第二話 工業都市ウルクス・蠢く幻影の鼓動①
車の後部座席に乗せられてどこかへ連れていかれる星の輝く夜の下。
ガタゴトと揺れる車内には、開かれた窓から涼しい風が舞い込んでくる。
なびく前髪。傷付いた額に染みる風は不快感よりもむしろ別の何かを感じさせてくれた。
俺は今も生きているんだよな……
サングラスの怪しげな男がハンドルを操作するのを見ながら、隣に座る白髪の女の子に訊ねる。
「あんたさ、なんで俺を助けたんだよ」
「うーん。なんでだろ」
適切な言葉を探すかのように首を傾げる少女。
「なんでだろって、理由もなく俺を助けたのかよ」
「そうだね。あの時は理由なんてなかった。単純で浅はかな考えだなって思ったよ。でもね傷ついてる人がいたら助けたいって、そんな普通の人間みたいなことを考えることが出来ちゃったんだもん。仕方ないよ」
「余計に訳が分からないな」
「いつかわかるよ。君にもいつか、人のことをもう一度信じることができるようになったらきっとね」
「ふーん、そっか。けど、今は難しそうだな」
人間という生き物はこの世で最も醜いものだ。
他人の領域に平気で踏み込み、そして悉くを奪い去る。
それが悪と知りながら行動を抑えることができない。
それは本能で生きている動物たちよりなおタチが悪い。
その本質がこの俺にも備わっているのかと思えば余計に忌々しい。
だけれど……隣に座る少女は違った。
この子はどこか人間味が感じられなかった。
人として機能が足りていない、のではなく人以上の存在だと錯覚してしまう何かがあった。
もしかしたらこの子は世界に光をもたらす天使なんじゃないか。そう思えてしまうほどに神秘的な雰囲気を纏っていた。
「……あんたは好きなのか。人間のことがさ」
すると白い少女は考える素振りもなく即答した。
「うん、好きだよ。確かにこの世には酷いことをする人もいるけれど、それが人間の全てだって思ってしまったら寂しいじゃない」
そして静かに微笑む。
「だって人間は、この世界で人間だけが『愛』を知っているんだから」
◇
相変わらず雪が降り続ける冬のような一日。俺とティアちゃんは朝から研究所を出て街へ買い物に出かけていたのだった。
目的のものはティアちゃんが欲しがっていた絵本。
元々は絵本一冊を買うためだけに俺は街に降りることになっていたのだが、俺自身の用事もあったのでティアちゃんの面倒を見ることになったのだ。
研究所に取り寄せが出来れば良かったのだが、研究に関係のない娯楽品はそれができないらしい。だからこうして街の本屋に直接買いに来ていたのだった。
パーシスさんからは再三事故や怪我、その他諸々精神的に負荷がかかるようなことのないように気を付けるよう言われていた。
言われずとも注意は払うようにしているが、そもそもそんなことがこの街中で起こるのだろうか。
今のところは何事もなく二人で楽しくおじゃべりをしながら歩いていた。
買い物の後、近くの喫茶店に寄ることにする俺たち。出来れば一番端のテーブルに座りたかったのだが、椅子の横やテーブルの下に沢山の荷物が置かれていたのでおそらく誰かが先に席を取っているのだろう。
カウンターで注文を済ませた俺たちは端から二つ目のテーブルに腰を掛けることにした。
「ねえねえ、おじちゃん。帰ったら絵本の続き一緒に読もうね」
と笑顔で言うのはティアちゃんだった。
二日前とは打って変わって普通に接してくれている。
あの時はフィリアやシェリーと違い俺にはなかなか打ち解けてくれなかったティアちゃん。
そこで何かのきっかけがないかと考えていたところに出会ったこの本。これがティアちゃんの愛読書だって知った時には確信したね。これだ、って。
子供向けの本ではあるものの、何の奇跡か魔術学院の学徒伝いで俺も読んでいたのだ。
ああ、ありがとう。魔術には何の役にも立たなかったが人間関係の構築では大いに役に立ったよ。
「分かったよティアちゃん。ところでその絵本ってもう四巻目だろ。『人形たちの夢見る世界』か。結構な長編だし、いろいろなキャラクターが出てくるけれど、どんな物語か理解できてるのか」
「うん、できてるよ。もう何回も読んでるから」
「何回も? それはすごいな。けどそれだけ読めるってことはとても好きなキャラクターがいたからなのかい? それとも絵が好きなのかい?」
「絵は好きだよ。すごく可愛いし。けどそれだけだったら他の本にもあるからちょっと違うかな」
「だったらキャラクターか。いい人いっぱいいるもんな」
「うん、そうだよ。おじちゃんも読んでるんだよね。おじちゃんは誰が好きなの」
「え、俺かい? そうだな。多くて選びがたいけどやっぱり主人公のマキナちゃんかな。一見大人しそうだけれど自分の意志をしっかり持っている強い子だからね。ティアちゃんはどうなんだい?」
「わたし? えっとね、わたしもマキナちゃんは好きだよ。けどねアルシャちゃんって子が一番好きかな」
「へー、そうなんだ。アルシャちゃんね……って、そのキャラって主人公の敵のひとりじゃないのか」
「そうだよ。けれど悪い人ってわけじゃないんだよ。とっても強くてかっこいいんだ。困ってる人を助けたこともあるんだよ」
「ああ、そうだったな。たしか捨てられて虐められていた猫を助けたこともあって、今では相棒にしてるんだったか」
「そうだよ。やさしいでしょ。今は敵同士だけど、きっと仲良くなれるって信じてるんだ。今日買った本にも出てくるみたいだから、これから先のお話が楽しみだよ」
「そっか。仲良く、ね。そうなればいいな」
「うん!」
と、そんな絵本のことで盛り上がっていたところで注文していた物が出来上がったことを告げるアナウンスが流れる。
「あ、今呼ばれた番号ってわたしたちのだね。行ってくるね」
「おい待てよ。俺も行くからさ」
「わたしひとりでもできるんだよ、おじちゃん!」
そう言ってティアちゃんはカウンターまで駆けていった。
「ゆっくりでいいからな。転ばないように気をつけなよ。あとおじちゃんは止めてくれ」
と言うものの、果して彼女の耳に届いているのかどうか。
まあ難しいことでもないから心配する必要はないだろうけど。
一人になったところでほんの少しの落ち着いた時間がやってくる。
目を瞑ると自然と香る喫茶店特有の匂い。
特にコーヒーの苦味のある匂いはとても好きだ。
加えて何故だか香るほんの少しの別の甘さ。
これは不思議に思う。まるで自然の中に入った時の花のような香り。
しかし、そのようなものがコーヒーから発せられるはずがない。
周りの人がつけている香水の匂いだろうか。
そう思い目を開けて顔を上げる。
「……君は」
そこにはつい先日に研究所で出会った青い髪の魔術師が立っていた。
「あれ? もしかしてマーベルさんですか?」
そう驚くのは間違いなくロゼ・フェイズさんだった。




