第六話 この世全ての希望のために⑤
地下区画に広がった炎はやがて外壁のあらゆるものを焼き尽くす。
フードの魔術師との戦闘や、地下空洞でのロゼとの戦闘も相まってか次々とひび割れが起き始める。
おそらく数十分後、もしかすると数分後にこの地下区画は崩れることになるだろう。
せっかくティアを助け出したのに、脱出に間に合わずに圧死するなんて馬鹿げた話は言語道断。可能であれば牢獄の小窓をぶち破って脱出したかったのだが、不幸なことに強力な結界が張られていたのだ。今の俺の魔力では滅属性を用いたとしても打ち破ることは叶わなかった。
仕方なしに唯一残された道を通り、眠ったティアを抱えて出口に向かって一心不乱に駆け抜ける。
そんな時だった。
どこからともなく響き渡る魔獣の咆哮。
いいや、単なる魔獣じゃない。
発するその重圧はまさに異形の存在。
存在を感知しただけで震え上がりそうになる程の恐怖の象徴。
度重なる振動と轟音を引き連れて、ついにそれは姿を現した。
走ってきた地点の床が爆散する。
その瓦礫の隙間から顔を出す巨大な黒き影。
「まさか、グラシャ=ラボラス!? 嘘だろ、こんな時にそれは無いだろ!!」
それは動きを止めることなく追いかけてくる。
もう戦う力など残されていない。
ティアを守りながら突破するなど、尚更不可能だ。
走る速度とグラシャ=ラボラスの速度は明らかにあちらの方が上。
脱出する前に追いつかれることは目に見えている。
どう足掻いても絶望だった。
加えて、それは更なる絶望を叩き込む。
その咆哮はグラシャ=ラボラスだけのものではなかったのだ。
『――ああぁぁああ、逃がすものか。アーネスト・マーベルッ!!』
その声はまさか、オズマ・ブランウェン?
考えたくもなかったが、あの魔獣の意識は喰われたはずのオズマに支配されているのか。
だからこそあれは俺を執拗に追いかけてくるのだろう。
だが、そんなことが発覚したところで状況は変わらない。
今考えるべきはどうやってここから脱出するかだ。
「……」
考えろ、考えろ。
「…………」
今までの経験を思い出せ。
「…………」
全神経を研ぎ澄まして絞りつくせ。
「………………、あ」
と、ついに馬鹿みたいな声が漏れる。
それは逃げ切る為のいい案が思いついたのでも何でもない。
「こりゃ、無理だわ」
そう。無理だったのだ。
この状況、どれだけシミュレーションしたところで逃げ切ることは不可能だった。
もう諦めるしかなかったのだ。
そう。二人とも無事に生き残ることは無理なのだ。
であれば、残る道はひとつしか無かった。
まだグラシャ=ラボラスと距離が空いているうちにティアを瓦礫の影に潜ませる。
そして、
「さあ来いよ、オズマ・ブランウェン。俺はここだ。逃げも隠れもせずに戦ってやるよ!!」
唯一可能性があるとすれば、俺がグラシャ=ラボラスを足止めして何としてでも倒すこと。もうそれしか残されていなかった。
勝てる保証なんてどこにもない。むしろ負ける要素しか残されていない。だけれども、このままティアを巻き込んで死ぬなんて、それもごめんだ。
だったらやるしかないじゃないか。
その決意を胸に青龍剣を構える。
今まさにグラシャ=ラボラスとの決戦が始まる。
――しかし、その直前だった。
俺とグラシャ=ラボラスの間に、戦闘を妨害するようにそれは現れた。
足下付近からバキバキと砕くような音と共に地面が割れ、そこから顔を出す極太のケーブルのような何か。
それは一本や二本程度では収まらず十数もの束になって湧き出してくる。
しかし、それが俺に向かって襲ってくるようなことはなくグラシャ=ラボラスにのみ照準を合わせ矛先を向ける。
そして一瞬のうちに締め上げて、その動きを拘束した。
「何をしている、アーネスト! こんな所で立ち止まってどうする!」
その声に呆気に取られる。
収まった瓦礫と砂埃による煙幕が止んだ時、そこから現れたのは紛れもなくあの好敵手の後ろ姿。
「まさか、あんたは……」
それはついさっきまで死闘を繰り広げたあのロゼ・フェイズだった。
「ロゼ、どうしてここに……」
「どうしてだって? さあ、どうしてなんだろうね。僕も信じられないよ。ここに来るまで何度引き返そうとしたことか。けど、僕はやっぱり見てみたいと思ってしまったんだ。君がやがて魔術世界に対して成し得る偉業をね」
そして、ロゼは振り向いて顔をみせる。
その表情はまるで憑き物が落ちたかのような、穏やかな表情だった。
「もう会うことはないだろう親友へ最後の言葉を贈ろう。君の夢は脆く儚い、そして自身の身の丈に合わない、あまりにも非現実的な理想だ。しかし、悲観することはない。君の夢は、君一人のものじゃないのだから。同じ理想を追い求める人が必ずいる。そんな同志を見つけるんだ。それがきっと君の夢を現実にする。それが僕にはできなかった。ずっと一人で戦ってきた。その報いがこれなんだろうさ。アーネスト、僕に対してあれだけの言葉を言い放ったんだ。最後まで貫き通さなきゃ懲罰物だよ。さあ、後は任せな。僕に構わず駆け抜けろ」
「ロゼ、あんたは……」
ここが俺たちの分かれ道だった。
「じゃあ、僕はこっちだから」
儚げな微笑みでロゼが言う。
「……ああ。また後でな」
つい流してしまいそうになる涙を堪え、俺は答えた。
言葉を交わして俺は振り返らず、ティアを再び抱えて走った。
――また後で、か。
よく考えなくても本当にいい言葉だよな。
ばいばいでもなく。
さようならでもない。
また後で。
また今度。
そして、またいつか。
同じ別れを意味する言葉なのにまた会えると確定してくれるような。
ただの錯覚でしかないんだけど。
会える時は会える。
会えない時は会えない。
そういう世界なんだから。ここは。
それでも俺は信じたい。
この出会いがまたいつの日にか運命となって巡り合わせてくれることを。
「ありがとう、ロゼ。またいつの日にか必ず会おう」
◇
『ロゼ、貴様いったい何のつもりだ』
「見ての通りさ、足止めだよ。なあオズマ。あんたさ僕のこといろいろといいように使ってくれたね。気が付いていないとでも思ったか」
『――なに?』
「僕があんたに引き抜かれてからというものの、魔術や科学の研究に最高の場所を与えてくれた。だけどその一方で街に住む市民たちとの接点を無くしていた。どういうことか、それは明白だ。僕の中に眠る憎悪の炎を決して消させないためさ。今回の件でも同じようにできると思ったんだろ。あんな研究をしている人間たちがまともな神経を持っているはずがないとね。確かにそうだったよ。あんたの考えは間違えじゃなかった。けれど、あそこには例外がいたんだよ。彼らは僕に一筋の光を見せてくれた。この世界の希望を示してくれた」
アーネスト・マーベル。
絶望に飲み込まれようとも抗い続け、屈することなく光を掴むために進み続けるその意志を。
フィリア・パルム。
たとえ己の全てが砕けようとも愛する者のために戦い続けた、嘘偽りのないその気高さを。
「この世界にもまだ、彼らのような希望が残っていたんだ。きっと彼らだけじゃない。この世界のどこかに、これから先の時代に、彼らのような夢を持つものが現れるはずだ。この世界はまだ絶望に飲み込まれて死に絶えてはいないんだ。そんな夢を彼らは見せてくれた。故に僕は、あんたのような魔術師を決して野放しにすることはできない。希望の種を摘み取るような存在はここで滅さなくてはならない。だったらやることはもう、ひとつしかないだろ」
『なに、エルヴィオロンだと!? 正気か。今の貴様が完全な形態のそれを使おうものなら命はないぞ。アーネスト・マーベルを救って私と共に果てるつもりか』
「あんたと一緒に果てるだって? 勘違いも甚だしい。僕はこれからも生きなければならない。戦い続けなければならないのだから。自分の救いたい人達のためだけじゃない。この世に生きる愛を持つ全ての者のたちのために。その為ならば、よろこんで己の全てを捧げようとも!!」




