第58話 初めての冬へ(その1)
高校入学以来、朝、歩き続けてきた、デパート横の通り。神社の境内。おばあちゃんのいる木造の古い家の前あたりの歩道。幾種類もの街路樹の落葉が目立ち始める季節、大抵の風景はほとんど変わらないのだけれども、定点観察をしていたとしたら、一つだけ欠けているものがあった。木造の古い家の中にいるはずであろう、おばあちゃんの姿が、途絶えてしまっている。もちろん、僕は定点観察をするまでもなく、おばあちゃんを見かけなかった日が何日続いたか、と気にかけていた。様々なことを想像した。一番いい想像が、少し寒くなってきたので、窓を開けて幼稚園・小学校の小さい子たちの姿を見るのを、しばらくお休みしているだけではないか、というもの。ちょっと悪い想像が、病気でしばらく入院でもしているのかな、というもの。もう少し悪い想像が、実は老衰がひどくなり、独り暮らしをもうさせておけないと考えた身内が、介護施設に入れてしまったのではないか、というもの。
ただ、どれもあくまで想像であって、おばあちゃんが独り暮らしなのかどうかも分からないし、健康なのかどうかも分からない。
もうすぐ冬も深まってくるであろう、11月の10日過ぎ、その日、目が覚めると、雨が激しく降っていて、気温も急激に下がり始めていた。すぐそこまでいらして祝詞を上げて下さっているであろう神様にご挨拶しようと窓を開けると、自分の吐く息が白く外へと流れて行った。
今朝は何かいつもと違う感じを受けた。気温は昨日までと違う。天気もここ何日か晴れが続いていたので違う。でも、そういうことではなく、街全体の雰囲気が、何だかいつもと違うような気がする。
僕は、いつもの時間に出かけようとしていた。お父さんと一緒にご飯を食べている時、お父さんが、突然、こんなことを言った。
「雨だけれども、雨が降っているんじゃないような気がする」
僕は、お父さんの言う意味が分からず、え?、と聞き返してしまった。
お父さんは、いや、ごめん、と言って、またごはんを食べ続けた。
お父さんとの会話はこれだけだった。けれども、何だか会話の長さ以上の行間があったような気がして、僕の心の中に、不安と安心とが4:6くらいで植えつけられたような気がする。
玄関を出て、いつもの道を歩き始める。デパート横の大通りを通り、神社に向かう真っ直ぐの道を、今日はお日様に背中を後押しされることもなく、曇天で土砂降りの中、木造のおばあちゃんの家の付近へと歩いて行った。
今日も、幼稚園の小さな可愛らしい子達や、小学校低学年の元気な子達はいるはずだった。
土砂降りなら、幼稚園や学校指定の黄色いレインコートを着て、晴れの日とは別の可愛らしい姿を見せるはずだった。
けれども、なぜか、今日はおばあちゃんの家の付近には、人影が無い。大人も子供も誰もいない。ただ、大通りをいつも通りの車の量が行き交っているだけだ。
雨降りで、通園や通学の時間が微妙にずれているのだろうか。いや、以前も土砂降りの日は何回かあったけれども、そんなことはなかった。
右斜め前方に、おばあちゃんの家が近づいてきた。もうすぐ前にかかる。僕は、おばあちゃんがいつも子供たちを眺めていた窓の方を見ていた。窓は閉まったままで誰の顔も見えない。このまま通り過ぎてしまうのだろうかと思った瞬間、
「あんちゃん、あんちゃん」
僕は右斜め前方の窓の部分を見ており、自分よりも少し後ろの方からその声がかけれらたような気がした。
けれども、その声は、僕の真横から、右の耳に掛けられた声だった。
右真横からの声、と分かったのは、ちょうど僕の真横に玄関の引き戸が50cmほど空いていたからだ。でも、僕は咄嗟には誰の声か分からず、一瞬、目をうろうろさせた。
ようやく視線が下に落ちた時、そこに、多分、あのおばあちゃんと思われる人が横座りのような恰好で座り込んでいるのが見えて、初めて、ああ、この人の声だったんだな、と気づいた。
状況から考えて、この人はあのおばあちゃんだ。
けれども、本当に、花の鉢を傍らに、窓から小さな子達を笑顔で見ていたあのおばあちゃんなのだろうか。
窓にいた時にはきれいに結われていた髪は、くしゃっと、なっている。
座り込んでいる土間の脇には、新聞紙がくしゃくしゃと無造作にばらまかれているように見える。そして、見るともなしに見てしまった玄関脇の部屋には、ごみとごみ袋がかなりの量、散らかっている。
ああ、やっぱり、独り暮らしだったんだ、と、謎解きの答えが出たような不思議な感覚と、ああ、なんて憐れなのかというまっとうな感覚とがあり、どちらも、僕の本心だった。
これらのことを、2秒ほどで急速に理解した僕は、おばあちゃんの言葉を待つ余裕があった。余裕?
実は、僕は、これらのことを、分析的に理解し、冷静に対処しようという、そういう感覚を持っていた訳では決してなかったのだ、と、今になれば、はっきり分かる。それは、つまり、こういう感覚だったのだと思う。
‘どうなっても、構わない’
ついこの間、太一が言っていたこの言葉。
お父さんのうつ病のことなのか、16歳という僕の年齢の漠然とした不安なのか。それとも、久木田のような人間達とのやり取りを忘れ切れないからなのか、なんだかよく分からない部分が多いけれども、
‘どうなっても、構わない’
この感覚があったのだと思う。
だから、その後の行動も、深く考えずに取ったのだろうと思う。
おばあちゃんは、あんちゃん、あんちゃん、と言った後、僕が何か質問を挟む時間もないくらいの間合いで、次の言葉を言った。
「角曲がった所のタバコ屋の自動販売機で、サイダー2本ほど買って来てくだされ」
と、おばあちゃんは、言ったのだ。
おばあちゃんは、手に千円札を持っており、それを僕に差し出した。
‘どうなっても、構わない’という感覚で、ぼうっとして千円札を受け取り、はい、と言ってから、傘をさして、隣のお寿司屋さんの角を曲がるとすぐにタバコ屋と自販機があった。
僕は、脳に膜がかかったような状態で、自販機で売られている飲み物の種類を見た。
サイダーそのものはない。おそらく、お年寄りなので、炭酸飲料全般を‘サイダー’と表現したのだろうと解釈した。
千円札をしゅるしゅると自販機のお札投入口に吸わせ、おばあちゃんが言う‘サイダー’のイメージに近そうな、グレープの炭酸飲料を2本買った。おつりを持って急ぎ足でおばあちゃんの所に戻った。
飲み物をおばあちゃんに手渡しする。おばあちゃんは、受け取るとその2本とも土間に置いた。なぜ2本か。僕は、おばあちゃんが、飲料水もろくになく、この2本を今日一日かけて飲むつもりなのだろうと想像した。そして、僕に頼んだ理由は、歩いて買いに行くことができないほど足が弱っているのだろうと考えた。
僕は、おつりを渡そうとした。
「お礼に、取っといて」
受け取ろうとしないが、そういう訳にはいかない。もう一つ白状すると、地方とは言え、県庁所在地の、市で一番大きな老舗デパートから神社へ向かって真っすぐ進む大通りにあるその家の玄関で、通学・通勤時間のさなかに起こっているこのやりとりを気味悪く思ったのだ。おばあちゃんが、ではない。状況が気味悪かったのだ。強いて言えば、場所・時間は現実そのものだが、この土砂降りは現実離れしているかもしれない。そして、そもそも、この大通りに、この古い木造の家があったことそのものも、現実離れしていたのかもしれない。
けれども、僕は、この状況を結局は受け入れて、自販機で飲み物を買ってきた。ぼくの精神状態が、‘どうなっても、構わない’というものだったからだろう。
僕は、ううん、という感じで、おばあちゃんの掌に、じゃらっと、つり銭を渡した。
おばあちゃんは、そんなこと言わんと、という感じでいたが、雑然としている土間の横の部屋にすっと左手を伸ばし、透明なかさかさした袋を掴んだ。
「せめて、これ、取っといて」
僕の前に示されたのは、‘かきやま’の袋だった。
自分が小さな頃からローカル番組なんかのテレビCMで流れていた、地元のおかき・せんべいメーカーが作った‘かきやま’だった。
僕は、んー、と思ったが、始末のつけ方がひとつだけ心に浮かんだので、
「ありがとうございます」
と、そのかきやまを受け取った。
「また、頼むね」
おばあちゃんがそう言ったので、ああ、この状況は、おばあちゃんにとってはそこまで切迫したものではなく、また次の機会、みたいな感覚で話せる内容なのだろう、と感じ、少し安心した。ひょっとしたら、僕が窓から子供たちを見るおばあちゃんの笑顔を見ていたように、おばあちゃんは、いい若いもんのはずの僕が、とぼとぼと俯いて神社の方へ向かって歩いて行く姿を見ていたのかもしれなかった。それこそ、さつきちゃんが、僕を何度も神社で見かけていたと言ったのと同じように。
けれども、瞬間、僕の心に、こんな想像が電気的に点滅した。
この家の男の名前の表札は、おばあちゃんの旦那さんのものだろう。2人の間に子供がいたのか、孫がいたのかは、分からない。
もし、いたのだとしたら、色んな経緯はあったのだろうけれども、今、こうして独りで暮らしていることは、おばあちゃん自身の蒔いた種だ。仮にそこまで言うのが酷だとしても、さつきちゃんのおばあちゃんやお母さんとはまた違った生き方をしてきたことは否定できないのだろう。
けれども、僕は、とても悲しいような、このおばあちゃんが愛おしいような、反面、このおばあちゃんの境遇を、冷たいくらいに冷静に見つめるような自分がいて、自分自身がいたたまれなかった。
そして、‘どうなっても、構わない’という気持ちからか、こんなことを言ってしまった。
「神社の方に向かって、手を合わせとってください」
‘合わせとってください’というのは、おばあちゃんの昔人間らしい語り口がついうつった言い方だった。こうしたらあなたは助かるんじゃないか、という感じで言ってしまったような気がする。
「そんなこと・・・・」
おばあちゃんは、そう言った。・・・の後に続く言葉はそのまま出て来なかった。僕は、こんな状況の中、突然に、学校に遅れないかという、現実的な思考が浮かんだ。
こんな中途半端な、尻切れとんぼの状況ではあったけれども、僕は、思わず、‘かきやまの袋を持ったままで、おばあちゃんに向かって軽く手を合わせ、目を閉じた。それを挨拶にして、僕は玄関から、神社の方へ向かって歩き始めた。
歩きながら、僕は、さっき合わせた手を、心の中でまだ合わせたままでいた。
隣の鮨屋の戸を開けて、‘横の家のおばあちゃん、見ててあげてください’、と言おうかとも思った。けれども、僕は、そのまま神社に向かって歩き続けた。
正面の鳥居前の横断歩道を渡って、ノンストップで鳥居をくぐり、お社にお参りをした。
僕は、少しだけ急いでいた。夏休みの、自主トレ系マラソン部のチェックポイントにしていた、ここから200mほど離れた別の神社へお参りし、その先にあった民家の、真新しい格子戸の軒先におられた、お地蔵さん、お不動さんの所に是非とも行くべきだと、直観していたからだ。
僕は、速足で歩いた。できれば走りたかったのだけれども、この土砂降りで走ると、防水の効いていないバッグの中のテキスト類が濡れて全滅する恐れがあった。
速足の方が、足の筋肉が余計にこわばる。僕は、足がつりそうになるくらいに力を込めて歩いた。神社の横から境内に入ってお参りし、すぐに民家の軒先に向かう。
その軒先の雨樋からは、通常の水の流れではなく、ドバドバと水があふれて、雨樋自体が滝の製造装置のような形になっている。
お地蔵様、お不動さまの祠を見ると、ガラス扉の中に、ペットボトルのお茶がお供えしてあり、ローソクに火がともされていた。僕は、傘を肩に立て掛けるような恰好でさしたまま、左手の薬指と小指でバッグをひっかけて持ち上げ、バッグのポケットから財布を取り出した。お賽銭を入れ、ローソクの火を消さないよう、風の吹き入り具合を確かめながら、ガラス扉を開けた。自分の体を盾にして、ローソクの火を守る。
かきやまの袋の置き場所を探し、ここなら邪魔にならなそうだ、というスペースに、かきやまをお供えした。
僕はガラスの扉を閉め、そのままの態勢で手を合わせた。
僕は、‘縁’、というのがきれいすぎるとしたら、‘因縁’、とでもいうようなものを感じた。
このかきやまは、僕のお供えものではない。あのおばあちゃんのお供えものだ。
あのおばあちゃんが、神様や仏様とどういった縁があったのかは、分からない。でも、僕の体そのものは、どういう訳か、今、神社を経て、お地蔵さん、お不動さんの前にある。そして、僕はトランスポーターとして、かきやまをお供えした。
もし、僕が、かきやまではなく、700円ほどのつり銭を受け取っていたとしたら、それでも僕の体は、お賽銭を運ぶトランスポーターとなったのではないだろうか。では、かきやまとお賽銭では、どちらがおばあちゃんにとっては功徳となったのだろうか。それは、僕には全く分からない。お金は受け取れないけれどもお菓子はいい、みたいな、僕ごとき人間の浅知恵は、結局、あまり役に立たないような、そんな気がした。




