第6話 初めて聞いた「嫌われ王女」たる所以
ボリ、ボリ、ボリ、ボリ……。
私はウサギのようにニンジンを頬張る。
昼食に続いて、今夜の夕食も「産地直送の野菜」だ……。
適当にザク切りされただけのニンジンでも、その新鮮さゆえか、かなり甘くて美味しい。その一方で、ニンジンは結構な歯応えがある。私は野菜の咀嚼で、段々と顎が疲れてきた。
ボリ、ボリ、ボリ、ボリ……。
夕食はニンジンをメインディッシュに、もやし、キャベツ、キュウリ、さつまいも、そして、デザート(?)のトマトだ。もやし・さつまいもについては、さすがに生食は食感が落ちるため、茹でたり蒸かしたりしてあった。
それにしても……。
──なんなの、この世界……。もしかして、菜食主義者の世界なの? それとも、動物を食べない文化でもあるの? 昼も野菜、夜も野菜、……もし明日の朝も野菜だったら、私、発狂するかも!!
そんなことを考えながら、私は新鮮なキャベツを口に運んだ。
◇ ◇ ◇
今のところ、この世界と前世の大きな違いは「衣服と食事」だ。どちらも前世に比べて、かな~りショボい。この世界に住んでいる人々にとっては普通なのかもしれないが、私にはすんなり受け入れられるレベルではなかった。
そもそも、異世界での「衣服と食事」は、私が楽しみにしていた非常に重要な要素だった。綺麗なドレスに、豪華な食事、美味しいお菓子……、王女様としての楽しみの大半が削がれてしまっている。
一方で、住居に必要な設備は、前世と同レベルと言っても良かった。異世界で一番の懸念だったトイレは、全く問題無かった。前世の知識だと、中世ヨーロッパでは「おまる」(壺)に用を足していたということだったが、この世界には前世のものに良く似た形のトイレがあった。
また、お風呂は無いものの、二階のホールで見た噴水と同じ技術と思われるシャワー室が存在した。そのおかげか、私には強い体臭はなく、アリエッタからも変な臭いはしない。
ちなみに、ソフィアの部屋には隠し扉があり、その向こう側にトイレとシャワー室が設置されていた。隠し扉にしてあるのは単に部屋の景観の問題だとは思うが、もしかすると、この世界でも、乙女がトイレに行くことには恥じらいがあるのかもしれない。
私は十分に咀嚼した野菜をゴクッと飲み込むと、テーブルの斜め前で、機嫌良くサクサクと野菜を切るアリエッタに声を掛けた。
「あの~、アリエッタさん」
「はい、なんでしょうか? ソフィア様」
アリエッタは野菜をザク切りする手を止めて、私を見る。
「……この国の皆さんは、獣や魚の肉を食べることを何かで禁止されていたり、極端に嫌いだったりします?」
私の質問に、アリエッタはきょとんとした表情を浮かべた。
「え? そんなことないですよ。動物の肉は重要な栄養源の一つです。私は牛のステーキが大好物ですしね」
「……え? 牛のステーキ?」
呆然とする私に、アリエッタは満面の笑みを向ける。
「実はですね、今日の侍女向けの夕食が、久々の牛のステーキなんですよ! 私、凄く楽しみなんです。申し訳ありませんが、この後、急いで食堂に食べに行ってきますので、残りの野菜を全部切っちゃいますね!」
…………。
…………。。
…………。。。
「…………はぁっ?」
目を大きく見開いた私の手から、フォークとナイフが同時に落ちた。それらが手元の野菜の取り皿に当たって、「ガチャン!」と大きな音を立てる。フォークは取り皿の上に留まったが、ナイフは皿から飛び出して、テーブルの上にゴロゴロと転がった。
「……あの、ソフィア様? どうかされましたか?」
アリエッタは、呆然とする私のことを訝し気な表情で見つめた。一方、私はアリエッタを見つめたまま、唇を震わせる。言葉が出てこない。
「ソフィア様? 大丈夫ですか? ……もしかして、アラーニェに刺されていました?」
私はブンブンと首を左右に振った。そして、アリエッタをじっと見つめたまま、テーブルに置いた手をブルブルと震わせる。
「……にっ、にっ、にぃっ……!」
「にっ?」
私は両手でテーブルをバンッと叩くと、身を乗り出してアリエッタに叫んだ。
「肉をくださいっ!! 今すぐ、ここにっ!! 私の目の前のこのお皿に、牛の肉、プリーズッ!!!!」
私は必死の形相でハァハァ荒い息遣いをしながら、両手の人差し指で手元の皿を何度も指す。
アリエッタは私のその様子に、それまでの表情を消してジト目で私を見た。そして、呆れるようにして、「はぁ」っと溜息を吐く。
「……ダメですよ。ソフィア様は野菜だけです」
「なんで!? なんでダメなんですかっ!? アリエッタさんだけ、ズルいっ!! 私、菜食主義者じゃないですよ!? お肉大大大好き王女ですよ!?」
「なんですか、その二つ名……」
アリエッタは私の様子にさらに大きな溜息を吐くと、右手の人差し指を前後に振りながら、私に少し強めの口調で話し始めた。
「ソフィア様は記憶喪失でご存じないのかもしれませんが、これには理由があるんです。……その理由、聞きたいですか?」
──うっ……。また、これか……。
どうせバカ王女のしでかした事が原因に違いないが、このままでは、肉を食べられないことに納得できない。私は一瞬言葉に詰まったものの、再び両手でテーブルを軽くバンッと叩く。
「聞きたくないですけど、聞きたいです! お肉を諦めないといけないと言うのなら、私が納得できる理由を教えてください! アリエッタさんは豪華なステーキを食べるのに、私だけウサギちゃんみたいな生活はイヤです!」
私が涙目で訴えると、アリエッタは「そうですか。分かりました」と言って、私に顔をグイっと近づけた。そして、たじろぐ私を軽く睨むような真剣な表情をすると、その理由をゆっくりと話し始めた。
「……そう、あれは、約一週間前のことでした」
私はその緊張した雰囲気に、思わず息を呑む。
「なっ……なんだか話し方が怪談みたいですね?」
私の言葉にも、アリエッタは全く表情を変えない。そして、少し間をおいて話を続けた。
「……ソフィア様は『真夜中』の午前三時に、私をこの部屋に呼び出しました」
……え? そんな夜中に?
「そして、叫ぶようにおっしゃいました」
……ゴクリ。
「『今すぐ、今夜の晩餐会で隣国の貴族に出したフルコース料理を持ってきなさい!』と。『持って来なければ、王女専属の料理人たちを全員クビにする! アリエッタ、あなたは上級侍女に絶対になれないようにしてやるから!』と」
「……あ、すみません。私、お腹が痛くなってきました。トイレに行こうかな……」
私が顔を青くして席を立とうとすると、アリエッタはガシッと私の腕を掴んだ。その強い力に、私はトイレを諦めて、再び椅子に座る。
「その日は確かに、国王陛下達が、隣国リーゼンブルグ王国の国王夫妻と外交使節をもてなしていました。しかし、お茶の時間にご説明した通り、ソフィア様は『国の恥』として表舞台から排除されていたため、その晩餐会に呼ばれなかったんです。本来であれば、それで平和に終わるはずでした……」
アリエッタは私の腕を放すと、怪談話のクライマックスを示すかのように、ゆっくりと人差し指を立てた。
「……でも、なぜかソフィア様は晩餐会があった事に気付いたんです。……ソフィア様は、そういう勘だけはバカみたいに鋭かったので、私が部屋を出た後に窓から外を見て、いつもとの違いに気付いたのかもしれません」
当時を思い出しながら話すアリエッタは、徐々に表情が歪んできた。右手を拳にし、怒りが暴発しないように堪えているように見えた。
「私は就寝中の料理人の部屋を回って、事情を話し、必死に頼み込みました。そして、ソフィア様のために懸命に頑張って、晩餐会と同じフルコースの料理を準備しました。しかし、準備に時間が掛かりましたから、ソフィア様に料理を出し始めるのが、午前四時過ぎになってしまったんです」
「午前四時……」
「そして、私が前菜をソフィア様にお出しした時、ソフィア様はおっしゃいました。……『あー、もう眠くなったから、残りの料理はいらない。アリエッタ、食べてちゃっていいよ。得したね~』と……」
「…………」
「そんなの、私、料理人にどう説明したらいいのか分からなくて……。私は厨房に向かう廊下の途中で、涙を流して泣きました……」
アリエッタはそこまで話すと、俯きながら悔しそうに唇を噛んだ。
「ひっ、ひどいですね、それは……」
「……は?」
アリエッタは顔を上げて鬼の形相で私を睨むと、私の目の前のテーブルを思いっきりバンッと叩いた。それと同時に、テーブルの上に置かれた食器が大きな音を立てた。
「何言ってるんですかっ!? あなたの話ですよ!!」
「ひぃぃ!! すみませんっ! ごめんなさいっ! 私がバカでしたっ!! もう絶対しません!!」
私がしでかした事ではないが、私はテーブルに土下座をするようにして、何度も頭を下げてアリエッタに謝罪した。しかし、アリエッタは私の謝罪には反応を示さず、そのまま話を続ける。
「その後、私は怒り心頭で全く眠れませんでした。……怒りは、最後には自分の心を深く傷つけるんです……。私より前の侍女達もこうやって心を傷つけられて、疲れてしまったんだと思いました。……私は、上級侍女になるために、自ら志願してソフィア様の侍女になりました。でも、その夢を人質に取るような真似をするなんて、ホントに最低です……」
私は転生してから初めて、元のソフィア王女がどんなに皆に迷惑を掛けていたのかを知った。
……比較的温厚な私でも、アリエッタさんの立場なら、きっとブチ切れる……。
鏡で見る王女の顔立ちは天使のように可愛い。笑顔はとてもまぶしくて、第一印象だけなら、誰からも愛される王女様だ。まさしく遺伝子の為せる業である。
しかし、やっていたことは人間として最低だ。ツンデレとか、ギャップ萌えとか、そういうレベルではない。皆から嫌われる最低王女ソフィアの数々の所業を知ったら、私の心が折れてしまうのではないかと思った。
「……アリエッタさん。あの……」
私が申し訳なさそうにアリエッタを上目遣いで見ると、アリエッタは渇いた笑顔を私に向けた。
「別に、これ以上謝ってもらわなくていいですよ。……ちゃんと仕返ししましたから」
「え?」
「翌日、私は宰相閣下を経由して、国王陛下にソフィア様の『悪事』を報告しました」
なんとなく、その後の展開が読めてきた……。
「その結果、国王陛下よりソフィア様に罰が下されたのです。『食べ物を粗末にする者に、上に立つ資格はない。今から二週間、ソフィアの食事は野菜だけにせよ』と。ですから、現在、ソフィア様のお食事は野菜だけなのですよ」
アリエッタは私を見て、軽く笑みを浮かべた。
私は、アリエッタが一週間前の出来事を思い出したことで、少しずつ打ち解けてきていた私達の関係が崩れてしまった気がした。アリエッタの話し方はとても棘があり、転生したばかりの時の、態度の悪いアリエッタそのものだった。
私はしょんぼりとして、椅子に座ったまま俯く。そして、テーブルに転がっていたフォークとナイフを両手に持った。
「……納得しました。本当に申し訳ありませんでした」
「……へぇ、記憶喪失になってから、本当に素直ですね。ソフィア様」
アリエッタは、私の謝罪を少し鼻で笑う。しかし、私はアリエッタのその態度を咎めなかった。
「私、あと一週間、野菜で我慢しますね。……お手数ですが、切った野菜をお皿に乗せていただけますか?」
アリエッタは、何かを見定めるように私の様子をじっと見る。そして、先ほど切ったザク切りの野菜を私のお皿に丁寧に乗せた。
お皿の上に全ての野菜が乗せられると、私はアリエッタにニッコリと微笑み掛けた。
「アリエッタさん。野菜を切っていただき、ありがとうございました。いただきます!」
アリエッタは、ニコニコと野菜を口に運ぶ私を見て、何かに気付いたように寂しげに俯いた。
「……ソフィア様。私……」
「あっ、そうでしたね。アリエッタさんはステーキ食べに行って来て下さい。こんな嫌われ王女のことなんか、気にしなくていいですよ。……私、明日から一人でがんばりますから」
私がそう伝えると、アリエッタは首を左右に振る。そして、項垂れるようにして謝罪を始めた。
「……申し訳ありません。私、こんな失礼な態度を取るなんて、侍女として失格です。過去のことで、こんなにも心を乱してしまうなんて……。こう見えても、私、ソフィア様に冷たく当たっていることを気にしているんですよ」
私はアリエッタのそんな意外な側面に驚きつつ、一旦ナイフとフォークを皿の上に置いた。
「いえいえ、アリエッタさん。それは当然のことですよ。私が悪いんです……。今の私はアリエッタさんの夢を応援しますから、心配しないで下さいね」
アリエッタは両手を胸の前で握るようにすると、辛そうな表情を浮かべた。
「……私、国王陛下のお許しを得たら、すぐにでもソフィア様の侍女を辞めるつもりでした。……ですが、記憶喪失だという今のソフィア様には違うものを感じます。ドジでおっちょこちょいなところは変わりませんが、一緒にいて嫌な気分にはなりません」
私はアリエッタの言葉に目を丸くする。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえると、とっても嬉しいです」
アリエッタは私から視線を外すと、少し俯きながら話を続けた。
「……たった一日で、過去のソフィア様を許すことはできませんし、まだ気持ちの整理はできていません。正直なところ、まだ侍女を辞めたいと思っています。……それに、ソフィア様が憎いです」
予想していたとはいえ、私はその言葉にテーブルに視線を落とす。すると、アリエッタは私の両手をギュッと握った。そして、頬を赤くして、上目遣いで私を見る。
「でも、一方で、私もソフィア様のように変わりたいと思っています。……ですから、今のソフィア様を信じてもいいですか? 私が尊敬できる、本当の王女殿下になっていただけますか?」
私はその言葉を聞いて、目をパチパチと瞬かせた。すると、アリエッタがニコッと笑う。
「……仲良しの印に、お肉大好き王女様に、ステーキの切れ端をこっそり持って帰ってきますから」
アリエッタのその笑顔に、大きく見開いた私の目から、涙がツーっと頬を伝う。私は慌てて俯いて、袖で涙を何度も拭ったが、溢れる涙を止めることはできなかった。
「アリエッタさん……。私……、私……」
俯いて咽び泣く私から、テーブルに大粒の涙がいくつも落ちる。しかし、口からは唸るような泣き声しか出せず、アリエッタにお礼を言うことができない。
アリエッタは、私を子供を見るような目で見つめると、「よしよし」と背中を摩ってくれた。その手は、とても温かかった。
誰も味方がいなかった転生王女に、初めて味方ができたような気がした──。