第6話
「いいのかなぁ?」
「いいじゃろう?」
弓道場で弓道衣に着替えた愛沙は、楓に動画撮影をお願いする。
ただ道具を取りに来ただけのつもりがどうしても気になってしまって、このまま帰る前に一度試してみようってことになった。
何を試すのかって?
もちろん先に経験した不思議な景色と感覚。
楓も、愛沙がそこまで気になるなら試してみたらよいと撮影を買って出たのだ。
「……ここで、ええんかなぁ?」
愛沙の携帯を、壁やいろいろな小物を利用して固定を試みる。
「うん、大体そげでええと思うで。……で、
なるべくうちの後ろから、目線の方撮ってな。」
「ええよ。」
うんうんと頷きながら楓はインカメにして、角度やら方向やらを確認しながら答える。
「ほんで、いつから撮りゃええん?」
楓は次に自分の携帯をポケットから取り出しながら撮影開始タイミングを確認。
愛沙は、そうだなぁと立ち位置や動きを想起しながら少し考える。
「……うん、じゃあ、一応流れ全部、撮っとってぇな。」
「わかった。」
「いつでもええよ。」
愛沙の携帯で撮影準備を完了した楓は、あと一タッチのところで愛沙に声を掛けながら自分の携帯の撮影準備も整える。
その声を受けて愛沙は身だしなみから立ち位置を再度確認して深く深呼吸を行う。
(よーし。余計なことは考えない。)
そう意識して直立のままそっと目を閉じる。
――数秒後――
ゆっくりとした呼吸に合わせて、静かに目を開いた愛沙は、右手をそっと上げて、楓に撮影開始の合図を送る。
合図を見た楓は愛沙の携帯で撮影を開始すると、射線の愛沙を正面に見据える位置に移動して今度は自分の携帯を構える。
撮影開始を確認した愛沙は射線に付き丁寧にゆっくりと動作を進める。
体勢を整えると、弓を番えしっかりと胴づくり……
的を確認するとゆるりと打ち起こしに掛かる。
弓をスッと掲げるように上げていき、呼吸に合わせながらゆっくりと引き分けてゆく。
……気は満ちている……
ギリ……ギリッ……
ほとんど動きは見えない中で、引き絞られた弓は放たれる瞬間を待つ。
愛沙の視界の中で一瞬だが、的がひときわ輝いて見える。そう……
(……いま!)
シュッと一の矢が放たれる。
寸分違わず的に吸い込まれるのを見届けると続けて二の矢に入る。
……再び弓を掲げるように持ち上げ引き分けてゆく。
ユラッ
二射目の「会」に入る直前、一瞬の大地が滑るような感覚が体を過ぎてゆく……
(あっ!……)
滑る感覚に、ほんの一瞬気を持って行かれそうになるが、
すんでのところで踏みとどまり動作を続ける。
(……今は止められない。……)息を吐き終えた時、その感覚が来た。(……今!……)
シュッ!
矢が弦から放れたと感じた刹那、愛沙の意識も放たれる。
急激な浮揚感とともに目の前の景色が掻き消えた。
(……ブラックアウト……黒の世界……)
「愛沙ぁ~!!」
倒れゆく愛沙の体を受け止めようと駆け寄って来る楓の叫び声と足音を耳にしながら……
どれほどの時間がたったのかはわからない。
愛沙は、ただ何もない空間を漂っている感覚のみに身を任せていた。
不安など微塵も感じていない。
それが夢なのか現実なのかもわからないまま、ただただ漂う。
目を閉じて空を飛んでいる様な何とも言えない浮揚感に身を任せながら、
何となくやって来るであろう浮遊感の終わりを意識の奥底に感じつつ流れに身を任せている。
「愛沙ぁ~!!」
とかすかに遠くでする声を耳に捉えながら、
一方では「アイシャ!!」と呼ばれているような感覚を覚える。
「……アイシャ……」
「.アイシャ.」
「アイシャ」
「……あぁ、応えんといけん。」
そう感じ声の主を探そうと目を開けた時に声は途絶える。
わずかに トン! と落ちたような感じを背中に感じ……
仰向けに落ちたんだ……と無意識に愛沙はそう思った。
痛みは感じない。
そうまるで親がその子をベッドに寝かせるような、愛沙は静かに目を開く。
ゆっくりと光に目が馴染んできて。
意識も急速に戻って来る。
「楓!」
口は動いて音を発するが、上手く呂律が回っていないのかしっかりと発音できていない。
「かぁ……」
周りにはそうとしか聞こえなかった。
「愛沙ッ!!」
楓は寸でのところで、倒れ込む愛沙の体を受け止めていた。
「愛沙~っ! しっかりしてえな! 嘘じゃろ……?」
愛沙の頬を軽くパンパンと叩いたり、刺激を与えて意識を取り戻そうとする楓。
その表情には明らかに焦りの色が浮かぶ。
(ただごとや……ない。)
明らかに愛沙の顔から生気が失われていくようなそんな気がして……楓の心の中に得体のしれない不安が急激に膨れ上がる。
「うそや!……愛沙ぁっ!! 聞こえとるんだが!? 返事してぇや!!」
裏返るほどの大声で叫ぶ。
(冷静になれ!!私……どうだったっけ? 意識を失った時って……)
愛沙を助けられるのは今ここに私しかいない。
焦る気持ちを押し殺し、愛沙を冷静に観察する。
……胸は上下している。
(呼吸はしているし……)
……意識はない。体中の力が抜けているようで……
(こんなに重く感じるの?)
けど……愛沙を支えている膝を通して愛沙の鼓動も感じられる。
(……大丈夫。生きてる……。)
(……でも、どうしよう?どうすればいい?)
突然のことにどうしていいのか全く頭が回らない。
「……ええっと?……ええっと……」
焦る気持ちが口を突いて出る。
「愛沙ぁーっ!! 戻ってきてー!!起きてぇやー!!!……愛沙!……愛沙!!!」
楓は胸中に湧き出す不安を払うように愛沙を抱きしめ、感情の赴くまま叫ぶ。
「愛沙! 起きろってばー!!」
その気迫に反応したのか愛沙の指先がかすかに動いた気がした。
それを認めた楓はさらに強く呼びかける。
「愛沙! 愛沙!!」
楓の膝の上にあった愛沙の体に力が戻って来るのを感じる。
「あいさ~ッ……」
少しホッとした楓は、思わず目に涙を浮かべながら泣き出しそうに声を出す。
ゆっくりと開かれる愛沙の目が徐々に焦点を取り戻し、ゆっくりと目に力が戻ってき、涙ぐんで見下ろしている楓を捉える。
「よかっ――」
楓が安堵の言葉を発しかけたとたん、
愛沙の体は抱きかかえる楓の腕をするりと抜けて逃れるように動き出す。
「……え!?……愛沙??……どうしたん??」
思いもかけない動きに驚いて体勢を崩す楓をよそに、
愛沙はすっくと立ちあがり、楓に正対しつつ1歩2歩と下がり距離をとる。
「……誰だ?」
愛沙の口から思いもしない言葉を受けて楓はさらに困惑する。
「……誰……って……」何がどうなっているのか楓は混乱した頭で……
(わからん!)
「残念だが、私はそなたを知らぬ。」
愛沙は楓から視線を外すことなく、
しかしその視界に捉える光景に自らの意識をあちらこちらへと向けている。
「……私のこと……わからんの?」楓の絞り出す声に愛沙の意識が再び楓に戻る。
楓の悲観したような声音に愛沙の緊張が少し緩んだ気がした。
「私はそなたを知らぬが、そなたは私を知っているようだな?」
愛沙はただゆっくりと言葉を返す。
「……うち……白石 楓……ほんに、覚えとらんの……?……あなたの幼馴染み……」
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