第62話 初めての冬へ(その5)
部活は1時間程で切り上げた。雪の降りが極端に激しくなってきたからだ。部のみんなはいそいそと帰り支度をして、お疲れ様でした、と帰路に着く。
僕は、長靴で雪を踏み固めながら学校の敷地から外へ出た。
概ね、車道も歩道も融雪装置が施されているので、歩く幅のスペース程度は雪がばしゃばしゃしたシャーベット状になっており、長靴を履いていれば楽に歩ける状態だ。けれども少し細い歩道になると、融雪装置はなく、小学生の頃そうだったように、人が歩いて雪が固まった部分をなぞって歩くようにしなくてはならない。そのポイントを踏み外すと、ずぼっ、と長靴が雪にはまってしまう。それぐらい、久しぶりの大雪になりつつあった。
おばあちゃんの古い木造の家の前の歩道は広いので融雪装置がある。この雪で融雪装置がなかったら、おばあちゃんの家の前の除雪は誰がやればよいのだろう。
そんなことを考えながら、おばあちゃんの家の方向へ向かって歩いた。
そういえば、何年か前、町内で、お年寄りの一人暮らしの家の除雪を町内の人でやったらどうかという話が出たことがあったらしい。その時に、こんなことを言った人がいたそうだ。
「その家の若いもんは、みんな死んだのか?」
いや、都会で勤めているはずだ、とか、県内にいるけれども若夫婦と子供らだけで核家族の生活してて、親の家には顔も見せん、とかいう事情が大半だったらしい。
「なら、まず、その若いもん共がこっちに帰って来て、除雪すりゃよかろう」
こう言った人が冷たいのかどうか、僕は分からない。けれども、お年寄りたちだけの家ができてきたのは、出て行った‘若いもん’の意思だけではなく、究極的にはお年寄り自身が‘まあ、いいか’と受け入れた結果ではなかろうか。ひょっとしたら、半ば老人虐待とイコールのような激しい強制でお年寄りに‘核家族化’を迫った若いもんもいないとも限らないけれども。
その年は結局雪がそんなに降らず、ボランティア除雪の話もする必要が無くなったのだけれども、今年はどうもそうはいかないようだ。
こんなことを考えている内に、そろそろおばあちゃんの家に着くだろうと思っているのに、なかなか目標物が見えてこない。雪が積もって景色が変わったせいだと思ったが、もうじき見えてくるはずの左斜め前の風景に妙な違和感がある。
‘あのお寿司屋さんの建物、あんなに大きかったろうか’
まだ日没前だけれど、雪と空を覆う、この地方独特の冬の分厚い雲で夜のようになった空の下、準備中のお寿司屋さんの入り口から、中で仕込みをやっているであろう店内の灯りが外にこぼれてくる様子を見て、単純に、こう思ったのだ。
「・・・・・・」
けれども、僕は、お寿司屋さんの手前で、言葉が全く出なかった。僕は、そこそこ驚いたときは、一人でも、‘えっ’とか‘うっ’とか、口に出すか心の中でか、何らかの驚嘆の呻きをするはずなのだ。
なのに、僕は、口にも心の中にもなんの呻きも出なかった。‘無音’で驚いた。僕の家のおばあちゃんが亡くなった時ですら、こんな状態にはならなかった。
お寿司屋さんの手前、には、車が停まっている。1台だけではなく、5台。そして、雪も積もっていない。車のタイヤの下を、降り始めでガンガン作動している融雪装置の水がどぼどぼと流れている。
僕の真正面の空間に、やや高層のアパートがある。こうしてみると、ああ、おばあちゃんの家の裏は、そういえばアパートだったんだな。裏側に窓があったら、おばあちゃんの家の中がアパートの住人から丸見えで困ってたろうな、と、そんな感想を、今この局面で持つ僕は、冷静と言えるのだろうか。
おばあちゃんの家が跡形も無くなって、コインパーキングが、そこにあった。
おばあちゃんの家があったので今まであまり意識していなかった裏のアパートが、コインパーキング分の空間を置いて、大通りから良く見える状態になっていた。
理由は僕には把握できない。ただ、目の前の事実を把握するだけだ。
おばあちゃんの家はもう、ない。コインパーキングが、ある。おばあちゃんは、ここにはいない。
そして、‘理由’は想像するしかない。おばあちゃんは身内に引き取られたのか。病院や施設に一人で入っているのか。それとも。亡くなってしまったのか。
僕は、5分ほどそこに立ったまま、コインパーキングの敷地全体を焦点を合わせないような感じで、見ていた。
ふっと、見ると、コインパーキングのゲートの上に防犯カメラがあるのが目についた。僕は、自分がなんだか犯罪者のような気がして、その場を離れた。足はなぜか、今来た方向を戻り始めるように動いていた。僕は、犯罪者が街の中を歩くときはこうなんだろうな、というくらいこそこそした心で歩き続けた。
僕は、おばあちゃんから貰った‘かきやま’をお供えしたお地蔵さま・お不動さまの祠のある民家の前まで来た。
「ああ・・・」
今度は声が口をついて出た。
祠の場所には雪が積もっていた。祠の上に、ではなくて。
祠があったはずのその場所の上に、雪が積もっていた。事実だけを把握する。
祠はもう、ない。お地蔵さま・お不動さまももう、そこにはおられない。
僕は、傘をたたんで新雪の上に置き、手袋を外し、しゃがんだ。本当はそんな挙動をしているのをこの民家やこの近所の人に見られたら嫌がられると思ったけれども、どうなっても構わなかった。僕は、素手で祠があった辺りの雪を、ざざっとどかした。長靴をはいた足でずらすのはいけないような気がしたので。
コンクリートが雪の隙間から見える。水に濡れていてやや分かりづらくはあるけれども、祠のあった場所のコンクリートは周囲のコンクリートの色と違っていた。汚れておらず、新しいコンクリートがそこに流し込まれたのだと認識できた。
では、理由は?
お地蔵さま・お不動さまは、どこかのお寺に移られたのか?それとも・・・?
僕は、どうなっても構わない、という勢いで、民家の格子戸を叩いて中の人に訊こうとする直前の動作まで至った。けれども、その時、ライトをつけた車が、雪のせいで音静かに背後から通り過ぎて行ったのをきかっけに、気持ちの昂ぶりが凪いだ。
僕は、雪をよかして濡れたままの手に手袋を着けた。歩き始めた。
なんだか分からないけれども、右の眼尻に涙が滲んだ。
そういえば。お母さんも何故だか右目の眼尻に涙を浮かべていたな、と、そんなことを思い出した。




