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月影浴1 おつきさま  作者: @naka-motoo
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第33話 スピードをつける(その9)

 今度は山を下る作業だ。走り幅跳び専門とは言え、長距離を走る際の注意点をある程度は心得ている。下りこそ足腰が苦しい。呼吸は落ち着くには落ち着く。また、小学校低学年の頃ならばこれくらいの下り坂を全速力で笑いながら駆け下りても、何事もなかったように連れ立って走り下りた友達とがやがやと喋っていることができただろう。しかし、まだ16歳ではあるものの、自分の体はもっと‘若かりし’ころと比べれば、ガタがきている。いや、というよりはもしかしたらデリケートになったのかもしれない。急な下り坂で勢いに任せて駆け下りると、16歳のデリケートな膝が、足首が、痛めつけられるのだ。僕は、随分昔に読んだ、不良だが合理的なトレーニングを行う高校野球のピッチャーが主人公の漫画を思い出した。雨で外での練習ができない日、一人が他の部員を背負い、校舎の中の階段を駆け上がって足腰を鍛えるトレーニングだ。そして上まで行くと今度は入れ替わって背負われていた部員が背負っていた部員を背負い、今度は階段を駆け下りる。そのトレーニングの時、不良のピッチャーは相手が先輩であろうと、絶対に負ぶって駆け上る役をやらない。その代わり、負ぶって駆け下りる役は自分の番でなくとも、横取りしてもやるのである。不良のピッチャーは先輩や同輩に、「上る役をやっても根性がつくだけで、なんにもならない」と切って捨てるのである。先輩方は生意気な奴だとは思うが、ピッチャーとして、シュアなバッティングをするクリーンアップとして、実力を見せつけられている相手であるということと、不良であるということで、何も言えない。そんなある日、その不良のピッチャーが、学校の近くの十数階建ての高いマンションで、独りでエレベーターで上に登っては階段を駆け下りる作業を繰り返している様子を先輩の一人が偶然見かける。駆け下りる作業の方が遥かに足腰を鍛えるということが先輩にも分かる。限られた高校三年間を使って最大限の効果ある練習をしようと思えば、階段を一回駆け上がっている暇に、三回駆け下りていた方がいいという超合理性だ。

 僕は、こんな話を瞬間的に思い出しながら、つまり、下りは特に膝にとってとてつもなく負荷のかかるものだと納得して下り始めた。

 速すぎても、反対にゆっくりすぎても余計に膝に負担がかかる。いっそ、歩こうかとも思ったが、9月に走る白井市の10kmのコースには白井川という一級河川にかかった、急勾配の大橋を登って下るコースがあることを知っていたので、やはり走って感覚を掴んでおく必要があると考えた。その大橋は、まっすぐではなく、カーブして架かっており、そのため、直線ではない分勾配が若干緩められるけれども、代わりに登り切った後の下りがとても長い距離になる。

 僕は、目の前にある山の下りコースを、一番足の加減がよいように、意識して下って行った。

 山を下り終わると、今度は市内でも一番交通量の多い道路の左脇の歩道を走る。この道もしばらくは下りが続くので、要注意だ。

 夏のAM6:00過ぎ。早い時間なので、車の量は少ないだろうと思っていたが、意外にもかなりの車が、走っている。考えてみたら、休みなのは僕たち学生だけで、皆、平日の朝、仕事や様々な活動を始めているのだろう。僕のお父さんも、今日もまた会社に出かけるはずだ。

 下った後、また、上り坂となる。明らかに上りの方が足の調子がいい。

 しっかりと足に力が加わっている、という感じがする。歩道橋のある交差点で一旦赤信号を待ち、青に変わると待ちかねたように足を交互に動かし始める。僕は、今度は瞬間的に、以前読んだ小説のワンシーンを思い出す。走るとは、体を前傾し、倒れる前に足を前に出し、次にはまた倒れる前にもう片方の足を前に出すのだ、という描写があった。これは、姓が同じ、両名ともに素晴らしい小説家の、最近はあまり小説家としては注目されていない方の人の作品だったのだが、本当に美しい、でもちょっと残酷なにおいのする脳に残る表現だった。

 この小説のように恰好良くはないが、僕は、倒れないように、足を前に出す作業を繰り返した。その内に、道路の右向こう側に、県内唯一の国立大学のキャンパスが見えてきて、その校門の前にある市電の停留所に、始発だろうか、市電を待つスーツを片手に抱えたサラリーマンが何人か立っているのが見えてきた。

 そこが市電の始発・終着であり、そこから道路の真ん中に市電のレールが走っている。

 僕は停留所のサラリーマンの人たちを顔を右に向けて眺めながら、今度は上り坂の先に続く、来る時に渡った橋よりももう一つ上流にある橋を視界に入れていた。

 橋の前の交差点を、今度は信号に引っかからずにストレートに進み、さっきの山ほどではないが、それでもかなり勾配のきつい、橋を上り始める。

 上る内に、随分と足に乳酸が溜まってきたな、と認識し始めた。早く上りが終わって欲しい、と、さっきまでは無かった感情が起きる。

 車が何台か脇を通り過ぎ、僕の正面から、さっきのサラリーマンの人たちを迎えにきた、一両の市電が近づいてきた。その直後、僕は橋の坂を上り切り、目の前に3,000m級の連峰が、がん、と現れた。さっき上った山から見たものとは明らかに違う、平野の向こうに突然そびえ立つ、という感じで、目の前にいきなり現れた。平野と連峰の麓の区切りの部分は見えないが、街並みの向こうに、車の向こうに、人々の向こうに、隣接しながらも、別次元の存在として、目の前にある。冬の空気ほどの透明度はないが、それでも、本当にくっきりと見える。そして、その背後から、ついさっき上り切ったばかりの朝日が逆光となって稜線を黒く塗りつぶしている。

 16歳の、高校一年生でしかない僕の、それでも、なんだか、思わず、頭を下げたくなるような不思議な感情。僕は、亡くなったおばあちゃんが、あの連峰は阿弥陀様の化身なのだ。あの連邦は、台風や地震の力を柔らかく吸い取り、わたしらにとって差し支えない程度、それこそ大難を小難に、小難を無難にして下さり、連峰はわたしらをお守り通しなのだ、と、おばあちゃんは、自分のことを自慢するように語ってくれた。

 この橋の上からの連峰は、市電や車の窓ガラス越しには見たことがあった。

 でも、自分の足で走り・立ち、橋のてっぺんに乗っかった、僕という身長の位置から、肉眼で連峰を見たのは、これが初めてかもしれない。パノラマ、というのはありふれた平凡な言葉だが、この、ただ今現在、自分が見ている風景の同時通訳のために使った瞬間、「パノラマ」という言葉は血の通った、僕だけのための言葉となった。

 僕は、子供の頃、山よりも海が好きだった。山はなんだか、出口の無い、先細りの寂しさを感じさせた。

 でも、今、僕は、山も、海も、好きだ。


 橋を上って下り降り、最初の交差点を右に曲がる。このまままっすぐ行くと、僕が朝の通学の時にお参りさせていただいている神社に、横側から行き着くのだ。このチェックポイントの間隔は一番長い。

 僕は、もう一息、と、ペースを落とさないように走った。

 

 神社に着き、手水で左手・右手と清め、口を漱ぐ。大鳥居の次に、境内の中にある鳥居の前でかるくお辞儀をして、お社に進み、お賽銭を入れる。二礼二拍手一礼をし、下がろうとすると、社務所の前で、真っ白な着物に紫の袴を穿いたいつもの装束の神主さんが、近所から来たお年寄りや小さな子供たちと一緒にラジオ体操の準備をしている様子が目に入った。

 あ、ということは今AM6:30頃、家を出て、もう一時間経ったのか、と思った。

 僕は急がなくては、と焦り始めた。実は、今日のゴール地点で、待ち合わせをしているのだ。AM7:00頃、という約束なので、急がなくてはならない。

 僕は神社の右側面の出口から出て走り始め、大鳥居の前の、日の出のお日様に真っ直ぐ正面に向かった、デパートに続く大通りを少し進んだところで、信号を渡って、右の脇道に入っていく。

 本当はこの大通りをデパートに向かって進めば、あの古い木造のおばあちゃんの家なのだが、次のチェックポイントの関係上、おばあちゃんの家には立ち寄らないコースにせざるを得なかった。

 次の神社は、通学の時にお参りさせていただく神社と200mほどしか離れていない。本当に住宅地の中に、いや、神社のおひざ元に氏子が住まわせてもらっているような所だ。

 僕は、お参りして、大通りではない、細い道で先ほどのパノラマとはいかないが、きらめくような日の出後のお日様と、それを逆光に受けて黒い美しい稜線を見せる連峰とに向かって先を急いだ。数百メートル進むと、ふっと、なんだかよく分からないけれども、急に右に顔を向けたくなった。

 僕が無意識に目を遣ると、真新しい格子戸の普通の民家の玄関の脇に、お地蔵さんのお堂があった。

 きれいに花が供えられ、線香も焚かれていた。小さなお賽銭箱もあり、木の格子の扉が開かれている。

 そのお堂は、道路には面しているが、どうみてもその民家の敷地内にあるお堂だった。

 僕は不思議に思ったし、なんだか、その民家やその近所の人たちから見ればよそ者の僕である、という意識が咄嗟に起こったが、そんなこととは関係なく、体が勝手に動いた。

 僕はお賽銭を入れ、手を合わせた。真ん中のお地蔵さんの脇に、お不動さんがおられた。反対の脇には、少し小さなお地蔵さんがおられた。

 僕は手を合わせたまま軽く頭を下げ、また走り出した。


 ゴール前の最後のチェックポイントは、僕の家の氏神様の神社だ。

 僕はお父さんに連れられて土日に来た時や、初もうでに来た時や、県内で一番人の出るお祭りに来た時や、かすかに記憶の残る、七五三の時のことを、境内に入るといつも思い出す。そして、今朝は、早朝、分身された氏神さまが、家の前で祝詞をあげてくださったのかな、とも思った。

 お参りし、走りを進める。駅の北口方向を目指し、ガード下をくぐる。

 6月の土砂降りの次の日、親水公園の向かいにある児童公園に行くために自転車でくぐった、あのガード下。

さつきちゃんに、「日向さんが、好きだ」と言ったことが急に思い出されて、思わず動揺するが、そんなことで怯んでいる時間はなかった。

 恥の感情を抱えたまま、走り続け、やっとゴール地点の親水公園の入り口にかかる。

 といっても、この公園は広い。約束の、芝生の広がる区域まで数百メートル走らなくてはならない。公園の中にある体育館前の広場に立っている時計を見ると、AM7:03だった。


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