第二十八章 「あの場所には…」
第二十八章
「あの場所には…」
東京へ来て、 二週間が過ぎていた。
湊は、 編集室の窓から外を見る。
夕方。
ビルの隙間に、 赤い光が沈んでいく。
でも。
島の夕焼けみたいに、 空は広くない。
海もない。
ただ、 ガラスに反射した都会の色だけが残る。
遠くで、 救急車のサイレンが鳴っていた。「朝倉さん、 チェックお願いします!」
後ろから声が飛ぶ。
現実へ引き戻される。
編集室には、 今日も人が残っていた。
キーボード音。
動画の再生音。
コンビニ袋。
積まれたエナジードリンク。
ここでは、 夜になるほど人間が濃くなる。
湊は席へ戻る。
モニターには、 自分が撮った島の映像。
港。
祭り。
レモン畑。
レモナ。
その全部が、 都会の蛍光灯の中に置かれている。
不思議な感覚だった。
「これ、 めっちゃいいっすよね」
隣の席の後輩、 真島良太が言う。
二十四歳。
東京生まれ東京育ち。
地方に住んだことがない。
真島は、 映像を見ながら笑う。
「こういう場所、 憧れるなぁ」
湊は少し笑う。
「住んだら不便やで」
「でも、 人間っぽいじゃないですか」
その言葉に、 湊は少し止まる。
人間っぽい。
東京は、 便利だ。
速い。
なんでもある。
でも。
気を抜くと、 自分が部品みたいになる時がある。
真島は、 モニターを見ながら続ける。
「東京って、 ずっと頑張ってないと、 置いてかれる感じするんですよね」
湊は、 思わず頷きそうになる。
本当にそうだった。
仕事。
結果。
数字。
再生数。
評価。
誰かより前へ。
止まった瞬間、 消えてしまいそうになる。
その時。
スマホが震えた。
レモナから。
『今日はちゃんと食べて』
短いメッセージ。
それだけなのに、 胸の奥が少し緩む。
真島が横から覗く。
「彼女っすか」
「……まぁ」
「いいなぁ」
真島は笑う。
「俺、 最近別れたんすよ」
湊は少し驚く。
真島は、 軽い口調で続ける。
「“落ち着いたら会おう”ばっか言ってたら終わりました」
冗談みたいに言う。
でも。
その笑い方に、 少し疲れが見えた。
「向こう、 “会えなくても平気そう” って」
湊は、 言葉が出なくなる。
その一言が、 妙に刺さった。
レモナも、 同じことを感じているかもしれない。
電話できない夜。
返信が遅い日。
少しずつ、 生活の優先順位がズレていく感覚。
真島は、 パソコンを閉じる。
「まぁ、 東京ってそういう街っすよ」
何かを得る代わりに、 何かが擦り減っていく。
湊は、 無意識にスマホを握る。
レモナへ、 電話したくなる。
声を聞きたい。
でも。
今の自分は、 ちゃんと向き合えているだろうか。
仕事に飲まれながら、 “帰る場所” だけ求めていないだろうか。
深夜。
編集室を出る。
都会の空気は、 まだ熱を持っていた。
コンビニの前で、 若い会社員たちが笑っている。
タクシー。
ネオン。
終電帰りの人波。
東京は、 眠らない。
でも。
湊は、 急に静かな場所へ行きたくなった。
横断歩道の途中で、 足が少し止まった。 海の音を聞きたくなった。
『nagi』の閉店後の灯りを思い出す。
レモナが、 カウンターを拭いている姿。
あの場所には、 “終わる時間” があった。
東京には、 それがない。
だから時々、 自分がどこまで走ればいいのか、 わからなくなる。 第ニ十九章へ続く。




