第四話 それぞれの信じる道へ……①
ティアが施設に隔離されてから二週間。
俺の日常は急変した。いや、俺だけじゃないのか。
この研究所自体が別のものに変わったように思える。
ティアという女の子がひとりいなくなった。
たったそれだけなのに、騒がしかった日々が嘘のように消え去った。
まるで冷たく寂しい氷のような空間。
実際は単純に雑談の回数が大幅に減っただけなのだが。今思えば、俺たち魔術師や研究所で働く研究員たちは好んで雑談をすることはなかった。
雑談する暇があるなら研究を進める。
成果につながらない行動はすべて無駄。
そんな思考の持ち主が集まるところだ。
心の暖かさなんてものとは無縁の人種。
ティアがいたからこそ、彼女がきっかけで話をしていたにすぎない。
加えてフィリアは一週間前から体調がよくないとかでスヴェンさんの元に行っている。
そうなってしまえば今の俺の話し相手って誰になる?
シェリー、ロゼ、クラウスさん、パーシスさん……。
ああ、片手で数え切れてしまえる。なんだか、物足りない。
「覚悟はしていたけど、やっぱり寂しいよ。本当に」
粉雪の散る夜。
光り輝く街並みと薄っすらと顔を覗かせる満月。
そんな穏やかな風景を研究所のバルコニーで一人寂しく眺めていた。
「――おじちゃん。今日もネックレスつけてくれてるんだね」
と背後から声がする。
「ティア――」
振り返ってみれば、そこにティアがいるはずもない。
当然、別の人間が立っていた。
「やあ。元気してる?」
そう手を振る人はロゼだった。
「なんだ。ロゼか」
「なんだ、じゃないよ。せっかく会いに来たっていうのにさ」
ロゼは静かに歩を進め俺の隣に立つ。
柵に肘をつき、そのまま頬杖をついて俺を見つめる。そんなロゼはなんだか今までに見たことがないくらいに不思議な雰囲気を纏っていた。
なんていうか儚げっていうのが今の彼にぴったりだった。
「ねえ、君のそばにいるの僕じゃダメ?」
「おまえマジで気持ち悪いな」
少しでも綺麗だって思ってしまった俺も大概だが。
「そんな冷静に批判しないでよ。悲しくなるな、そんな言われ方。まあいいさ。これも友人だからこそ言える冗談だって思っておくよ。……ところでアーネスト、今少しだけ時間いいかな」
「ああ、いいよ。どうしたんだ」
「ありがとう、アーネスト」
言うと、すっと一息ついてから思いを馳せるように囁いた。
「僕さ、オズマさんの指令でここにいるってことは知ってるよね」
「知ってるよ。監視役、だろ」
「うん、そのとおり。けれどその役目ももう終わりなんだ。明日には引き上げて帰って来いってさ」
「それは突然……、いや予想はできたか。最終協議、一週間後だもんな」
「そういうこと。本当は最終協議の三日前に帰る予定だったんだけどね。彼の気まぐれか少しだけ早まっちゃった。だから、君とまともに話が出来る機会はこれが最後になるだろう。だから今のうちに話しておきたいんだ。僕が魔術を学ぶ目的について」
レイベルという小さな街で僕は育ってきた。
学校に通い勉強をして、休みの日は友人と愉しく遊んで過ごす。
辛いことはいくつもあったけど、それでも僕にとっては素敵な毎日だった。
ある日、外部の魔術機関に招かれてレイベルを離れていた僕は数日ぶりにレイベルに帰ることになった。
家族や友人に久々に会うことを楽しみにしていた僕は列車の中でずっと彼らの顔を思い浮かべていた。
けれど突然、その終わりを突きつけられる。
高台の上に立つ僕の目の前に広がっていたのは街を飲み込む炎の海だった。
突然現れた機械の獣たち。
狼のような姿のものもあれば、蜘蛛のように複数の足を持ったものもいた。
挙句には巨大な竜の姿をしたものまで現れる。
さらには人の形をしたものでさえ襲いかかってきた。
目的も何も知ったものじゃない。
それらはただひたすら、僕たちの街を破壊し人々を殺しつくした。
切り殺される者。潰される者。生きたまま喰われる者。
人々の叫び声と、度重なる銃声。そして機械の駆動音に猛獣の咆哮。
街におりて家族や知り合いを探すもすでに手遅れ。
そこにあったのは既に変わり果てた姿だけだった。
家族も知り合いも、そしてただ二人の親友も。
絶望、なんてものでは言い表せないほどの恐怖が襲い掛かる。
なんとかそれらを破壊しながら脅威から逃れることはできたものの、それまでに多くの人を失った。
そして、なにかに誘われるかのように街の外れにある封鎖された高台まで辿り着く。そこから見れる景色は、すでに炎の海へと変貌していた。
傷つき、体力も失いつつある。
もう終わりだ。
このままあの機械どもになぶり殺されるくらいなら、この命に変えてでも最大の魔術を行使してこの街ごと奴らを葬り去ろう。
そんなことを思ってしまった。
そんな時だった。
『そこの人間、聞こえているか? 聞こえているなら話が早い。この悲惨な状況を打開したくはないか? 憎き者どもを殲滅したくはないか? 大切な親友を生き返らせたくはないか? 貴様が望むのであれば、私は貴様の力になろう。その代りに条件がある。私をこの至宝から解き放て――』
そんな僕の耳に届いた悪魔の囁きはまるで天から頂いた救いの言葉のようで。
機械の獣どもに襲われ、死んでいった者たちのことを思い返す。
僕は頷いた。
救いを望む、と。
ここからの展開は、まあ聞いても面白くない話さ。
レイベルに現れた侵略者を一掃し、解き放った悪魔を利用して親友を救うための材料にした。
ここから数年、完全に蘇らせるために今もこうして奔走している。
これが僕、魔術師ロゼ・フェイズの始まりさ。
「これが僕の真実さ。それ以来僕は未来を切り開くために動いている。そのためならこの命すらをも燃やし尽くそう」
ロゼも俺と同じようにいろいろ悩んでいるようなことはわかっていた。
だけど、まさかそんなことがあっただなんて。
どうやら俺の認識はあまかったらしい。
正直、何と声をかければいいか分からない。
「最後に一つだけいいかな。僕は君のことを尊敬している。この酷く醜い世界の中で一筋の光を見出すために奔走している。何よりそれが自分の大切な人のためにときた。本当に素晴らしいと思えるよ。けれど、それと同時に腹が立ちもする。君はいつまでこの夢のような一時が続くのだと錯覚している。いつまでその偽物の笑顔をあの子に振り巻けば気が済むんだい」
「……ロゼ。君はいったい何を言っている」
「フィリアさんのことだよ。あの子をいったいいつまであのままにしておく気だ。
君はもう分かっているはずだよね。あの子がいずれ人間でなくなることを。人々の安寧を脅かす化物に成り果てることを。事情を知らない僕ですら察したよ。彼女、能力者なんだろ。だったら君は彼女に出来ることがあるはずだ」
「できる、こと……」
「迷っているのかい? だったら手っ取り早い方法を教えてあげるよ」
そうしてロゼはゆるりとその指先で俺の胸に触れる。
「例えばそう。君の力で至宝に連なる者たちを、手始めにこのアルタイルの人間全てを殺害して回ればいい。結果、至宝は起動せず彼女が身体的不自由に苛まれることもなくなる。ほら簡単じゃないか」
低く沈んだその口調。それはまるで悪魔の囁きのようで。
そんな違和感を持ってしまうほどに、この男の放つ気配は異質なものに変質していた。
今俺の目の前にいる男は本当にあのロゼ・フェイズなのか?
――やめろ、やめてくれ。そんな目で俺を見るな!
襲い掛かるその強烈な拒絶感からロゼの手をはたいてしまう。
「お前、本気で言ってるのか」
「僕は本気だよ。言っただろ、僕の夢は魔術の世界から親友を救うことだって。そのために出る魔術に関わる者の犠牲など些細なものだ。君にも同じことが言えるんじゃないのか?」
「犠牲だって? そんなことをすれば救われた者は一生その犠牲の上で罪の意識を持ちながら生きていかなければならない。そんなものを前提として成し得たものが幸福につながるわけがないだろ」
「目を背けるなアーネスト。誰も不幸にさせずに最愛の人を救おうとする。確かにそれはいい。素晴らしいほどの理想だよ。だけどそれはあまりにも薄い。ただ聞こえがいいだけの空想だ。魔術師であるならばそこのところはより理解していると思ったんだけどな。何かを得るためには必ず何かを失わなければならない。求めるものが大きくなればなるほどそれは顕著に表れる。人間の生活でも同じことさ。食事をするためには材料がいる。材料を得るためには他の生物を殺さなけらばならない。こんなに単純なことでさえ必ず何かを犠牲にしているんだ。君がやろうとしていることはそれすらをも無視した愚行だ。だけどね、君が犠牲にしなければならないのはかつて君が失望した人間というこの世界の不純物だ。だとすれば、結局失ったところで被害を被ることはないだろ。何も心を痛めることはない。君が人間のことを本当に見捨てているのなら」
「――それは……」
「……ここで言い惑うのか。ああ、そうかい。どうやら僕の思い違いだったらしい。君は僕にとって何かを変えてくれる救世主かもしれないと思ったんだけれどね」
そうしてロゼは俺から離れていく。
これが今までの友人のような関係の終わりのような気がして。
不意に吹く夜風さえも、まるで二人の間にできかけた絆を吹き飛ばしていくようで。
俺とロゼの間に薄っすらと、しかし確かなる隔たりが形成されていた。
「――それではさようなら、アーネスト。君の未来に良き祝福があらんことを」
その言葉を最後に、一切の言葉も交わさずにロゼと別れた。




