1-5. 引っ越し? 同棲? それはどういうことでしょうか?
『「は?」じゃないわよ、アンタ。話聞いてる? っていうか聞こえてる?』
「聞こえてるって。聞こえてるけど、それとこれとは別だっての」
ネット回線は双方わりと安定しているので母さんや妹の声はハッキリと聞き取れている。こちらの声も向こうにはしっかり届いているはずだ。
残念なのは、尽く向こうの言ってることが理解できないことだった。
「引っ越しって何。え、それはいわゆる立ち退き的な?」
『違うわよ。純粋に引っ越しだって』
「じゃあ、何か。まさか家賃払えてなかったとか」
『お兄。それも結局立ち退きっていうんじゃないの?』
「いやまぁ、そりゃあ」
だって、立ち退きさせられることを疑っていないからな。そもそもウチが俺のような高校生男子を、こんな駅前のタワマン――ただし低層階ではあるが――に住まわせられるわけが無いと思っているからな。
『まぁ、もう決まっているから。どうせアンタ、そこまで部屋にモノ多くないんでしょ? 今日中だからそこら辺よろしくね』
「いや、別にそんなことないけど」
勝手に話が進められていく。
やたらと簡単に言ってくれる母だが、1ヶ月程度も住めば既に俺色の部屋だ。モノはたしかに多くはないが少なくもないと思う。マンガとかゲームとかもそれなりにあるし、しかも雑然としているし。
『え? 今、荷物はまとめ終わりましたって連絡もらったけど?』
「は?」
何を言って――。
――まさか。
出来る限り最速で柚寿希さんの部屋を飛び出し、靴も履かずに勢いそのまま外廊下へと出てみた。
「うわ、マジだ……」
俺の部屋は、既に引っ越し業者の手に落ちていた――。
いや、人聞きの悪い言い方かもしれないが許して欲しい。登記上は親の名前になっているだろうけど、あの部屋に住んでいるのは俺だ。せめて許可を取ってからにしてほしかった。
既に大きめの荷物すら部屋から続々運び出されているところ。一番手前に見えているのは、俺が愛用している机だろうか。机の上はわりとぐちゃぐちゃになったままだったはずだが、ここに運び出されているということはその辺りの整理も当然終わっているということだろう。
何という仕事の速さ。
唖然呆然と玄関先を眺めていたら、丁度出てきた引っ越し業者のお兄さんふたりからやたらと深い礼をされた。最敬礼みたいなことをする業者さんなんて見たことないけれど。
「あっ、……どもです、お手数おかけしてますぅ」
慌ててもごもご言いながら礼を返す。かくも哀しき陰キャムーブ。こういうときにハキハキと礼を言えたらカッコイイのにとは思うが、それが簡単にできれば人生苦労しないとも思う。
しかし業者さんはそこを意に介するつもりはなく、階下からやってきたお仲間さんといっしょに俺の荷物をどこかへ持っていくようだった。
――あれ?
よくよく考えたら、あそこを出て行くことになる俺はいったい何処へ行くことになるんだ? 何も聞いてないぞ?
「怜史さん?」
「え? ……ああ、柚寿希さん」
荷物の行く末を追いかけようかと血迷いかけたところで、涼やかな声がかけられて我に返る。玄関ドアから少しだけ顔を出した柚寿希さんだった。
「あの……お話には続きがありまして。こちらに戻っていただけると嬉しいです」
「あ、ああ、ゴメンね」
動揺は消えない。だけど、まだ話があるのであれば戻る他はない。おとなしく後についてパソコンの前に戻ればやはりというか何というか、母はしっかりと御冠だった。
『アンタはもう少し人の話を聞いてから動きなさいよ』
「仕方ないだろ、そんな。いきなり立ち退き……じゃないや、引っ越しとか言われて、しかも今見てきたら荷物全部運び出されてて……」
「あ、それでしたら、もし何か問題がありましたら私にお知らせいただければと思いますので」
「え? どうして?」
俺の荷物の話をどうして柚寿希さんに。
「怜史さんのお荷物の運び出しと再設置に関してはすべて深見グループが行っておりますので、もし何かありましたらすぐに言って貰いなさいとおじいさまから仰せつかっております」
「……は」
何ですと。
つまり、あれは――。
イヤもう何でもいいや、好きに料理してくれ。あれだけ丁寧な態度だったんだから、ミスなんて何も起きないだろう。
「……ということは、もしかして俺の荷物の行き先を知らないのは俺だけ?」
「そう、ですかね」
『そうなんじゃないかしら?』
いや、雑かよ。とくに母。
っていうか、母。柚寿希さんに水を向けられてその反応は酷い。
「えーっと……。どこなの、かな?」
探るように柚寿希さんに聞いてみる。画面越しの奴らはあてにならない。
「私たちもそこに向かいますけど」
「あ、そうなんですね」
それなら一応は安心できる。
「もう向かいますか?」
「……んー、いや。まだ大丈夫かな。さすがに搬入作業とかもあるだろうし、邪魔になったら申し訳ない」
「お優しいですね」
「いやまぁ……」
それは当然かなとも思うわけで。
「ところで、その行き先って?」
「はい。ここのペントハウスです」
「…………ぺんとはうす?」
上を指差しながら言う柚寿希さんに、鸚鵡返しのマヌケな声をかけてしまう。
知ってるよ、もちろん。ペントハウスが何なのかくらいは。
マンションなどの集合住宅の屋上にある建物で、そこが住居になっている場合は『ペントハウスアパートメント』というのが正確だけど通称として『ペントハウス』と呼ばれていて、一般的には他の区画とは明確に異なる贅沢な特徴を備えているという、あのペントハウスだろう。
――え?
「ペントハウス」
「はい、ペントハウスです」
ハッキリと鸚鵡返しされた。ウソでは無いらしい。
「このマンションのペントハウス?」
「はい、そうです」
「……ここ、そんなのあるの?」
「あります」
断言。
――どうしよう。
〇
お昼をやや過ぎたくらいになって、柚寿希さんのスマホに通知が入った。聞けば大きな家具の設置と大まかな荷物の配置が完了したということらしい。仕事が早すぎる。すごい。いくら俺の部屋の荷物が少なかったとしても早い。
ちなみにそれまでの間、俺はとてもいたたまれない時間を過ごす羽目になった。なぜって、そんなの簡単。母さんと妹と柚寿希さんで俺の思い出話を続けるもんだから、そりゃあいたたまれない。そんなことまで言わなくていいと押しとどめたり、何でそれを柚寿希さんが知っているのかと俺が驚いたり。そんなことをしている間に昼過ぎだ。それに気付いたとき、急激に俺を襲った疲労感をどこぞの誰かに押しつけたい気分だった。
「じゃあ、行きましょうか」
「……ハイ」
意を決して立ち上がる――と。
「これ、一旦スリープにして持って行った方が良いですよね?」
「あ! そうですね。怜史さん、お願いしてもいいですか?」
「もちろんです」
お安い御用過ぎる。
「じゃあ、また後で」
『部屋着いたらすぐね、すぐっ! なる早とかじゃなくてすぐに!』
「わーかった、わかった。後でな。ちょっと待っててくれな」
注文の多い妹だ。しかし、パソコンをパタリと閉じれば静かなモノ。アイツより幾分もお利口なヤツだった。
ほぼ手ぶらで来たので準備はもう済んでいるに等しい。柚寿希さんの到着を待ってペントハウスに向かうべくエレベーターに乗り込んだ――のだが。
彼女が押したボタンは地下1階、駐車場や車寄せがあるフロアだった。
「あれ? 下ですか?」
「ええ。ここのペントハウスには地下から直行のエレベーターがありまして」
「あ、そうなんですね」
「有事の時以外は他のフロアには止まりませんし、呼び付けられることもありません」
ヤバイ。相当な大金持ちが根城にするようなタイプの部屋じゃないか。
「ちなみに、エレベータを使用されるときには絶対にこのカードキーが必要になりますので、取り扱いには注意していただけるとありがたいです。というか、このカードキーがペントハウス自体の鍵になっていると考えていただければ」
「うっす」
カードキーを手渡されながら、変な返答になる。何か、ハイテクだなぁ――なんて小学生並の感想を漏らしそうになる。ついでにビビりすぎていろいろ漏らしそうにもなる。部屋に着いたらまずトイレに行こう。
そんなことを考えている間に地下1階に到着。そこから少し入り組んだ通路を抜けていけば、1階の正面玄関とはまた趣の違うエントランスがあった。しっかりとコンシェルジュが常駐するらしい。これならセキュリティ面も万全ということだろう。
「では、参りましょうか」
そう言って柚寿希さんはカードキーを取り出し、直通のエレベーターを呼んだ。




