第十四章 「好きだけじゃ、決められない」
第十四章
「好きだけじゃ、決められない」
店の窓から差し込む夕陽が、
『nagi』の床を長く染めていた。
春の終わりの光は、 綺麗なのに少し寂しい。
レモナはカップを拭きながら、 静かに聞いた。
「どんな仕事?」
湊は少し迷う。
でも、 誤魔化したくなかった。
「地方の映像企画」
「へぇ」
「瀬戸内とか、 地方の暮らし撮る感じ」
レモナの手が、 ほんの少し止まる。
「……湊っぽい」
その言葉に、 胸が少し痛くなる。
“東京の仕事”なのに、 求められているのはこの島の景色だった。
外へ出ないと、 この場所の価値は届かない。
そんなふうに言われた気がして、 少し苦かった。
レモナは、 コーヒーを置いた。
「受けたいんでしょ?」
直球だった。
湊はカップを見る。
湯気が揺れる。
「……たぶん」
「たぶん?」
「いや、 受けたい」
口にすると、 少しだけ現実になる。
レモナは頷いた。
怒らない。
困らせない。
でもそれが逆に、 湊を不安にさせた。
「レモナは」
「ん?」
「嫌じゃないん」
彼女は少し笑う。
「嫌だよ」
即答だった。
湊は目を見開く。
レモナは肩をすくめる。
「そりゃ嫌。 せっかく帰ってきたのに」
その言葉は、 ちゃんと本音だった。
だから、 嬉しかった。
同時に苦しかった。
レモナは窓の外を見る。
港へ入るフェリー。
帰ってくる人たち。
「でもさ」
静かな声。
「好きな人の夢、 止めたいわけじゃない」
その言葉に、 湊は何も返せない。
大人の恋愛は、 時々ずるい。
相手を好きだからこそ、 “行かないで” と言えなくなる。
レモナは笑う。
「高校の時なら、 絶対泣いて止めてた」
「……今は?」
レモナは少し笑った。 「今は、 ちゃんと困る」
その言い方が、 やけにリアルだった。
湊はようやく気づく。
恋人になるって、
“好き”だけでは済まなくなることだった。
そして。
夢を選べば、 誰かが置いていかれることもある。
昔の二人みたいに。
レモナがぽつりと言う。
「私ね」
「うん」
「ちょっと怖いんよ」
初めて聞く声だった。
弱さを隠していない声。
「また、 東京に取られる気がして」
その一言が、 胸に深く落ちる。
湊は、 言葉を探す。
でも、 簡単な約束はしたくなかった。
“絶対大丈夫” なんて、 今の自分には言えない。
レモナも、 たぶんそれを望んでいない。
沈黙。
コーヒーの匂い。
夕方の光。
コーヒーの湯気だけが、 ゆっくり揺れていた。
その時。
カラン、とベルが鳴る。
「お、暗い顔しとるなー」
航平だった。
漁協帰りらしく、 長靴のまま入ってくる。
「喧嘩か?」
「してない」
「してない」
二人同時だった。
航平はニヤつく。
「逆に怪しい」
勝手にカウンターへ座り、 水を飲む。
それから、 空気を読んだのか、 少しだけ真面目な顔になる。
「仕事の話か」
湊が驚く。
「なんでわかるん…」
「お前、 昔から夢の話すると、 世界終わる顔になる」
レモナが吹き出す。
「なにそれ」
「重いんよこいつ昔から」
航平はレモナを見る。
「でもな」
急に、 静かな声になる。
「夢って、 叶える時より、 選ぶ時の方が案外しんどいぞ」
誰もすぐには返せなかった。
航平は窓の外を見る。
「俺も昔、 島出ようと思ったことあるし」
その言葉に、 湊もレモナも驚く。
「え?」
「言っとらんかったっけ」
初耳だった。
航平は笑う。
「大阪の会社受かっとったんよ。 船関係」
レモナが目を丸くする。
「なんで行かなかったん」
「親父倒れた」
あっさり言う。
でも。
その軽さの裏に、 積み重なったものがあるのはわかった。
航平は肩をすくめる。
「まぁでも… 後悔しとらんよ」
「ほんまに?」
湊が聞く。
航平は少し考える。
「……たまにはする」
正直だった。
「でもな、 選ばん人生の方が、 もっと後悔残る」
その言葉が、 二人の胸に残る。
外では、 春の最後みたいな風が吹いていた。湊は、 コーヒーの残ったカップを見つめる。
まだ答えは出ない。
でも。
逃げたままだけは、 もう嫌だった。 第十五章へ続く。




