨日。

『お疲れ』

『そっち寒い?』

『今日は編集地獄』

『寝ろ』

そんな会話。

優しい。

穏やか。

でも。

最近、 心が動かない。

嫌いになったわけじゃない。

むしろ逆だ。

好きだからこそ、 苦しくなっている。

昔は違った。

一通のメッセージで嬉しかった。

電話一本で元気になれた。

でも今は。

会話が、 離れないための努力になっている。

レモナは、 スマホを伏せた。

そして。

誰にも聞こえない声で呟く。

「……いつまでなんだろ」

自分でも驚くほど、 弱い声だった。

待つことはできる。

応援もできる。

夢も応援したい。

でも。

待ち続けることが、 人生そのものになるのは違う。

その時。

店のドアが開いた。

「まだおったん?」

航平だった。

作業帰りらしい。

ジャンパー姿で、 缶コーヒーを持っている。

レモナは笑う。

「閉店後だから客じゃないよ」

「知っとる」

航平は勝手に座る。

昔からそうだ。

しばらく沈黙。

それから。

航平が言った。

「最近どうなん」

レモナは、 聞かなくても何の話かわかった。

湊。

東京。

遠距離。

レモナは苦笑する。

「普通」

航平は眉を上げる。

「それ一番危ない答えやで」

図星だった。

本当に苦しい時ほど、 人は「普通」と言う。

航平は、 缶コーヒーを開ける。

「会えてないんやろ」

「うん」

「電話は?」

「たまに」

「喧嘩は?」

「してない」

航平は、 小さく笑った。

「そりゃ危ないわ」

レモナは少し睨む。

「何それ」

航平は真面目な顔になる。

「喧嘩できる距離の方がまだ近い」

レモナは、 返事ができない。

それは少しわかる。

今の二人は、 相手を困らせないようにしている。

傷つけないようにしている。

忙しいから。

頑張ってるから。

仕方ないから。

でも。

その優しさの中で、 本音が減っている。

航平が窓の外を見る。

「湊な」

レモナは顔を上げる。

「たぶん今、 人生で一番迷っとる」

レモナは頷く。

それもわかる。

東京。

夢。

島。

自分。

全部大事だから。

だから決められない。

航平は続ける。

「でもな」

静かな声だった。

「待つ側だけ時間止めることはできん」

レモナの胸が少し痛む。

航平は、 責めるつもりではなかった。

ただ。

現実を言っているだけだった。

「レモナも人生あるやろ」

その言葉に、 レモナは黙る。

ある。

もちろんある。

でも。

最近、 自分の人生を考えることが減っていた。

湊の選択ばかり考えている。

帰るのか。

帰らないのか。

東京なのか。

島なのか。

でも本当は。

レモナにも選ぶ権利がある。

待つか。

待たないか。

一緒に進むか。

別々に進むか。

航平は立ち上がる。

「まぁ」

少し笑う。

「まだ終わっとらん顔しとるから大丈夫や」

そう言って店を出る。

ドアベルが鳴る。

静寂が戻る。

レモナは、 窓の外を見る。

港の灯り。

冬の海。

遠くのフェリー。

そして。

スマホを手に取る。

湊とのトーク画面。

長く眺める。

指が止まる。

送ろうとして、 消す。

何度も。

何度も。

そして最後に。                   逃げずに話そう。

自分の気持ちも。

湊の気持ちも。

そして。

これからの二人のことも。                 短くLINEを打った。

『今度帰ってきたら、ちゃんと話そう』

送信。

たった一行。                      もう曖昧なままではいられなかった。

でも本当は。

最近ずっと怖かった。

湊が帰らないことじゃない。

自分が待つことに慣れてしまうことが。

それが、一番怖かった。

待つことにも、 終わりはある。

それは別れの意味じゃない。

ただ。

立ち止まったままでは、 誰も前へ進めないということだった。                           第三十五章へ続く。

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