第六話 この世全ての希望のために③
「ここ、は……」
気がつけば目の前には何もない白い空間が広がっていた。
「どうしたのアーネスト。こんなのらしくないよ」
そんなアーネストにとって何よりも聞きなれた声が聞こえる。
「フィリア、なのか?」
「さーて、どうでしょうかねぇ」
「どう考えてもフィリアだろ。声いっしょだし」
「むむ……、確信してる感じ? まあそんなことより、なんだか元気ないね。どうしたのかな」
「俺、やっぱり無理かも――」
「……」
「俺、ロゼに勝てないかもしれない。あいつ、やっぱり強いよ。自分が倒れるその瞬間さえも予測して対策をしている。あの芯の強さは本物だよ」
「……」
「フィリア?」
「あーあ、聞きたくなかったな~。そんな言葉。ダメじゃん、弱気なこと言っちゃって。そんなことを言う口はホッチキスで閉じちゃうよ」
「いやいや痛いってそれは」
「いつもだったら逃げてもいいんだよ、とか声をかけちゃうかもしれないけれど、今回ばかりは諦めないで。わたしにそんな姿を見せないで。ロゼくんだけには絶対に負けちゃダメ。それは自分に負けたも同義だよ」
「……ごめん、ちょっと弱気になりすぎた。あんたにそこまで言わせるなんて、どうしようもないよな。よし、まだ終わったわけじゃないんだ。やれるとこまでやってやるさ」
「うん、その意気だよ。ではでは、そんなあなたに力、貸してあげよっか」
「それはいい提案だ。けど、それはまだここじゃない。まずは自分の力で立ち上がってみるよ。あんたの力を借りるのはそれからだ」
「うん。いい答えだね。それじゃあ見せてよ、君の本気の力。ずっと見たかったんだから」
「ああ、期待してろよ」
「うん。見てるからね……アーネスト……」
◇
「ああ、俺ってまだまだだな。こんな幻覚を見てしまうなんてさ……」
その微かな囁きがロゼの耳に入る。
その声の正体がなんであるかロゼは一瞬で理解した。
その囁きが何を意味しているのかロゼは決して認めたくはなかった。
振り返ると、ロゼの視界には命からがら打ち崩したあの最強の敵が立ち上がっていたのだから。
「仕切り直しだ、ロゼ。俺はまだ終わっちゃいない」
「致命傷だったはずだが、まさかこれが君の青龍剣の最奥? いいや違う。君は今、気力のみで立ち上がってみせた。本当に信じられないよ。いったい何が君をここまで駆り立てるんだ。……だけど、それがどうしたという。ここで異常な耐久力を見せたところで君には僕の玄武甲を砕く手は残されていない。結局はここまでなんだよ、アーネスト」
「ロゼ、その考えに至るには少しばかり早いとは思わないか? 俺はまだ諦めたなんて一言も言ってないじゃないか。俺はまだ、倒れてはいない」
「その目だ、その目だよ。決して希望を失わない、折れることの無いその心。ああ、理解しているよ。君がそういう男なんだってことはさ。だからこそ僕は君に憧れてしまった。だからこそ意地でも君に真正面から打ち勝とうとしているんだ。いいだろう、決着をつけようじゃないか。これが最後の一撃だ。僕の全身全霊を持って君を打倒しよう」
その言葉が自身を変化させる詠唱と化し、最後の魔術を顕現させる。
変化するロゼの腕。それはまさに竜の顎。
アーネストにとっては初見であるものの、それは街ひとつを容易く消滅させるほどの力を見せつけた蛇竜エルヴィオロンの首だった。
「ロゼ、あんたはそこまでして……」
アーネストには分かっていた。
それがどれだけ己の身を削って発動したものなのか。例えロゼの秘策で魔力を取り戻したところであの竜はそれ以上の魔力を食い潰す。
あれを放てばどうあったところで。
「アーネスト、最後に一つだけ聞かせてほしい」
「なんだい。言ってみなよ」
「アルタイルで君と別れた最後の日のことだ。その日までに色々と君のことを調べさせてもらったその上で、自分の過去を打ち明けた。その時は僕が一方的に話すだけで君の答えを聞けていなかったからね。改めて問わせてもらうよ、アーネスト。君はそれでも人間を愛しているかい?」
「言うまでもないさ。俺は人間を愛しているよ」
「…………」
「俺はこれまでの人生で一度、魔術という業を通して人間という存在に絶望したことがある。俺は昔、欲望のために故郷を焼かれ、家族や友人の全てを奪われ、そしてその事実に何一つ罪悪感を持たないあの下衆共に殺されかけた。そんな下衆共の存在がここだけでなく世界中に蔓延っていることを理解したその時、俺はこの世界が全く違うものに見えた。今まで見てきた景色は綺麗な夢で、これこそが現実なんだって。
だったら罪の無い生命たちが無意味に殺される前にこんな理不尽な世界を、蒙昧な人間共を全て消し去ってしまえばいいって、そう考えたこともある。けれど、それはただの一面にすぎないんだ。俺はここに至るまでに様々な人たちを見てきた。スヴェンさんやフィリア、シェリーに学院の生徒たち。みんな誰かを幸せにするために必死に頑張っている。それは他の誰かを踏み台にして達成しようとしているものでなく、互いに高め合いながら夢を叶えようとしている。
それは単なる綺麗事だって思いもしたけれど、魔術という混沌の中にも確かに光はあるんだって同時に思い知らされもした。こんなの嫌でも愛せずにはいられないだろ。だからさ、俺はこれからの人間の可能性を信じている」
「ふふ、そうか。そう言うと、……そう言ってくれると思っていたよ。やはり、僕と君は決して相容れない存在だ。そう認識してしまえば最後、僕は君を乗り越えるべき目標ではなく、立ちはだかる障害として排除するしかない。アーネスト、君の道は僕がここで終わらせる」
「ああ、受けて立つとも。あんたの憎しみや悲しみ、その全てを受け止めた上で乗り越えよう。この俺に残された全ての力を賭けて」
もう互いに話すことはない。
互いの言葉は示した。
ならば、あとは力で決着をつけるのみ。
魔術師アーネスト・マーベル。
魔術師ロゼ・フェイズ。
二人の死闘。その最後の一手がここに幕を開けた。
「さあ、僕の命を喰らいて最後の力を解き放て、エルヴィオロン――ッ!」
その叫びに呼応しエルヴィオロンが唸りをあげ、開かれたその顎から灼熱の光が解き放たれる。
その輝きは無慈悲な業火となりてアーネストを呑み込んだ。
「――ぐ、ああ、ああぁぁぁ――ああぁぁああああ!!」
◇
『わたしが作った剣は、あなたの想いを具現化したもの。それは大切な人々を護りたいという気持ち。痛み傷付いた心を癒す希望の光。あなたの想いが強ければ強いほど、青龍剣はきっと答えてくれる。それはあなたに対しても例外じゃない。この力をもってあなたの夢を実現させて。その先の景色を見せて。それがわたしの夢なんだから』
◇
「……たまる、ものか。こんな所で、終わってたまるものか――!」
その時、エルヴィオロンの放つ灼熱の光の中に別の光が灯される。
それは青龍剣がみせる蒼き極光。
アーネストが青龍剣を受け継いだその瞬間まで信じられなかった事実がここに顕現する。
その輝きはアーネストが持つ滅属性の魔力すら乗り越えて傷付いた身体を瞬く間に治癒させ、消費した魔力はそのほとんどを回復させる。
これこそが青龍剣に内包された絶技『明鏡止水の理』
所有者の魔力を際限なく吸収し、変質させ、やがてあまねく邪悪な因子を浄める泉と化す。
アーネストがこのウルクスに来てから度々陥っていた感覚。
青龍剣を手にした時に感じた妙な重さ。
それは全て、アーネストの魔力を吸収していたことに起因していた。
その魔力が今、所有者へと還元される。
アーネストが度々感じていたものはそもそも当たり前なのだ。
鏡のように透き通った造形であることも、何も斬ることが出来ないなまくらであると判断したことも、用途が違えばその評価は一変する。
青龍剣はアーネストに継がせるために刀の形状に変化し、攻撃性能を手に入れた。
しかし本来、フィリアが製作した青龍剣は何かを斬るためのものではなかったのだから。
「これが最後なんだ。悔いは残したくない。だからフィリア。あんたに貰った切り札、ここで切らせてもらう!」
青龍剣にアーネストの本来の魔力が流れ込む。
魔術そのものを打ち消す滅属性の力がここに復活を遂げた。
「――はああぁぁッ!!」
残る気力と魔力の全てを伴って、アーネストは青龍剣を振るう。
その一閃がアーネストの持てる全て。
今ここに灼熱の光輝が一刀両断される。
「なっ、――エルヴィオロンを突破した!?」
滅属性の特性上、今更説明など不要だろう。
アーネストの力がロゼの力を上回っただけの、あまりにも単純な事実だったのだから。
踏み出す一歩。切られた光線の隙間を縫うように駆けるアーネスト。
そして、手にする青龍剣を再び振り上げた。
「これで終わりだ、ロゼ――ッ!!」
◇
「……アーネスト?」
「…………」
「なぜ、その手を止めた。なぜ殺さない。僕は君の大切な人を死に追いやった殺人者なんだぞ」
「知ってるよ。おかげであんな最悪な状況に陥ったんだから。その時の怒りや悲しみを忘れるはずがない」
「だったら、何故……」
「……思い出してしまっただけさ。結局はあんたも俺と同じ苦しみを持っていたってことを。だったら今ここであんたを斬ることは、俺にはできない」
「ふざけるなよアーネスト、今更になって怖気付いたか。自分が僕と同じ殺人者になることを」
「なんとでも言えよ。もう決めちまったんだから、こればっかりはどうしようもねえよ」
「後悔することになるぞ。今ここで僕を逃がしたら、僕はここではないどこかで、ここと同じような惨劇を繰り広げるだろう。自分の夢を叶えるためにその他大勢の人間を苦しめるだろう。それでもか。それでも僕を斬らないというのか」
「斬らないよ。もしその時がきたら何度でも止めてやる。何度でも駆けつけてやるよ。だって、友達なんだろ」
「――ッ……」
「だったらさ、俺は苦しんでいるあんたの力になるだけさ」
「――ふふ、ははは。ホント馬鹿だよ。君はつくづくお人好しだね。理解に苦しむね」
「笑えよ。俺だって自分の行動には虫唾が走るよ。けどさ、あんたは多分運がなかっただけなんだと思う。俺だってあいつと、フィリアと出会ってなければロゼと同じようなことをしていただろうさ。あんただって、遅くはない。これから先俺と同じように自分を救ってくれる誰かに出会えるだろうからさ。ここは騙されたと思って生きてみないか?」
「やっぱり君は馬鹿だ。察しの悪さはこの上ないな」
「ん? どういうことだよ」
「それが君たちだってことなんだよ……」
「――あ」
「あ~ぁ。急に熱が冷めてしまった。君を殺す気も失せたよ。加えて、見てみなよ。さっきの衝撃で顕現した至宝は木端微塵。だけど魔力が暴発した形跡はない。おそらくは力を内包したまま元の霊体に戻ったんだろうね。取り込んだフィリアさんをそのままにして」
「ということは……」
「僕とアーネスト、そのどちらの望みも叶わなかったというわけさ。信じたくないだろうけどね」
「…………」
「ほら、地下牢獄に行くためのカードキーだ。持っていけ。フィリアさんのことは今は無理でも、他に救える命があるだろ。悔やんでいる暇は無いはずだ」
「これは……まさかティアを閉じ込めている場所の鍵? いいのか、渡してしまって?」
「いいから渡してるんだよ。場所はわかるだろ。ここアルタイルの地下研究所だ。
ほら、行ってしまえよ。僕の気が変わらないうちにさっさと行ってしまえ」
力なく手を振るロゼ。
それを最後に、ロゼは目を逸らして自ら話しかけることはなくなった。
アーネストは立ち上がり、ロゼから渡された鍵を手に歩き出す。
「死ぬなよ、ロゼ」
「自ら死ぬほど馬鹿じゃないさ」
その会話を最後にアーネストとロゼの死闘は閉幕した。
だが、彼らそれぞれの戦いは進み続ける。
無念も後悔も、今の二人には与えられる余地などなく。




