第三話 幸せの宝石・繋がる絆の形④
カツカツカツと足音が響いてしまうくらいに静かな空間。
あれから数分後、また館内放送が流れた。
停電から復旧したという連絡でなかなか手際がいいじゃないかと思う反面、こういう研究所でも停電が起きるんだなと思いにふける。
ティアちゃんの行きそうな場所を話しながら静かな廊下を歩いていると朝食前に乗ってきたエレベーター近くまで戻ってきてしまった。
ちょうどエレベーターの隣の壁に階層ごと何の部屋があるかという案内板があったのでそれに目を通す。
「ティアちゃんの行きそうなところねぇ。まずはティアちゃんとパーシスさんの部屋がある五階か?」
「それがいいね。けれどパーシスさんは今日も研究尽くしだろうしティアちゃん一人で留守番してるかな?」
「さあね。こればかりは行ってみないと分からないだろ。いなければ次に三階の研究室にでも行ってみるか。そこにはパーシスさんもいるはずだから、もしかするとティアちゃんも一緒にいるかもしれない」
「その前にだけれどロゼくんの部屋にも寄らない? たしかアーネストと同じで四階の部屋に住んでるんだよね」
「そうだったな。ロゼくんがティアちゃんをすでに見つけているなんてこともあるかもしれない。それじゃあ五階から順に回って最後に喫茶店で終わりでいいか」
一階には食堂に加えて資料室もあるけれど、流石にティアちゃんが行くとは思えない。
隅々まで回るわけでもなく焦点を絞る場所が少ない気もするけれど、広い範囲を探したほうが見つかりやすいというわけでもない。
緊急時でもないのだから、ティアちゃんの行く可能性が低いところを探すのは時間の無駄だろう。
エレベーターを呼ぶボタンを押す。
しばらくして扉が開く。
「それじゃあ、行こうか」
呟いて、二人一緒にエレベーターに乗り込んだ。
結局、五階のパーシスさんの部屋には誰もいないようで扉をノックしても名前を呼んでも反応はなかった。
というわけで次にロゼくんの部屋へ行くことにする。
フィリアがエレベーターに乗ろうと下に行くボタンを押そうとするが、すんでのところで思いとどまった。
「危ない危ない。一階分下に降りるためだけにエレベーターを使う必要あるのかって話よ」
「そりゃそうだ。エレベーターに乗っている人にも、エレベーターを待っている人にも迷惑でしかないだろ。それ以前に、階段を使えばエレベーターを待っている間に下の階につけるな」
「真顔で正論をたたきこみすぎだよ、もお。階段使おっか……」
エレベーターの向かい側にある階段へと歩く。
そして一階分降りて四階に到着する。
そのままロゼくんの部屋の前までたどり着くと、扉をノックした。
「ロゼくん。居るか?」
返事は返ってこない。
念のため扉を開けようとしてみるも、鍵がかけられていて中には入れない。
まだ帰ってきてないのだろうか。
まあいいか。ここで待っていても仕方がないし次にいこう。
三階まで降りた俺たちはパーシスさんのいる研究室に到着した。
銀色の重そうな扉を開け入っていく。
その大きな部屋には複数のモニターが机の上にある。
画面は頭が痛くなりそうなくらい文字と数字で埋め尽くされていた。
その横には何百枚あるかわからないほどの書類の束が積み重ねられている。
そして、また別の机にはいくつもの試験管やらビーカーやらでいっぱいになっている。
その内の数個には何やら緑と紫の不気味な液体が入っているのだが、一体何に使うのやら。
だが、そんな物より一際目立つ物が奥にある。
大人一人が優に入ることのできるくらい大きい培養槽が三台設置されているのだ。
それには複数のチューブが接続されていて、床に散らばっている。
どこに繋がっているのかチューブを目で辿ってみたが途中から壁に埋まっていてわからない。
そんな巨大な槽の前に一人の女性研究員がいる。
俺たちはその人の元へチューブを踏まないように気をつけながら向かう。
「おはようございます。コルトさん」
とフィリアが声を掛けるとその女性、コルト・パーシスさんは俺たちの方に振り返る。その手には書類が握られていた。『異能力の転移と――』と書かれていたが、ここから先はパーシスさんが他に手にしていた書類とすぐに重ねてしまい読めなかった。
「あれ? マーベルくんとフィリアちゃんじゃないの」
「おはよう、昨日はどうも」
「はい、どうも。それでどうしたの? 今日は休みのはずだけど」
「少し訊きたいことがありまして。ここにティアちゃんは来ませんでした?」
そのフィリアの問に怪訝な顔をするパーシスさん。
「いえ、来てないけど。あなたたちもしかして宝探しごっこでもしてる? 危ないから止めときなさいよ」
「いやいや、してないよ。ちょっとティアちゃんに用事があって探していただけだ。けれど、宝探しごっこって……」
どこからそんな発想がでてくるんだ?
ここには研究器材しかないじゃん。
かくれんぼならまだわかるけどさ。
「ティアがね、昨日の夜『明日は宝探しするんだ』ってはしゃいでたから。今日も朝から飛び出して行って。みんなに迷惑かけてなきゃいいけど」
「そうだよな。あいつ、ほんと無駄に元気だしな」
「そうなの……」
「――えっと、どうかしましたか? パーシスさん」
「いいえ、なんでもないわ」
「そうか。だったらいいけど。そろそろ失礼するよ。見つけたらじっとしておくように言っておくからさ」
「そうしてもらえると助かるわ」
「はいよ。それじゃあ、また後で」
そう答えて踵を返し、研究室をあとにする。
しかし、それを引き留めるようにパーシスさんは「――ねえ、二人とも」と囁く。その言葉に俺もフィリアも振り返った。
「どうかされました?」
「ううん、たいしたことはないの。けどね、その……言いにくい話だけど。ティアのこと、よろしくね」
「ん? ああ、もとよりそのつもりだけれど」
「だったらいいわ。ほら、さっさと行きなさいな」
しっしと軽く手を振るパーシスさん。
帰り際にティアちゃんが行きそうな場所がわかるか訊いてみたが、「わからないわ。あの子は神出鬼没だから」とは言わず、「どうしても見つけられそうにないなら、カルボナーラが大好きだからその匂いで釣ればいいわよ。クラウスさんに頼んでみるのもいいかもね」と言ってくれた。
さすがティアちゃんの母親だよ、パーシスさん。
……。
……けれど。
どうしてパーシスさんは娘であるティアちゃんを実験の被検体にしようとしたのだろうか。決して安全な実験じゃないはずなのに。
最悪命を失ってしまうかもしれないのに。
これだけはどうしても気がかりに思ってしまう。
いつかどこかで理由を聞くことができればいいのだけれど。
今この瞬間、俺から切り出す勇気は持ち得ていなかったのだった。
ティアちゃんがいそうなところに目星を付けて歩いてみたが、どこにも見当たらず喫茶店までやってきてしまった。
そこで休憩がてら飲み物を注文して席についている。
「何処にもいないね、ティアちゃん」
「そうだな。もしかして部屋で寝てるんじゃないか」
「それはないでしょ。話聞いてた? 朝から飛び出していったってコルトさんが言ってたじゃない」
「だよな。分かってて言ったんだけどさ」
特に意味もなく外の風景を見る。
朝と変わらず外は明るい晴天のまま。
こんな日こそ外に出て思いっきり身体を動かしたいよな。って、
無意識にそう感じてしまうくらいに俺の身体は運動を求めているらしい。
そりゃそうだ。このウルクスに来てからというものの、機械人形と戦って以降、思い切り身体を動かした瞬間が一度たりともないのだ。
「――はぁ、思いっきり走りたいな」
「何子どもみたいなこと言ってるんだか。全く動けないわけじゃないんだから、そこで工夫しなよ」
「そうは言うけどさ。……ていうか、なんだか言うことに棘がないか? ちくちく刺さって痛いんだけど?」
「そう? 気のせいだよ」
「……」
「どうしたの、黙っちゃって」
「その、なんだ。フィリアさ、何か――」
何かあったのか? そう聞こうとした時だ。
――ピキッ――
……え?
今確かに何かを感じた。
いいや、何かなんて正体不明なものではない。ほんの微かな魔力の震え。
まるで遠くにある爆弾が爆発した時のような感覚だった。
テーブルの上のコーヒーカップに目をやると、触れてもいないのに中のコーヒーに波紋ができていた。
まわりを見渡す。
誰も気が付いている様子はない。
ドクン、ドクン、と心臓の鼓動がする。
危険だ! これは、やばい!
間違いなく何かが来る!
「――みんな伏せろ! でかい衝撃がくるぞ!!」
俺は今まで出したことのないくらいの叫び声で伝える。
お願いだ、間に合ってくれ。
しかし、そんな願いも虚しく次の瞬間、鼓膜が破れんばかりの轟音とともに大地震が研究所を襲った。
続けて叩きつけられる強烈な魔力の波動。それは建物の窓ガラスをいともたやすく砕き、喫茶店はガラスの雨に曝された。
フィリアを庇うように抱きかかえるも、それが今できることの精一杯。
数秒続いた嵐が収まった時、やっと俺は辺りを見渡すことができた。
同時にフィリアも俺の腕の間から視線を覗かせる。
「何が起こったの? ――はっ、そんな。アーネスト、その腕……」
「大丈夫だよ。ただ掠っただけだ。治癒の魔術を使うまでもない怪我だよ。フィリアこそ大丈夫か?」
「うん。わたしは大丈夫。だけど……」
俺の腕の次に向けられたフィリアの視線の先にあったのは、まさに凄惨で悲劇的な空間だった。
ガラスの破片が刺さり血を流し倒れる者。舞い上がった家具に押しつぶされ身動きが取れない者。魔力の風に吹き飛ばされ壁に叩きつけられた者。
ただ一人フィリアを除き、俺を含めその未曽有の襲撃により無傷ではいられなかったのだ。
「どうしよう。アーネスト、どうしよう……」
その声は震えていた。その目は暗く濁った恐怖の色。
「……待ってろ、俺がなんとかする」
言って、俺は負傷した皆のもとに駆けつけ治癒魔術で手当を始めた。
フィリアも怖いはずなのに、俺を追って助けをしてくれた。
ただ傷を塞ぐだけなら良かったのだが、彼らを襲ったのはガラスの暴雨だ。その傷口には大小構わずガラスの刃が突き刺さっている。
自分の持ち得る魔術で痛覚を麻痺させてから異物を取り除き、精製した水で洗い流してから治癒魔術をかける。
その輝く柔らかな翠色の光は、みるみるうちにその傷口を塞いでいく。
応急処置にしかならないだろうが、その行為を一人一人順番に傷の深い者を優先して進めていく。
そして数分後、喫茶店にいた全ての人の対処を終えたのだった。
「これで全員か?」
「そうみたいだね。ありがとう、アーネスト」
そう感謝されるも、俺は素直に喜べなかった。
理由は単純だった。俺はこの状況を最悪のものにしなかっただけ。
怪我をした人たちの傷を塞いだ、ただそれだけしかできていないのだから。
「感謝なんてされるものじゃないさ。治癒の力なんてものはどれだけ極めようとも、結局のところ何かが起こった後にしか行動できない後出しジャンケンのようなもの。確かに身体の傷や痛みを治してくれるだろう。だけれど、その時に負った恐怖、心の傷は決して癒せないんだ」
自然災害か何かも分からない、正体不明の何者かに襲われた喫茶店の状況は今も変わらず薄暗い陰鬱さを漂わせている。
そんな状況を見ると、俺はつくづく自分の無力さを実感してしまう。
誰かを守りたいがために修得したこの技法。だけどそれは、本当に正しい選択だったのだろうか。
「その陰鬱モード、久々だね」
「え?」
「アーネスト、それは違うとわたしは思うな。わたしたちはね、確かにあなたから希望を貰ったんだよ。後出しジャンケンでしかない? そんなの当たり前じゃん。何かが起こる前に対処して事件そのものを無かったことにするなんて、そんなこと人にはできないよ。わたしたち人間にできることは、どんな絶望にあっても諦めずに足掻くことだけ。実際にアーネストはこの騒動が起こった後にしか動けなかった。怪我人も多く出た。けれど、治療をしてもらった人は少なくともその瞬間はとても暖かな気持ちになっていると思う。たったそれだけかもしれないけれど、たしかにアーネストは絶望の中の光になっているんだよ。だから、自分の力に誇りを持って」
「フィリア、……」
周りを見渡す。状況はさっきと全く変わらない。
けれどどうしてだろう。陰鬱さ、なんて暗い空気が今は感じられない。
誰かが発した指揮に応じ、次第に人々は動き出す。
崩れた家具を直し始める人たち。飛び散ったガラスや舞い込んだ草木や砂埃を掃除する人たち。外の様子を確認しに行く人たち。
周りの人達はそれぞれ自分ができることを精一杯やろうとしているのだ。
諦めて嘆く人は誰もいなかった。
「ほら、光、見えたでしょ」
その声に俺は思い知らされ、はは……と笑みがこぼれてしまった。
「ああ、そうだな。その通りだったよ、フィリア」
あれから喫茶店の片付けを手伝っていた俺たち。
他の場所は食堂以外、窓の近くに人が集まる場所がなかったため被害はそこまで大きくなかったようだ。
食堂は食堂でロゼくんが治療魔術で対応してくれたそうだし、そこは安心できた。
ただしあくまで人に対しては、だ。
窓の近くにあった機材や資料は問答無用で吹き飛んだらしい。
まあ、関係者談によるとこれでも何とかなるようだった。
そんな中、ドタバタと喫茶店の外から荒い足音が聞こえてくる。
そしてそのまま誰かが勢いよく入ってくると、間も開けずに名前を叫ぶ。
「――マーベルくん!!」
突然とある女性の奇声と言っていいほどの叫び声が耳を貫いた。
耳が痛い。大丈夫だよな、俺の鼓膜。
しかし、そんな冗談を考えている場合ではないのも事実。
「パーシスさんじゃないか。大丈夫か? さっきの爆風で何か――」
しかし、そこで俺の言葉は遮られる。
「ティアが――」
よく見れば、いや、よく見るまでもない。パーシスさんは尋常じゃないほどに慌ていたのだ。加えて全力で長時間走り回っていたかのように息づかいが荒かった。
「落ち着けパーシスさん。ティアちゃんがどうかしたのか?」
そしてパーシスさんは言う。
俺の両肩をがっしりと掴んで。
「ティアが……、ティアがどこにもいないのよ!」




