第二十五章 「それだけにはしたくないです」
第二十五章
「それだけにはしたくないです」
東京生活四日目。
湊は、 編集室のソファで目を覚ました。
首が痛い。
エアコンが寒い。
窓の外は、 もう朝だった。
都会の朝は早い。
いや。
正確には、 夜が終わらない。
誰かがずっと働いている。
机の上には、 飲みかけのコーヒー。
コンビニの空き容器。
散らばったメモ。
その中心で、 島の映像だけが静かに止まっていた。
港。
レモン畑。
祭り。
『nagi』。
モニター越しの島は、 現実より綺麗に見える。
湊は、 そのことに少し苛立っていた。
午前十時。
会議室。
制作会社のプロデューサーが、 映像を見ながら頷く。
「いいねぇ」
大型モニターに、 瀬戸内の海が映る。
青い空。
穏やかな波。
光。
誰かが言う。
「めっちゃエモいっすね」
またその言葉だった。
“エモい”。
便利な言葉。
綺麗。
懐かしい。
少し寂しい。
全部まとめて、 簡単に消費できる言葉。
プロデューサーが笑う。
「これ、 地方創生系でかなりいけるよ」
地方創生。
観光PR。
移住促進。
補助金。
タイアップ。
言葉が並ぶ。
もちろん、 仕事としてはありがたい。
映像を評価されるのも嬉しい。
でも。
湊の胸には、 小さな違和感が残る。
その時。
若い女性スタッフが言った。
「もっと“消えゆく町感”強めてもいいかもですね」
湊の指が止まる。
「例えば?」
「シャッター街とか、 お年寄りとか、 減便したフェリーとか」
明るい口調だった。
悪気はない。
ただ、 映像として強くなると思っただけ。
でも。
湊は、 急に苦しくなる。
この島は、 “消えていく景色” だけじゃない。
港の売店のおばちゃんは、 今日も客のいない時間にテレビを見て笑っている。
『nagi』では、 レモナが朝から豆を挽いている。
夏祭りの日になれば、 子どもたちはちゃんと走り回る。
生活は、 まだ終わっていない。
湊は、 静かに言う。
「それだけにはしたくないです」
会議室が少し静かになる。
湊は続けた。
「綺麗に消えていく町、 みたいにはしたくない…」
自分でも驚くくらい、 強い声だった。
プロデューサーが、 少し目を細める。
「……朝倉くん、 地元だっけ」
「はい」
その一言で、 空気が少し変わる。
誰かの“題材”じゃない。
自分の帰る場所なのだ。
会議後。
湊は、 一人で屋上へ出た。
東京の空。
ビル。
車。
遠くの高架線。
風はあるのに、 海の匂いはしない。
ポケットからスマホを出す。
レモナとのトーク画面。
開いて、 閉じる。
今、 声を聞いたら、 たぶん弱くなる。
その時。
メッセージが来る。
レモナだった。
『今日そっち暑い?』
湊は、 思わず笑ってしまう。
たぶん、 向こうは何も知らない。
会議のことも。
東京の空気も。
湊は返信する。
『暑い。 そっちは?』
少しして返ってくる。
『島も暑い。 でも風ある』
その一文だけで、 景色が浮かぶ。
港。
昼の光。
『nagi』の窓。
レモナ。
湊は、 スマホを握ったまま空を見る。
東京は、 夢に
夜。
編集室へ戻る。
湊は、 映像を最初から見返す。
港のおばちゃん。
祭り。
レモン畑。
レモナの笑顔。
途中で、 再生を止める。
“綺麗”だけでは足りない。
でも。
醜さだけでも、 嘘になる。
その間にある、 ちゃんと生活している温度を、 映したかった。
湊は、 キーボードへ手を置く。
そして、 売店のおばちゃんが笑うシーンを、 少し長く残した。 第ニ十六章へ続く。




