第二十七章 「残る側にも意味がある」
第二十七章
「残る側にも意味がある」
数日後。
島には、 久しぶりに強い雨が降っていた。
観光客も少なく、 『nagi』の店内は静かだった。
窓ガラスを、 雨粒が絶えず流れている。
レモナは、 カウンターでレシートを整理していた。
ラジオから、 小さく天気予報が流れている。
『週末にかけて――』
ぼんやり聞き流していた時。
店のベルが鳴った。
「いらっしゃ――」
顔を上げて、 レモナは少し驚く。
「……優斗?」
高校の同級生、島崎優斗だった。
黒縁眼鏡。
少し伸びた髪。
昔より痩せている。
東京の大学へ行ったあと、 そのまま就職したはずだ。
優斗は、 照れくさそうに笑った。
「久しぶり」
「え、 帰ってきてたん?」
「法事」
濡れた傘を閉じながら、 店を見回す。
「変わってないなぁ」
その言葉に、 レモナは少し苦笑する。
最近は、 “変わってない” と言われるたび、 少しだけ返事に困る。
店も、 景色も、 毎日同じはずなのに。
自分だけ、 どこか前と違ってしまった気がしていた。
優斗は、 窓際の席へ座る。
レモナがコーヒーを運ぶと、 彼は外を見ながら言った。
「湊、 東京いるんだって?」
やっぱり島は早い。
レモナは頷く。
「仕事で」
「そっか」
優斗は、 少し笑った。
「昔から、 あいつだけは絶対島出ると思ってた」
レモナも、 少し笑う。
わかる気がした。
高校の頃から、 湊はどこか、 “ここじゃない場所” を見ていた。
優斗は、 コーヒーカップを両手で包む。
「俺さ、 最初帰るつもりだったんよ」
レモナは黙って聞く。
「大学行って、 数年働いて、 金貯めて」
それから島へ戻って、 親の店を継ぐつもりだった。
でも。
「更新手続きとか、 保険とか、 そういうの増えてってさ」
「気づいたら、 “帰るタイミング” わからんなっとった」
「一年だけのつもりやったのにな」
優斗は、 苦笑いみたいに呟いた。
東京には、 いつの間にか“途中で降りられない生活” ができていた。
優斗は、 窓の外を見る。
「帰ろうと思えば、 帰れるんよ」
「親も、“無理して帰ってこんでええ”って言うし」“帰る”って、 人生を丸ごと選び直すことでもある。
簡単じゃない。
レモナは、 その言葉が胸に残る。
湊も、 同じなのだろうか。
優斗は、 少し笑う。
「まぁ、 帰れなかった側の言い訳かもしれんけど」
その笑い方が、 少し寂しかった。
レモナは、 思わず聞く。
「……後悔してる?」
優斗は、 少し考える。
長い沈黙。
雨音。
それから、 静かに答えた。
「してない。 ……でも、 してないように生きてる」
その言葉が、 やけにリアルだった。
レモナは、 返事ができなかった。
たぶん、 誰でもそうなのかもしれないと思った。
でも。
選んだ方で、 ちゃんと生きていくしかない。
優斗は、 コーヒーを飲み干す。
「湊、 悩んでるでしょ」
「……うん」
「そりゃ悩むよ」
優斗は笑う。
「帰りたい場所ある人間ほど、 外で苦しくなるから」
レモナは、 何も言えなかった。
外へ出れば、 島を思い出す。
島にいれば、 “行かなかった未来” が消えない。
雨音だけが、 店に残っていた。
優斗は立ち上がる。
レジで会計をしながら、 ふと店内を見回した。
「でも、 残ってくれてる場所あるの、 結構救いなんよ」
レモナが顔を上げる。
優斗は、 少し照れくさそうに笑った。
「帰ってきた時、 変わらず開いてる店あると、 人ってちょっと安心する」
雨の音が続く。
レモナは、 その言葉を静かに受け止めていた。
優斗が帰ったあとも、 しばらく胸に残っていた。
“残る側”にも、 意味がある。
それは、 ただ待っているだけじゃない。
誰かが帰ってこられる場所を、 守っているということなのかもしれなかった。 レモナは、 空になったカップを片付ける。
それから、 消えかけていた店先の黒板を、新しく書き直した。 “今日も営業中”
雨の中でも、 文字だけは少し明るく見えた。
レモナは、 黒板の文字を見つめる。
“帰ってこられる場所”でいたいと、 少し思った。
それから、 少しだけ背筋を伸ばした。 第ニ十八章へ続く。




