1-4. どうやらエイプリルフールではないらしい
通話をスピーカーモードにされると、さすがにツッコミもしづらくなる。
ここはもう、空気になったかのように。何もいませんよ、誰もいませんよのノリで。とにかく自分を影も形も亡き者に仕立て上げることに全力を注ぐ。
もちろん、聞き耳はしっかりと立てて。
『今、どう? タイミングとか』
「バッチリですよ、おかあさま」
『ホント? 良かったぁ』
何が怖いって、やたらと柚寿希さんと母さんが和気藹々としていることだ。
このふたり、いつの間にそんな『柚寿希ちゃん・おかあさま』なんて呼べるような関係になっていたんだ。しかも話の流れからすれば、柚寿希さんの言うおかあさまは明らかに『お義母さま』と書くタイプのヤツだろう。
まさか俺だけが柚寿希さんと面識を持っていなかっただけという話か。
脳みそをぐるぐるさせながら、それでも何とかスピーカー越しの声に集中する。
『ね、言ったでしょ? だいたいお兄がグダグダ言って話なんてそんなに進んでないから、結構待っても大丈夫だって』
『さすがは我が娘。お兄ちゃんのことをよく解ってる』
思考が乱れる。
何か、またさらに聞き慣れた小生意気そうな声も聞こえてきた気がする。あの声の主ははどう考えても愚妹の怜良だ。
何で居るんだという疑問しか湧かない。アイツは部活に入っているはずだから、週末なんて何らかの活動があって然るべきだし、大型連休なんだから練習試合とかに出ていても不思議ではないはず。むしろ家にいることが不思議なくらいなんだが。
『っていうか、ウチの男連中が分かりやす過ぎるんだって』
我が家の最年少に、父さんごと思いっきり貶されてしまう。かくも情けなきかな桜森家の男連中。
『じゃあ柚寿希ちゃん、そっちの準備は大丈夫?』
「あ、はい。大丈夫です。持ってきたので今繋ぎますね」
「ん?」
『あ、コラ怜史』
「げ」
思わず声を出してしまった。速攻でバレる。――いや、さすがに地獄耳が過ぎるのでは。
『聞こえてるんならさっさと返事しなさい』
『お兄、また怒られてるぅ』
「うっさいなぁ……」
「ふふふ」
楽しそうな笑いを浮かべながら、いつの間にか柚寿希さんはノートパソコンを持ってきていた。いつの間にか自室から取ってきていたらしい。
「今アプリ起動しますので、ちょっとお待ちください」
柚寿希さんはそう言って液晶画面を起こす。画面には音声通話アプリのウインドウが既に表示されていた。準備万端というのはこのことらしい。
「……あの、怜史さん」
「え」
スッと俺の真横に来た柚寿希さん。俺が疑問に思うよりも早く、ふたり掛けソファの空いた方に座る。
ふわり。素敵な香り。
ふわり。触れる腿。
危うく、くらり。
「怜史さんはパソコンのキーボードを使うのは得意ですか?」
「……苦手ではないと思うます」
噛む。動揺しすぎだろ。フィクション作品のキャラクターじゃないんだから。
ではこれを――と差し出された紙にはIDとパスワードが書かれていた。なるほど、これを入力欄に突っ込めば音声通話が出来る、と。
しかしここまで話の流れを考慮すれば、この通話の相手が誰かなんてことは簡単に想像ができてしまう。全く気は進まないのだが、これをしないと話も進まない。
漢にはやらなきゃいけないときがある。
――ま、ダメなときはダメなんだけど。
カチャカチャと入力欄に打ち込んでいく。諸事情あってキーボードは苦手ではない。人並みよりはやや早いかもしれないくらいだとは思っているが、柚寿希さん的には充分だったらしくとてもキラキラとした目でこちらを見てくれていた。恥ずかしい。
「……はぁ」
ため息がちな深呼吸をひとつ。ちょっとだけ視線を遠くの方へと飛ばして気持ちを落ち着かせながら、エンターキーを『ッターン!』する。パソコン内蔵のカメラが起動して、画面に柚寿希さんとマヌケな顔した俺が映った。
間もなくして入室を表す効果音が鳴る。1ヶ月ぶりくらいに見る家族の顔が出てきた。
『『やっほー』』
そっくりな声が重なって聞こえた。決して向こうのマイクの調子が悪いとか、ネット環境が良くないとか、そういう理由ではない。母と妹の声があまりにもそっくりなのだ。若く見られたい母と大人っぽく見られたい妹。このふたりの需要が同時に満たされる要素のひとつだった。
『怜史、アンタ何ぼけーっとして』
「してない、してない」
単純にアンタら母娘を客観的に見ていただけだ。他意は無い。
『ホントだよ、マヌケな顔してさぁ。こんなキレイな人がお兄なんかのお嫁さんだなんて』
「……おい。『なんか』ってどういう意味だよ」
『別に? 他意は無いけど?』
こういうヤツである。
いろいろ言い返したいことはあるが、それよりも訊きたいことを優先する。
「っていうか、母さん。その許嫁の話ってウソじゃないんだよな? エイプリルフールじゃないんだよな?」
『何さ。アンタ、信用してないの?』
「そりゃあ、まぁ……」
俄には信じ切れないというか。
「今までそんな話、ウチでも1回もしたことなかっただろ。せめてそういう話を軽くでもしておいてくれたら、俺だって心の準備が出来てたんだからさ」
『だって、中学くらいまでのアンタに言っても無駄だし』
「ちょ」
そこまで言っちゃう? そこまで言い切っちゃう?
そりゃあ仲の良い女子もいなかったし、男子とアホ話ばかりしているような中坊だったことは否定しないけれど。
さすがに心がぽっきり折れちゃうよ? 周りがドン引きする勢いでガン泣きするよ?
『これ以上なく良い機会だしハッキリ言うけど、その話は本当だから安心しなさい』
「……マジか」
ある意味安心するし、ある意味全然安心できないんだけど。
「でも何でそんな……。ウチみたいな木っ端と、その……」
『言わんとしていることは解るけど、それはわざわざ口に出すことじゃないからね。アンタ、ムダに自分を貶めることは許さないよ。何よりも隣にいる柚寿希ちゃんのことを考えなさい』
「……う」
それは、たしかにそうかもしれない。
どうやら柚寿希さんが俺の将来の伴侶であることは本当らしい。恐らく、俺が自分を貶める言い方をすると、俺を選んでくれた柚寿希さんに対して失礼になる。
こういうところも含めて気を付けなければ。
「……それは解った。解ったけど、でもどこでウチと柚寿希さんの家につながりが?」
『ゆ、柚寿希さんだって……』
うるせえぞ。本人からそう呼べって言われたんだよ。プークスクスじゃねえんだよ。
『あー、それね』
俺にとってはかなりの重要度を持つ話題のはずなのに、どうにも適当な雰囲気を醸し出している母さん。何だろう、言葉は通じるのに話が通じないような、薄ら寒い感覚は。
『お父さんが美大卒なのは知ってるわよね?』
「まぁ一応」
『実はお父さんねえ、副業で前から工芸家やってたんだけどさ』
「……は?」
初耳なんだが?
――ああ、いやちょっと待てよ? そういえば週末にふらっとどこかに出掛けて、ふらっといつの間にか帰ってきている光景は見ていたな。
まさか、アレがそれか。
『たまたまお父さんの作品を目に留めてくれたのが柚寿希ちゃんの御祖父様で』
「お、……おぉお?」
またしてもとんでもなくやんごとない名前を聞いてしまったような気がする。
それって要するに、深見グループの会長ってことだよな。柚寿希さんの話の中にも出てきた、『ボクっ娘・柚寿希さん』の産みの親みたいな人。
『協業というか支援してくれるみたいなカタチになったときにいろいろとお話をして、それで偶然アンタと柚寿希ちゃんの話になって、じゃあ、そういうことでって』
軽くない?
『しかもアンタ、柚寿希ちゃんの従妹ちゃんを助けてあげたっていうでしょ? それが決定打ね。御祖父様がアンタのこと気に入っちゃって』
「いや、流れが軽くない?」
とうとう思ったことを口に出してしまった。
さすがに勢いに乗りすぎではないだろうか。たしかにこういうモノって勢いが大事だとか、その時流を見極めて乗るときはしっかりと乗るべきだとか、そういう話を成功者の談話みたいなので見たことがある気はするけれど。
そんなのが俺に直接関わってくるような場所で行われるなんて思うはずがないだろう。
『何よ。もっと喜びなさいよ。アンタホント失礼よ』
「んなっ」
『柚寿希ちゃんも、柚寿希ちゃんの御祖父様も、アンタを気に入ってくれたってことなんだから。……ねえ、柚寿希ちゃん?』
「はいっ! それはもう!」
マジっスか。
何もかも信じられないんですけど。
『で、よ。怜史』
「……何だよ」
『アンタ、引っ越しね』
――は?
『今から』
「は?」
――わけがわからないよ。




