第8話
「とりあえず……」
楓はアイシャにそう言うと、部室のロッカーから愛沙の服を取り出す。
「その弓道衣から、着替えようか?」
そう言われて改めて自身の足や腕を見て、着衣を確認するアイシャであったが、
「……ちょっと待て……わたしは……」と
慌てたように言いかけて楓の後ろにある姿見に目が行く。
「うわぁっ……え?」
アイシャは思わず驚きの声を漏らす。
その姿見に映る自身を確認するように手足を動かし、
鏡と何度も見比べた後、ゆっくりと視線を楓に戻すと
「……その、何というか……私か?」
アイシャは、鏡に映る愛沙の姿を指さしながら
聞かれた楓もどうこたえてよいものやらと、一瞬思案したが、
「気付いとらんかったん?」
改めての反応を見て、楓はようやく気付く。
「あなたの姿は愛沙そのもの……といっても愛沙を知らないか。
あっ!さっきの動画の……」
アイシャが愛沙を知らなくても、それは当然なのだろうが、
愛沙の姿を前にして何とも言えない気持ちになる。
「ど、動画の……アイサとは、先ほどからそなたが私に呼び掛けていた名だな?」
「そうよ。あなたが誰かは……いや、アイシャか。
でも外見は愛沙なんよ。」
声も全く一緒な上、それが別人と言われても楓は困惑するしかない。
楓がアイシャを通して愛沙を思い返していると、
「……ということは、 ……魂が入れ替わったということか?」
アイシャは至極当然のような口ぶりで話す。
突然の話に現実に引き戻された楓は思わず、
「魂が入れ替わる? はぁ? そんなことあるわけないがな。」
楓は小さないら立ちを覚えつつ、少なくとも私の常識なら...と心の中で返す。
「しかし、現実として……そなたの言うアイサの体に、
私の魂が宿ったということに間違いはあるまい?」
(確かに、そうは思えるんだけど……口ぶりも明らかに違うし。)
楓はアイシャの言うことは現実なのだけれど、
頭で解っていても自身の常識が邪魔をして当然納得できない。
「……あんた、それで納得できるんか?」
「あぁ……納得するも何も、
この体は明らかに元の私の体と髪の色も肌の色も異なるし……
背丈もずいぶんと高いような……」
アイシャは体の随所を確認しながら異なる箇所を挙げていく。
「となれば、先ほどの話のとおり魂が入れ替わったというほか、説明ができまい?」
「ちょっと待って。頭が追い付かんけぇ、整理させて。」
体は愛沙、中身はどうもアイシャとかいう人物。
それも髪の色も肌の色も……背丈ももっと低かったかもって言ってたな。
つまり元は別の体を持った別人……となると……
「じゃあ、あなたの体はどこに置いてきたの?」
そう、もしかしたらそこに愛沙の魂が……と考えるのも自然な流れ。
何とかヒントでも見出せないかとアイシャに詰め寄る。
「そこは申し訳ないが、先ほどのとおり私もよくわかっていない。
……気が付けばそなたが呼び掛けておった。」
アイシャは顔を伏せ、少し声のトーンを落として申し訳なさそうに答える。
本人にも、思い出せない悔しさもあるのだろう。
元に戻るのか?戻らないのか?
戻るとすればそれはいつやって来るのか?
先の不安がある中、今できることはこの世界で生き続けること。
それはアイシャも理解しているはず。
「なら、その直前とか……何か少しでも思い出せること、ないん?」
何か、何かヒントを……そのために知ってること……何か思い出して。
「それも、先ほど話したとおりだ。わたしは……何をしていたのか?」
思い出そうとするアイシャの脳裏に靄がかかる。
「うん、わかっただけぇ。……無理に思い出そうとするんは、もうやめよ。」
楓はアイシャに優しく語り掛ける。
「ほんとうに……済まない。」
アイシャの言葉はただただ素直に発せられた言葉に感じた。
「話戻すで?……(んー、これ戻しとる言えるんか……?)
ほんならまずは着替えよか。そんで、この後のこと話さんといけんけぇ。」
服を手にして、上に掲げたり裏向けにしたりと定まらない様子のアイシャがいる。
「アイシャ……うん。その感じじゃと、服の着方も教えといたほうがええね。
あんたこっちの服は初めてじゃろ?」
「あぁ、それは助かる。……このような服がこちらの一般的なものか?
そなたのとは少し違うようだが……」
「これは私服じゃけん、決まりとかないんよ。
みんな好きに着とるけん、焦らんでええで。……少しずつ覚えていこ?」
「そう言うものか?……決まりがない……?好きに着る……? どういう……?
いや、いい。ゆっくりと教えてもらおう。」
「まあ、実際ゆっくりとはしとれんけどね。
愛沙になりきってもらわんと今晩から困るけん。」
「アイサになりきるとはどういうことだ?」
アイシャの言葉に思わずため息をこぼす楓
「この世界ではね。あなたはその見た目からしたら愛沙なんよ。
……で、アイシャにも親がおるじゃろ?同じようにここには愛沙の親がおるんよ。」
「……親か……?」
アイシャの視線が一瞬揺らぐ。
「……なるほど。そなたの言うことは理解した。
この身がアイサと見なされる以上、わたしもそれに合わせねばなるまい。
できる限り協力しよう。」
「協力してくれるんは助かるよ。
ほんならまず、愛沙のことを覚えてもらわんといけんけぇ。
今日からは“愛沙として”動いてもらわんと困るけぇ。」
「あぁ、それは理解している……。
が、しかし一朝一夕で、どうにかなるものでもあるまい?」
確かにその通りではあるが、こればかりは何ともできない。
時間は有限だし何よりうちの家族も愛沙を熟知している。
「幸か不幸かはともかく。
今日は夜の早いうちまでは家に戻らんでも心配はされんのよ。
でも、裏を返せば“夜までしか時間がない”ってことなんよね。」
「ほぉ……夜の早いうちとな。」
アイシャの世界では夜は暗い世界。
当然ながらうら若き女性が一人で出歩くなど考えられない世界。
が、楓はそこまでは考えが至っていない。
ましてや既に別方向に思考は飛んでいる。
(こんな状態で、愛沙として家に帰らせられるか?……いーや、無理!
あー、もーどうせ家もどこか分からんだろうし……そもそもどこ行くか分からん。)
楓は決断する。
「たまたま今日はね、家におらんでもすぐには心配されんのよ。
でも、さすがに夜遅くまでは居れんけんね。」
とは言ってみたものの楓は一計を案じる。
アイシャにニッと笑いかけてから
「ついでに明日は休みじゃけん、今日はうちに泊まりで来んか?
そのほうが、愛沙のこともゆっくり教えられるけん。
それに、あんたのことも聞かんといけんしな。」
最後に楓のトーンが落ちる。
すでに乗りかかった舟ではあるが、もう降りることは許されない。
ましてや、アイシャの居た環境は、すなわち、
いま愛沙の置かれている環境なのかも知れず、
アイシャには楓が援者としてついてはいるが、
いまの愛沙にそう言う人がいるのかどうかもわからない。
楓は、何となくアイシャを助けることが愛沙の助けになると思えるのだ。
楓の指導で、大過なく無事に着替えを済ませたアイシャは、
改めて着心地を確認するように、腕や足を動かしたり、
生地をそっとつまんでは引っ張ったりしている。
「なんというか、先ほどの服と比べると格段に着心地が……(フム)よいな。」
個人の感覚によるものもあるのだろうが、愛沙は比較的ゆったりした服装を好む。
それ故今日の服装もゆったりとした締め付けを感じないとてもラフなものだ。
楓は愛沙が猟に行くときの格好を思い出しながら、
まあ、全く対照的な服も着ることがあるけどねぇ。と思いだして「ふふっ」と笑った。




