第5話 死神の蜘蛛アラーニェ
結局、アリエッタは渋々、私の「魔法補助」……いや、私との添い寝を了承してくれた。
「魔法補助」とはいえ、ある意味、今夜はちょっとした女子会だ。アリエッタは嫌かもしれないが、私としては、この世界で最も親しい(?)アリエッタと話をするのが楽しみだった。さすがに恋バナは無理でも、転生前の王女の様子など、聞きたいことは山のようにあった。
ちなみに、今は食後のお茶の時間である。いわゆる、アフタヌーン・ティータイムというやつだ。
私はできるだけ華麗な所作で、紅茶のカップを口元に運ぶ。
──紅茶がとってもいい香り……。生野菜を食べた後のお茶は、なんだかこう…………、青臭さが抜けない! それに、はっきり言って、食事の量が物足りない!
私は視線をテーブルに落とす。しかし、私の前には紅茶カップのソーサー以外、何もない。デザートすらない。ケーキを食べたい。ガツガツ、ケーキを食べたい! 私にケーキを出して!
……私はそんな荒れ狂う思いを胸に秘めながら、上品に紅茶のカップを持って、すました顔でアリエッタに尋ねた。
「アリエッタさん。今日、私はどんな予定があるのかしら?」
実は、お嬢様っぽいこのセリフ、ずっと言ってみたかった。王女ならば、きっとたくさんの予定が入っているに違いない。ネット小説の中の王女様は、お茶会にイケメンに大忙しだった。私が嫌われ王女でも、王族として、何かしら仕事が入っているはずだ。
「えっ~と、少々お待ちください」
アリエッタは、スカートのポケットからメモ帳を取り出した。アリエッタの長袖ブラウスのメイド服が中学生の夏服に見えるせいか、メモ帳を確認するその姿は、真面目な女子中学生のようだ。……自分の娘のようなその姿に、私は顔を綻ばせる。
──そういえば、アリエッタさんの年齢を聞いていなかったけど、彼女は一体何歳なのかな? しっかり者だけど、外見上はこの王女と同い年ぐらいに見えるし。16歳ぐらい? 今夜、聞いてみようっと。
私がアリエッタを見ながらニコニコしていると、アリエッタはパタンとメモ帳を閉じた。
「お待たせしました。……今朝の陛下への謁見以外、本日も、ソフィア様の予定は全くございません」
……『も』?
「それに、本日は休日ですから、魔法学園の授業もございません。国王陛下からは、ソフィア様を表に出さないように言われておりますので、そもそも王族の公務はございません」
……表に出さないように、って?
「……あの~、『表に出さないように』とは?」
私は顔を引きつらせながら、アリエッタに質問した。
「えっと、ソフィア様の素行があまりにもひどいので、ここ数か月間、国王陛下からそのようにご下命を受けております。……あっ、今から思えば、ソフィア様の廃嫡の準備だったのかもしれませんね!」
アリエッタは軽く手を合わせて一人で納得すると、満面の笑みを私に向けた。
……アリエッタさん。普通なら、本人の前でソレを言ったらアウトです。……っていうか、ずっと無愛想なのに、どうしてこういう時だけ輝くような笑顔なの!?
私はイラッとしながらも、なんとかすました顔を維持する。アリエッタは、そんな私の苛立ちに気付くこともなく、そのまま話を続けた。
「ソフィア様も随分とお喜びだったではありませんか? 『面倒な公務に出なくて済む』と万歳をしていましたよ。……記憶喪失だと、それも忘れていらっしゃいますか?」
それを聞いて、私はすました顔のまま、紅茶のカップを上品な仕草でソーサーの上に戻した。そして、椅子にもたれるようにしながら、遠い目で部屋の天井を見上げた。
──あぁ、私のキラキラ王女様生活、終わった……。私は部屋から出られずに、引きこもりニートとして二度目の人生を終えるんだ……。この部屋が、私の異世界生活の始まりにして、終わりの場所……。
私は天井をボーっと見上げながら、一週間後の国王への魔法の披露の件を思い出す。
──そういえば、私、辺境に追放される可能性もあるんだっけ。……でも、そっちの方が幸せかなぁ。辺境の気さくな公爵様として、農民と一緒に畑を耕して、さっき食べたような美味しいニンジンを育てたい。私にはその方が身の丈に合ってるのかも……。私はみんなに期待されてるわけじゃないし、もう魔法なんて諦めようかな……。
私が遠くを見るように目を細めて天井を見上げていると、視界の端で何か黒いものが動いた。
「……ん?」
私はテーブルに身を乗り出して、その黒いものに懸命に焦点を合わせる。すると、八本足の不気味な生き物が、天井のモールディング(装飾)の影に隠れるようにカサカサっと動いているのが見えた。
「ぎゃぁ~っ!! アッ、アッ、アリエッタさんっ!! くっ、蜘蛛です、蜘蛛っ!! あれ、毒蜘蛛じゃないですか!? 大きくて気持ち悪いですっ!!」
私は絶叫しながら、目を逸らして天井を指差す。アリエッタは、私の指差す先に視線を向けた。
「……アラーニェ?」
「え?」
「……あれは死神の蜘蛛、アラーニェですよっ!! ソフィア様、早く部屋の端に避難してください!! 危険ですっ!!」
アリエッタのその慌てぶりから、その蜘蛛が普通の無害な蜘蛛ではないことがすぐに分かった。私は急いで窓際に移動して、私を守るように立つアリエッタの方に向き直る。
アリエッタは両手を開いて左右に突き出すと、神への祈りのような言葉を小声で詠唱し始めた。すると、両手から少し離れた空中に、それぞれ一つずつ、光り輝きながら回転する魔法陣が現れた。
「光の神ホルスよ。私に悪魔を消し去る力をお与えください!! イーゼルッ!!」
アリエッタの叫び声と共に、左右にあった魔法陣が共鳴するように赤く輝く。そして、魔法陣から無数の矢のようなものが頭を見せた。アリエッタは、その両手を、死神の蜘蛛アラーニェに向けた。
「ライトニング・アローッ!!」
アリエッタの掛け声と共に、二つの魔法陣から無数の光の矢が蜘蛛に降り注いだ。
その矢の中の一本をまともに受けたアラーニェは、すぐに蒸発するようにして消え去る。そして、光の矢の直撃を逃れた数本の足だけが、パラパラと床に落ちた。
アリエッタは、その後も部屋全体に光の矢を放った。おそらく、応急処置的に、隠れている可能性があるアラーニェを退治しているのだろう。ちなみに、部屋の調度品に光の矢が当たっても壊れることはない。
私はその様子に息を呑んだ。
──アリエッタさん、すごい……。この世界に転生してきてから初めて魔法を見たけど、「魔法」って、こんなにも綺麗なものなんだ。……私、魔法を使いたい。絶対に魔法を覚えたい。やっぱり、魔法の勉強を頑張りたい!
私は、目の前で放たれたアリエッタの攻撃魔法に心を奪われた。
異世界に来て初めて、私は言葉を失うほどの感動を覚えた。
「ソフィア様っ! 大丈夫ですか!?」
アリエッタはすぐさま、放心状態の私の下に駆け寄ってきた。アリエッタに守ってもらった私には、当然ながらケガはない。私は気を取り直すと、アリエッタの呼び掛けに答えた。
「この通り、大丈夫です。アリエッタさん、ありがとうございました。……すごく格好良かったです」
「ふふっ、これぐらい侍女として普通ですよ。それにしても、ソフィア様が無事で本当に良かったです」
アリエッタは、私に安堵の笑顔を向けた。私も、自分のことを心配してくれるアリエッタに、頬を少し赤くしてニコッと微笑み返す。
「ちなみに、『死神の蜘蛛アラーニェ』って、そんなに危険な生き物なんですか?」
私の質問に、アリエッタは真剣な表情で頷いた。
「はい、とても危険です。アラーニェに刺されると、何の症状もなく、数時間後に突然死んでしまうんです。その様子が『死神に攫われるように、誰も気が付かないうちに命を落としてしまう』ことから、アラーニェには『死神の蜘蛛』という別名が付きました。この国で最も恐れられている蜘蛛の一つなんです」
──え? そんな危険な蜘蛛が、この部屋に?
「本当に刺されていませんか? 大丈夫ですか? もし刺されていたら、今すぐに王宮聖職者による緊急治癒が必要です。……手遅れになると、夕方にはもう命はありません」
私はその言葉にギョッとすると、懸命に腕を上げたり、スカートを少したくし上げたり、姿見の鏡の前で顔をペタペタと触ったりして、蜘蛛の刺し傷がないか確認する。
「うーん、パッと見た目は大丈夫そうです。アリエッタさんは?」
「私も大丈夫だと思います。まあ、アラーニェに刺されても無症状ではありますが……。ソフィア様のお身体に異常はありませんか?」
私はその場でピョンピョンと飛び跳ねたり、ラジオ体操をするように身体を曲げたりして、身体に異常がないかを確認した。今のところ、身体の動きに違和感はない。
「それにしても、アラーニェは一体どこから入って来たんでしょう……。アラーニェは深い森に棲んでいて、人の多い場所を嫌うんです。私は魔法学園の授業で標本を見ただけで、生きているアラーニェを見たのは今日が初めてです。王宮には生息するはずのない蜘蛛なんですが……」
アリエッタはそう言うと、床に落ちていたアラーニェの足をハンカチで包み、それを持って部屋の出入り口へ向かった。
「ソフィア様。私は今から、王宮守衛本部にアラーニェの出現を報告してきます。おそらく、王宮の他の場所にアラーニェの巣がないかを確認するため、王宮全体に外出禁止令が出されると思います。ソフィア様は絶対に、この部屋から出ないでくださいね。先程、部屋全体に光魔法を放ったので、ここが一番安全だと思います」
私はアリエッタの言葉にコクリと頷いた。すると、アリエッタは部屋を飛び出すようにして、王宮守衛本部に向かった。
──なんだか凄いことになっちゃったな。まあ、私には何もできないけど……。部屋から出ないように言われてるし、少しベッドに横になって休んでようっと。安心したら眠くなってきたし……。
私はベッドに移動して、その端にちょこんと腰掛けた。すると、ちょうど股の間の太腿に、チクッっとした痒みを感じた。先程までは全く痒みが無かったにも関わらず、徐々にその痒みが増してくる。
……え? まさかね……。こんなところ、アラーニェに刺されてないと思うけど……。
私はスカートの上から痒みを感じる部分を押さえる。しかし、その痒みは全く収まらない。その状況に、私は段々と心配が増してきた。
……今ならこの部屋に誰もいないから、少しだけ、はしたない真似をしてもいいよね?
私は靴を脱いでベッドの上に乗ると、膝立ちになった。そして、部屋の出入口に背を向けると、スカート(スカンツ)を下ろして、股の間を確認した。
…………。
…………。
…………ぇ?
…………。
…………。
…………刺されてるっ!!!! いや、これ、噛まれてる!!??
そこには、虫の鋭い歯で噛まれたような小さな跡が二つ、クッキリと残っていた。どう見ても、自然にできた吹き出物などではない。
──これ、アラーニェの噛み跡じゃない!? 私、もう死んじゃうの!? こんなにピンピンしてるのに!? 転生初日なのに!?
私がベッドの上で、あられもない姿のまま顔を真っ青にして落ち込んでいると、枕元に、蓋が開いたままの小さな編み籠が転がっていることに気付いた。
私がその籠を手に取って中を見ると、そこには小さな木の実がいくつか入っていた。前世の経験から、それは生き物に与える「エサ」に見えた。……つまり、その籠は、何かの生き物が逃げた後の「虫かご」だと感じた。
…………。
…………。
……あは。まさか、ね?
私はすぐにカポッと蓋を閉じた。そして、その虫かごをポイっと、膝立ちしているベッドの上に落とす。
…………。
…………。
……見なかったことにしよう。夢だ、これは夢。全てが夢!
…………。
…………。
……ダメだ! 夢じゃない!! 絶対これ、「虫かご」だ!!
私はこの瞬間、色々と悟った。
……何やってるのよ、このバカ王女。
目の前の虫かごが、昨日までどうやって使われていたのかが、私の目の前にカラー画像で蘇る。……いや、カラーでなくてもいいんだけど、大方の想像はついた。そして、私のその想像は、おそらく正しい。
──この籠にアラーニェが入ってたんだ……。昨夜、何かの拍子にアラーニェが逃げ出して、この布団の中でバカ王女が噛まれて……。そして、王女はアラーニェの毒で亡くなった……。
私は心から納得した。つまり、私は、亡くなった王女の身体に転生してきたのだ。
この世界に転生してきた時から、元の王女の意識がどこに消えたのか、私はずっと気になっていた。バカ王女とはいえ、私が彼女の身体を乗っ取ったのであれば、大きな罪悪感があった。しかし、この状況から考えると、私が転生してきた時にはもう、王女の意識は無かったことになる。
──この身体の持ち主のソフィア王女には悪いけど、王女が既に亡くなっていたのなら、私は気が楽かな……。元のソフィア王女も、どこかの異世界に転生して、元気に生活していますように……。
私は不謹慎ながらも、転生時に王女が死去していた可能性が高いことに、心から安堵した。
そして、私がソフィア王女に思いを馳せながら、あられもない姿のまま天に向かって祈っていると、部屋の出入口から「バタン!」という大きな物音が聞こえた。
私が驚いて振り向くと、アリエッタが飛び込むように部屋に入ってくるのが見えた。
「ソフィア様っ!! 今から王宮聖職者が来て、この部屋全体にもう一度、アラーニェを完全退治する魔法を掛けます!! 今すぐに部屋を出ますよ!!」
「きゃぁ~~~っ!!!!」
私は慌てて、一気にスカート(スカンツ)を上げた。そして、見られるとヤバい編み籠を、近くにあった引き出しに急いで放り込んだ。
「えっ!? ソフィア様!? こんな時に、ベッドで何をしているんですか!?」
「アリエッタさん!! ノックぐらいしてくださいよっ!! 私、今、服を脱いでたんですよ!!」
私は心臓をバクバクさせながら、顔を真っ赤にしてアリエッタに叫んだ。ちなみに、私の心臓がバクバクしているのは下着を見られたからではない。……全ては「虫かご」のせいだ。
──転生前の王女がアラーニェを持ち込んでいたなんて、ぜ~~~ったいにアリエッタさんに言えない! 言ったら終わりだ! 私はすぐに王宮から追放される!! 間違いなく、速攻で「廃嫡」になっちゃう!!
私が涙目でアリエッタを見つめていると、アリエッタは申し訳なさそうにして、私に頭を下げて謝った。
「お取込み中、大変失礼いたしました。……でも、その……、どうしてスカートを下ろして、天に向かって祈りを捧げていたんですか?」
……え? それ、聞いちゃう?
「……アリエッタさん。いくら専属侍女でも、女性に聞いてはいけないことがありますよ?」
私はアリエッタの勘違いを狙うことにした。不本意だが、「下着で天に祈る王女の姿」に、アリエッタの意識を持っていくように仕向けた。絶対に「虫かご」に気付かせてはならない!
アリエッタは私の言葉に驚くような表情を浮かべると、両手を頬に当てて、顔を真っ赤にしたまま目を泳がせた。
「そっ、そうですね……。お楽しみ中、すみませんでした。ソフィア様もお年頃ですもんね……」
……なんとなく、アリエッタは、私の予想以上に恥ずかしいことを考えている気がした。私の尊厳を守るためにも、アリエッタが想像した内容を、後で確認する必要がありそうだ。
「……あっ! こんなことをしている場合じゃないです!! ソフィア様っ!! さあ、早く部屋を出ますよ!! この部屋の浄化を行うために、王宮聖職者の方々がお待ちです!!」
アリエッタは、急いで私の手を引いて部屋を出た。すると、すれ違うように、神官らしき人達が数人、私の部屋に入っていく。その衣服は、今まで見てきた王侯貴族と異なり、前世のような神官らしい服装だった。
そして、しばらくして、閉めた扉からも光が漏れ出るぐらいの魔法が部屋全体に掛けられるのが見えた。一瞬で虫を退治するバルサンのような魔法だろうか?
「……それにしても、一体どこからアラーニェが侵入したんでしょう。もしかして、他国のスパイがソフィア様の暗殺を……」
私はアリエッタのその言葉に冷や汗をかきながら、「うーん……、そうかもしれませんね。私、人気があるのかも?」と答えるのが精一杯だった。
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