第二十一章 「会いたくないのに、会いたい」
第二十一章
「会いたくないのに、会いたい」
その日の夜、 湊はレモナに連絡できなかった。
『ちゃんと話せ』 航平の言葉が、 逆に喉を塞ぐ。
ちゃんと話すって、何だ。
「東京へ行く」と言えば、 レモナを傷つける。
「そばにいる」と言えば、 今度は自分が嘘になる。
東京へ行きたい。
でも、 レモナを失いたくない。
そんな中途半端な本音を、 今さらどう伝えればいい。
部屋の天井を見ながら、 何度もスマホを開く。
打って、 消す。
打って、 閉じる。
結局、 何も送れないまま夜が終わった。
翌日。
昼過ぎになって、 ようやく『nagi』へ向かう。
逃げたかった。
でも、 逃げたまま終わる方がもっと怖かった。
店の扉の前で、 少し立ち止まる。
中から、 常連客の笑い声が聞こえる。
いつもの店なのに、 入るのが怖かった。
カラン。
ベルが鳴る。
レモナが顔を上げる。
一瞬だけ、 目が合う。
でも。
「いらっしゃいませ」
敬語だった。
湊の胸が、 少しだけ冷える。
店には、 観光客らしい夫婦がいた。
レモナは普通に接客している。
笑っている。
コーヒーを淹れている。
何も変わらないみたいに。
湊はカウンター端に座る。
「……こんにちは」
自分でも、 情けない挨拶だと思った。
レモナは、 少しだけ間を置いてから言う。
「こんにちは」
距離があった。
たった一日なのに。
常連のじいさんが、 新聞を読みながら笑う。
「なんや兄ちゃん、 今日は元気ないな」
「まぁ……」
「若い時は悩め悩め」
軽い言葉。
でも今は、 その軽さすら苦しい。
レモナが、 コーヒーを置く。
「……ブラックでよかった?」
「うん」
昔なら、 勝手に甘いラテが置かれていた。
“疲れてるから”って、
レモナは、 何も聞かなくても気づいていた。
沈黙。
レモナも、 必要以上に話さない。
湊はようやく気づく。
昨日、自分は何も決めなかった。
そのくせ、
レモナを繋ぎ止めようとしていた。
期待を残したまま。
レモナは、 食器を洗いながら言う。
「今日、 東京の人と会議?」
「夕方から」
「そっか」
また終わる。
会話が。
湊は、 耐えきれなくなる。
「レモナ」
「ん?」
「昨日……」
謝ろうとして、 止まる。
何に対して?
夢を捨てられないこと?
答えられなかったこと?
傷つけたこと?
全部だった。
でも、 全部を一言で済ませる言葉なんてない。
レモナは、 そんな湊を見ていた。
それから、 少し疲れた顔で笑う。
「湊さ」
「……うん」
「“悪い人になれない”こと、 たまに残酷だよ」
その言葉が、 静かに刺さる。
レモナは、 コップを拭く。
「ちゃんと夢選ぶなら、 それでいいんよ」
湊が顔を上げる。
「でも、 私を好きな顔したまま、 迷われると」
窓の外で、 フェリーの音が鳴る。
「期待しちゃうから、 苦しい」
湊は、 言葉を失う。
好きなのは本当だ。
でも。
好きだけで、 未来を保証できない。
レモナは、 俯いたまま続ける。
「私、 待てない人になったんじゃなくて」
静かな声。
「待った先で、 選ばれないのが怖いだけなんよ」
その本音に、 湊の胸が締めつけられる。
高校時代。
何も言われないまま、 待っていた彼女。
あの頃の痛みを、 また繰り返させている。
しかも今度は、 “大人の現実”付きで。
その時、 店のベルが鳴る。
新しい客が入ってくる。
レモナはすぐ、 店員の顔に戻った。
「いらっしゃいませ」
その笑顔は、
もう自分だけに向けられているものじゃなかった。
湊は、 一度も口をつけないまま、 ブラックコーヒーが冷めていくのを見ていた。 第ニ十ニ章へ続く。




