2-1. エレベーターで向かう先は
やってきたエレベーターが俺たちを乗せて上昇を始める。
揺れなんかひとつも感じない。静かな動作。高いエレベータとかそういうのは全然分からないが、こういうところに付けられるモノはやはり何か特別な仕様になっているのだろうか。
――それにしても。
こうして他のことに気を紛らわせていないと、いろいろとマズい。
だって、柚寿希さんが、それはそれはぴったりと密着してくださっているものですから。
そこそこ広いエレベーターだ。大きな荷物の搬入出もここからできたりするのだろうか。だから、スペースのことだけを考えるのであれば、そんなにくっつく必要は無い。
それでもなおくっついてくれるというのは、そりゃあ嬉しいのだけれど。
壁面のインジケーターは階数表示では無くて具体的にどの辺りにいるのかを図示するタイプになっていた。何となくその動きを眺めていると、くいくいと小さく袖を引かれる。
見れば柚寿希さんが嬉しそうな顔で微笑んでいた。
これでドキドキしないニンゲンなんか居ない。間違いない。直視なんかできやしない。どんどん昇っていくエレベーターに合わせて、俺の心拍数も血流量も上がっていきそうだった。
どうにか我慢をし続ける俺などどこ吹く風、ゆるやかに上昇速度を緩めるエレベーター。扉が開けば、そこはもうエントランスになっていた。実質的にこのエレベーター自体が玄関の前室や風除室のような構造になっているらしい。
とはいえ、いきなり下足場になっているという構造ではない。今目の前に広がっているのは前庭のような空間――というか、もはや完全なる前庭。
いや、だって、何か枯山水的なヤツがあるんだもの。鹿威しっぽいのもあるんだもの。
――カコン。
ああ、わびさびの世界。
違う違う、そういうことを考えてる場合じゃ無い。
どういう仕掛けなんだ。今ちょうど水が少しだけ流れて動いたような感じがしたけれど。もしかしてセンサーか何かで動くようになってたりするのかもしれない。だとすれば来客や帰宅の合図のような感じになるのだろう。すげえな。
それにしても、ペントハウスって純和風建築なモノもあるのか。――あるか。別に絶対に洋風にしなくちゃいけないなんて決まりがあるわけでもないだろうし。
「怜史さん?」
「あ。……ああ、ごめんなさい」
見慣れないモノばかりな周りの光景を眺めているうちに柚寿希さんは先に歩を進めていた。慌てて後を追う。彼女はそんな俺をきっちりと待ってくれた上で、玄関ドアを開けた。
「お邪魔しま……すじゃなかった」
「うふふ……、でも新しく越してきた直後だとそう言ってしまいそうですね」
「そう……ですね」
一応は同意したけれど、俺の真意はそうじゃない。たしかに引っ越してきた直後は新居に対してある程度の余所余所しさは持ってしまうだろう。
でも、この部屋は、明らかに俺からしてみればクラスがおかしい。非日常の風景でしかない。喩えるならば、福引きか何かで偶然にも当ててしまった超高級ホテルの一室に通されたときの気分。俺は今まさに、そんな心境だった。
導かれるままに廊下を抜けて、どう見ても明るい一室へと進んでいく。エントランスのデザインが純和風だったので内部も純和風なのかと思えばそうではない。至ってふつう――いや、ふつうではないかもしれない。おしゃれでハイソサイエティなホテルの内装にしか見えない。そういうレベルの建物のインテリアだと考えればたしかに『ふつう』と言い切っていいのかもしれないけれど、これが住居だと言われるとさすがにふつうではない。
そこそこの長さの廊下を抜けていけば――。
「わぁっ……!」
「ひええ……」
とても楽しそうな柚寿希さんの声に、俺の情けない声が重なる。マジでただのノイズ。
でも、恐れおののいたときのような言葉が小さく漏れていくのも無理は無いと思う。
この部屋は、一体何畳? 何平米?
ここまで広い一室に入ったことがない俺からしてみれば、具体的な数字なんて皆目見当が付かない。実家のリビングで10畳ほどだった気がするが、その何倍だろうか。それくらいに広い。
遙か彼方先に見えると錯覚してしまうほどの向こう側にはアイランドキッチンとカウンターも見える。とてもシックな色合いは、先ほどお邪魔した柚寿希さんの部屋の配色に通じる部分がある。要するにここはリビングダイニングということらしい。
家具類もすでにしっかりと設置済み。ダイニングテーブルセットも、ソファも、良さそうなものではある。ただし、ただただ高価なブランドで一揃えという感じはない。――というか、よく見たらこのテレビ台は極々ふつうの家具店で売られているヤツじゃないか。めちゃめちゃデカいけど。ああ、それでも安心感。憩いの間。
しかし、このマンション自体各部屋は広い方だ。ファミリー向けの分譲フロアもあるし、俺が住んでいた部屋も独り用にしては広いと思う。
それらの部屋を全部ひとまとめにしたのがこのフロアだと考えれば、この広さには納得出来るのだが、理解が到底追いついてきてくれない。完全に置いてけぼりだ。
ここに本当に住むのか? 住んで良いのか? しかも、こんなに素敵なお嬢さんと?
――ぱしっ。
「えっ!? ど、どうしましたか!?」
「ああ、いや気にしないで。ちょっとした確認作業だから」
夢を見ているかどうかは自分の頬を抓ればイイと言うが、自発的に自分の頬へ平手打ちをしてみた。しっかりと痛い。つまりこれは夢ではなく、紛れもなく現実。
でも信じられないんだよなぁ……。
「まずは、どうしましょうか。怜良さんがすぐにこっちと繋いでほしいと言ってましたけれど……」
「あぁ」
そういえば愚妹は、エラそうにそんなことを曰っていた。もちろん繋いでやるのも吝かではないのだが。
「……いきなりだけど、先にトイレ行って来ても大丈夫かな」
「あっ、どうぞ! そちらの廊下からも行けますよ」
「ごめんね、ありがとね」
ダメだ。一瞬だけ緊張が緩んだせいで尿意が。
○
「メディアの中でしか見たことのない光景だ」
高級ホテルの洗面台にしか見えない。だからこそ家具類に指紋すら一切残さないほどに手を洗う。今までの人生の中でいちばん入念に洗っていると思う。
「お待たせしましたぁ……」
「大丈夫ですよ」
優しく出迎えてくれる柚寿希さん。
「じゃあ、怜良や母さんと繋いであげましょうかね」
「そうしましょうっ」
楽しそうだな。
もちろん、学校でも元気な声は聞いていた――というか、耳に入って来ていたとは思うけれど、それより幾分も楽しそうに感じるのは。いや、きっと気のせいだろう。俺自身そこまで彼女のことを知っているわけではないんだし。
『遅いよー!』
「ごめん待たせた。トイレ行ってた。めっちゃ綺麗だったわ。洗面台がホテルみたいで、鏡の縁に照明が仕込まれてた」
『いや、お兄のお花摘みに興味無いし。……女優ライト付き洗面台はちょっと気になるけど』
再接続直後、ごちゃごちゃと言われる前に牽制がてらしょーもない話をぶつけてみれば、案の定怜良は笑いながらそう答えた。よしよし、予想通り。
「じゃあ後で洗面台くらいは見せるよ。それで……、これ見えてるか?」
パソコンのカメラを部屋の全貌が見えるように動かしていく。すぐに『『おおー!』』というユニゾンが聞こえてきた。ホントに声もよく似てるんだよな、母さんと怜良。
『ってか、景色もやばっ! そこ何階なの?』
「えーっと……?」
「51階ですね」
『やばっ』「マジか」
階数までは聞いていなかった気がするのでチラッとだけ柚寿希さんに視線を送れば、すぐに解答が出てきた。やべえな。エリア51ならぬフロア51ってか。
『何でお兄まで驚いてんの』
「そりゃお前、わざわざ自分家より上の階数なんて数えないだろ」
この上に何フロアあるかなんて、いちいち気にして生きているわけがない。
『じゃあこれからは見下すの?』
「その言い方。上の階に住んでるだけで偉くはならんのよ」
『はーい』
言いながらもにまにまと笑っている怜良。ホントにコイツ理解してるのか?
「ごめんね、口の悪い愚妹が」『ごめんねー柚寿希さん、頼りにならない兄で』
「お前は少し黙れ」
マジで口が減らない。コイツの口の細胞を培養したら、きっと最高の潤滑剤が出来上がるんだろう。
「ふふふっ、仲がよろしいんですね」
「……ハハハ」
乾いた笑いを返すのが精一杯だった。




