第22話
(この先...)
アイサが変化を感じ取る。
その先で野生動物のにおいが鼻を衝く。
目の前には罠で動けなくなった一頭の猪が地面にうずくまっていた。
しかし、二人の姿を見るとすっくと起き上がり、怒りに満ちた目を向けて来る。
「ほれ、あれじゃ」
源治は罠にかかっている猪を顎で示すと、手のひらで止まれと合図する。
アイサは合図を確認し、近くのひときわ太い木の幹に身体を隠すように潜む。
源治はそれを目の端で捕らえると、注意を猪に絞った。
アイサは木の陰から顔だけ出して猪の様子を観察する。
(これが猪...罠に掛かったと言っていたが...)
目の前の猪を観察しつつあわせて周囲の様子も観察する。
猪の周囲の土が少しえぐれているのはそこまでは動けるということ。
思った以上に動けそうな猪を見て訝る。
(なぜ??)
そして目を凝らして観察すればすぐに分かった。
確かに猪の右前脚が何かでくくられており、
地面に固定されているようだがその線は細い。
(あんな細い縄であれほどの巨躯の猪を止められるのか?)
通常くくり罠で使われるのは3~4ミリの結われたワイヤー。
強度はもちろん十分だが、アイサの基準では心もとない弱い縄としか映らない。
(猪が暴れると切れるのではないか?)
アイサの心中で不安が大きくなる。
源治とにらみ合いを続ける猪は背中の毛を逆立て、一歩二歩と後退る。
猪はさらに一歩下がったところで次にアイサに目を向ける。
アイサと目が合った瞬間猪は突進を開始した。
ドドッ。と音が聞こえるほどの勢いで向かってくる巨体に思わずアイサの身体が弾む。
(...切れる..).
しかし、その突進は伸び切ったワイヤーに足をとられてもんどりうって倒れて終わる。
「とどかんよ。」
源治の冷静な声が届くが、アイサの心中は穏やかでない。
心臓が激しく鼓動を刻み、体中から汗が噴き出すほどの緊張状態にあった。
それは恐怖心などからではなく、アイサの体内を流れるエルバの暴走を止めることに必死になっていたことから来る緊張であった。
異様なまでの鼓動の高まりは体内を一度に駆け巡ったエルバの弊害かも知れない。
アイサはそう感じつつ、肺にたまった空気をゆっくりと大きく吐き出した。
(しかし見た目よりはるかに丈夫だ...)
アイサは呼吸を整えながら猪と源治を交互に見る。
猪は右前脚を気にしながらも再突進に向けて後退り、二人からの距離をとる。
源治は、ゆっくりと肩と頬で銃を固定し射撃姿勢をとる。
アイサはその様子を興味深く観察する。
(...あれでどうやって...?)視界の端に猪を捉えながらも思考する。
次の瞬間、
バァーン!
静寂を破って一発の銃声が響く。
アイサはその音と同時に後方に飛び退いた。その距離約2m。
そして何が起こったのかと、源治と猪に視線を走らせる。
源治は先ほどの姿勢のまま、猪も動きを止め立ち尽くしている。
源治の銃からは消炎の煙が一筋立ち上り、猪の額からは血が一筋伝い落ちる。
(...何が起こったの?)
猪は前膝を折る様に崩れ落ち、源治は静かに銃を下げた。
源治はイノシシに近づくと動かないことを確認し、
「もう大丈夫だ。愛沙。血抜きを頼む」
と、アイサを呼んで、腰に佩いていたナイフを手渡す。
「...はい。」
猪については初めてなものの、基本生き物に大差はない。
経験に則って首にナイフをあてて裂くと一気に鮮血があふれる。
その様子を隣で見ていた源治は黙って頷くと、罠の手入れに向かう。
罠に興味を持ったアイサも源治の後を追った。
「どうだ?今日もかけ直していくか?」
はじいた罠に異常のないことを確認しながら源治は、後ろに立つアイサに声を掛ける。
「教えてもらえるの?」
うれしくなったアイサは、つい口走る。
「...教えるも何も...」(いつも扱っている罠を...)
不思議に感じた源治は後ろに立つアイサに振り返る。
が、アイサはきょとんとした表情で源治を見返す。
「お前。..今日、おかしいぞ。」
源治から投げかけられた疑問にアイサの表情が強張る。
それを見てか見らずか、源治は再び手元に目を向けると、黙々と罠をかけ直した。
「よし。帰るぞ。引くのを手伝え。」
指示を受けたアイサは源治と一緒に軽トラまで猪を引く。
帰り。
源治とアイサは何も語ることなく帰宅した。




