第二十四章 「待つ側の朝」
第二十四章
「待つ側の朝」
翌朝。
レモナは、 目覚ましより早く起きた。
カーテンの隙間から、 薄い朝の光が入っている。
スマホを見る。
六時十二分。
湊からの連絡は、 深夜の『おやすみ』で止まっていた。
東京にいる。
たったそれだけなのに、 距離が急に現実になる。
レモナは、 ベッドの上でしばらく動けなかった。
昔から、 朝は苦手だ。
特に、 誰かを見送った次の日の朝は。
起きた瞬間、 “もう隣にいない” ことを思い出してしまう。
洗面所で顔を洗う。
冷たい水。
鏡の中の自分は、 思ったより普通の顔をしていた。
もっと泣くかと思っていた。
でも。
鏡の中の自分は、 思ったより普通の顔をしていた。
泣いた跡もない。
それが、 少しだけ寂しかった。
『nagi』を開けるため、 家を出る。
港沿いの道。
潮風。
朝のフェリー。
高校生の自転車。
変わらない島の朝。
なのに。
景色のどこかに、 ぽっかり穴が空いている気がした。
店へ着く。
シャッターを開ける。
コーヒー豆を挽く。
椅子を並べる。
音楽を流す。
いつもの動き。
身体が勝手に覚えている。
でも。
湊が東京へ行ってから、 レモナは気づいてしまった。
“待つ側”には、 時間が長い。
開店しても、 まだ九時。
時計を見る。
まだ九時十五分。
まるで、 自分だけ進む速度が遅くなったみたいだった。
常連のおばちゃんが来る。
「おはよ」
「おはようございます」
「彼氏、 東京行ったんやって?」
島は、 噂が回るのが早い。
レモナは苦笑する。
「まぁ、 仕事で」
おばちゃんは、 カウンター席へ座る。
「寂しいねぇ」
その言葉に、 レモナは曖昧に笑った。
“寂しい” と言葉にすると、 本当に寂しくなりそうだった。
コーヒーを淹れる。
湯気。
香り。
静かな店内。
おばちゃんが、 窓の外を見ながら言う。
「うちの娘も、 島出たまま帰ってこんわ」
レモナは、 思わず手を止める。
「東京?」
「大阪」
おばちゃんは笑う。
「最初は“すぐ帰る”言うてたけどねぇ」
責める口調ではなかった。
慣れてしまった人の声だった。
島では、 よくある話。
同級生の名前を、 レモナは何人か思い出す。
もう島に残っている方が少なかった。
みんな、 “そのうち帰る” と言って出ていく。
でも。
帰ってこない人の方が多い。
レモナは、 窓の外を見る。
フェリーが港を離れていく。
白い波。
遠ざかる船。
昨日、 湊を乗せた船と同じ形。
胸が少し痛む。
おばちゃんが、 ぽつりと言う。
「でもね」
「……はい」
「帰ってくる人は、 ちゃんと帰ってくるよ」
レモナは、 何も答えられなかった。
信じたい。
でも。
信じるのは、 待つ側ほど怖い。
昼過ぎ。
店が落ち着いた頃、 レモナはスマホを見る。
SNS。
湊のアカウント。
東京の編集室らしい写真が上がっていた。
モニター。
パソコン。
深夜の作業机。
コメント欄には、
『かっこいい!』
『クリエイターって感じ!』
そんな言葉が並んでいる。
レモナは、 少しだけ苦しくなる。
自分の知らない湊が、 東京で増えていく。
知らない人たちに囲まれて。
知らない時間を過ごして。
その全部を、 自分は見られない。
スマホを伏せる。
その時。
店のドアベルが鳴った。
「いらっしゃ――」
顔を上げる。
高校生くらいのカップルだった。
楽しそうに笑っている。 近い距離。
高校生の彼氏が、 アイスコーヒーのストロー袋を、 くしゃくしゃに丸めて笑っていた。
まだ、 未来を疑っていない顔。
レモナは、 少しだけ目を細める。
昔の自分たちみたいだと思った。
あの頃は。 離れることも。 変わることも。 終わることも。 こんなに現実じゃなかった 第ニ十五章へ続く。




