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第十六章 「既読のつかない夜」

第十六章

「既読のつかない夜」

六月に入ると、 島の空気は変わる。

春の柔らかさが消えて、 湿気を含んだ風になる。

夜の海も、 少し重い。

湊は、 自室の机にノートパソコンを開いていた。

オンライン会議の画面。

東京のスタッフたち。

企画進行表。

撮影スケジュール。

イヤホン越しに、 慌ただしい声が飛び交う。

「朝倉さん、 スケジュールかなり詰まりますけど大丈夫ですか?」

「編集チェック、 現地だと助かるんですが」

「スポンサー確認、 前倒しになりました」

画面の中の時間は速い。

島の夜とは、 まるで別の速度だった。

「……はい」

気づけば、 そう答えていた。

会議が終わる。

部屋が急に静かになる。

窓の外では、 雨が降っていた。

湊はスマホを見る。

レモナから、 二時間前にメッセージが来ていた。

『今日、 閉店早かったから、 港いる』

短い文章。

その下に、 フェリーのスタンプ。

湊は、 返信画面を開く。

でも、 指が止まる。

今から行っても遅い。

仕事の話をしたら、 また空気が重くなる。

疲れてる顔を見せたくない。

                    今は、ちゃんと話せる気がしなかった。               

そんなことを考えているうちに、 時間だけ過ぎる。

結局。

返信できなかった。

既読もつけないまま。

翌日。

『nagi』へ行くと、 レモナは普通に笑った。

「いらっしゃい」

いつも通り。

だから逆に、 湊は苦しくなる。

「……昨日ごめん」

レモナはミルクを泡立てながら言う。

「ん?」

「連絡」

「あー」

軽い返事。                気を遣わせているのがわかった。

「寝てた?」

「まぁそんな感じ」

嘘だ。

たぶん。

でも、 嘘を指摘できるほど、 二人はまだ強くない。

沈黙。

エスプレッソマシンの音だけが響く。

レモナは、 カップを置いた。

「忙しい?」

「……うん」

「そっか」

また、 そこで会話が止まる。

湊は思う。

恋人になったら、 もっと自然にわかり合えると思っていた。

でも実際は逆だった。

好きだからこそ、 嫌われたくない。

重いと思われたくない。

困らせたくない。

そうやって、 また本音を隠し始める。

高校時代と同じみたいに。

その日の夜。

レモナは、 港の防波堤に一人で座っていた。

風が強い。

湿った潮の匂い。

遠くで、 フェリーの灯りが揺れている。

「……なに黄昏れとん」

航平だった。

缶コーヒーを投げてくる。

レモナは受け取る。

「どいつもこいつも、 甘いやつ渡してくる」

「この島、 疲れた人間多いからな」

航平は隣に座る。

少し沈黙。

それから、 レモナがぽつりと言う。

「なんかさ」

「ん?」

「付き合ったら、 もっと安心すると思ってた」

航平は何も言わない。

レモナは続ける。

「でも逆に、 不安増えるね」

波が防波堤に当たる。

暗い音。

「湊、 また遠く行きそうで」

航平は海を見る。

「行くやろな」

即答だった。

レモナは苦笑する。

「そこ否定してよ」

「無理なもんは無理や」

残酷なくらい、 正直だった。

でも。

航平は続ける。

「でもな、 遠く行く=終わる、 でもないぞ」

レモナは黙る。

航平は缶を開ける。

「お前ら、 “失う前提”で恋しすぎなんよ」

その言葉が、 静かに刺さる。

レモナは、 スマホ画面を見る。

湊とのトーク。

最後のメッセージは、 昨夜の謝罪。

たった一言。

それだけなのに、 妙に距離を感じる。

恋愛は、 大事件じゃなくても壊れる。

返信の遅さ。

言葉の不足。

疲れてる時の沈黙。

そういう小さいすれ違いが、 静かに積もっていく。                    レモナは、 缶コーヒーを握る。 もう、 ぬるくなっていた。                    第十七章へ続く。

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