第二話 工業都市ウルクス・蠢く幻影の鼓動⑤
その言葉を聞いて息を飲む。
今情報を聞き出せるのはこいつ一人しかいないのだ。
決して手を放すことは許されない。
言葉よりも先に手を動かす。
治癒の魔術を黒コートにかけ、毒という遺物の排除を試みる。
しかしその苦痛の原因が特定できずなかなか排除することができない。
単純な毒素であるならば、それに対応する効力のものを流し込めば解決に繋がる。
だが、こいつを脅かす異常の正体が全くもって掴めない。
そして――
「…………くっ」
悔しさの声が漏れる。
黒コートの異常な震えは治まった。
しかしそれは彼の苦しみを取り除けたのではなく、その苦しみが限界まで達してしまったことによるものだった。
「――すまない、フェイズさん」
「気にすることはない。よくあることさ」
表情を変えず言って、フェイズさんは黒コートのフードの中身を確認しようとする。
「よくあることって、そんなことは信じたくないよ。自ら死を選ぶことが常識と化すことなんてさ。あまりいい気はしない。どこの世界の話だっての……」
そして、俺は懐から通信機の機能を持たせた礼装を取り出す。
「マーベルさん。どこに連絡するつもりだい?」
「どこって、魔術機関のところにだよ。いろいろ聞かれるだろうけどさ、こればかりは黙ってる訳にはいかないでしょ……」
「君はつくづくまじめだねぇ。けど、その必要はないかもよ」
黒コートのフードの中身を確認し終えたフェイズさんは、
肩をすくませながら大きなため息をつく。
「どういうことだよ」
「僕も騙されたよ、マーベルさん。毒で自決というのは僕の勘違いだったらしいし、治癒も無駄だったみたいだね。よく見なよ、この人の身体を」
そしてフェイズさんは黒コートのフードを剥いだ。
そこから出てきたもの。それは人間の生身の首ではなく、まるで人形のような機械仕掛けのものだった。
「おいおい、どういうことだよ」
「それは僕にも分からないよ。とりあえずはこれを持って帰って解析してみる。機械人形であるならば、内蔵された記録媒体から何か手掛かりが見つかるかもしれないからね」
そう言うと術をといて呼び出した植物を消した。
拘束から解除された黒コートは重力に従いそのまま地に伏す。
その黒コートをフェイズさんが掴もうとした。
その時だった――
「危ない、フェイズさん!!」
叫び、そしてフェイズさんをその場から逃すために押し出す。
「――っ!」
不意に予感した。
嫌な気配が俺の脳を貫いたのだ。ここに何かがやってくると。
地中を這いずり回る何かがフェイズさんの足元から攻撃を仕掛けて来ると。
フェイズさんをその場から逃せた瞬間にそれは起こった。
なんと元々フェイズさんが立っていた場所から魔物のような牙の一部が飛び出してきて、機械人形を飲み込んでしまったのだ。
魔物の体内からはバキバキと耳を塞ぎたくなるような生々しい咀嚼音が鳴り響く。そして機械人形を砕ききった魔物の一部は再び影の中に沈んでいった。
何もなかったかのような静寂。
吹き荒ぶ風の音。ピトピトと水滴の滴る音が響く。
そして心臓の鼓動までもが耳に届いていた。
「何だったんだよ、あれは……」
訳もわからず囁く俺は、答えを求めるようにフェイズさんを見る。
フェイズさんも動揺していて目を見開き、元いた場所から視線を外さない。
しかし、フェイズさんのそれは正体が分からないからではなく、その正体を知っているからこその動揺だったらしい。
彼はその正体に心当たりがあるかのように、こう囁いたのだった。
「――まさか、グラシャ=ラボラスなのか?」
◇
「影の魔物のこともあるけれど、結局黒コート、もとい黒コートの主の目的って何だったんでしょうね」
とフェイズさん。先程口にしたことは保留にさせて欲しいとのことだった。
それは彼にとっても信じられないくらいに確率が低いものだかららしいし、余計なことを口にして混乱させたくないとのことだった。
「さあね。けれどこういうモノをけしかけてくるんだ。何かあるとしか思えない。影の魔物の件もあるし、妙に気になるな。今はフィリアのそばにスヴェンさんがいるから安心だけれど、これからはあんまりフィリアを一人にしない方がいいかもしれない。それにティアちゃんのことも心配だな。あの子のことはどうするか……」
と自分が無意識に独り言を囁いてしまっていたことに気が付いたとき、横目にフェイズさんが俺を見つめていることにも気が付いた。
「ん? どうしたんだよ、そんなに俺の顔を見つめて。考えが漏れてたことか? だとしたらちょっと恥ずかしいな」
しかし、その考えとは裏腹にフェイズさんは「――やっぱり不可解だ」とだけ囁く。
「不可解って、さっきのことか? そうだよな。いったい何のためにこんな――」
「ちがいますよ。マーベルさん。僕が言ったのはさっきのことではなくて、あなたのことですよ」
「俺の? なんで?」
「なんでって、自覚が無いんですか? 昼頃にも話しましたよね。あなたはまるで物語の登場人物みたいだって」
「ああ、そういや言ってたな」
「思い出しました? あの時はティアちゃんもいましたので言葉にはしませんでしたが、どうにも僕はあなたのことが好きになってしまったらしい」
「……」
あれ? 好き、だって?
好きって、あの好きだよな。
もしかして今俺って告白されてる。
俺の眼前にあるフェイズさんの真摯な眼差し。
それはまるで俺をここから逃がさない、とでも言いたげなように思える。
好き、好き、……好き!?
「はあぁぁ!? 何言ってるんだよフェイズさん。もしかして君はそっち方面の人だったのか? そういう人がいることは知ってるし理解もしているけど、俺自身は受け入れられないよ。それに俺はフィリアのために生きるって決めてるんだ。申し訳ないけど他を当たってくれないか」
と、訳も分からず焦る俺だったが、「君は馬鹿なのか?」とフェイズさんに今まで見たことのないようなゴミを見るような視線を投げかけられる。おかげで一瞬にして冷静さを取り戻すことができた。
ただし額から流れ落ちる冷汗というおまけつきだったけれど。
「うぐッ……」
やれやれとフェイズさんは肩をすくめる。
「あのね、僕が言いたかったことは僕から見たあなたは魔術師としての常識が欠けているということです。だだし、その常識は人間としての欠陥だ。人として失ってはいけないものだ。だけれど、魔術師は皆己の欲望を叶えるために全てを投げうって魔術師となった。ならば己の全ては己自身のために。そうでなければ対価として釣り合わない。だからこそ他人のために力を使う魔術師などこの世にいはしないんだ。それが魔術の世界の『常識』だし、けれどその『常識』にどうにも納得できない自分もいた。だって僕には、自分が身に着けた魔術でどうしても救いたい人がいるんだから。そのためだけに魔術をこの身に刻み付けたんだから。この『常識』は僕にとって大きな障害物でしかないんだよ。そんなところに君という不可解な存在が現れたんだ。長年『常識』に押しつぶされてきた僕としてはなんとも複雑な気分ですよ」
そうしてフェイズさんは力なく微笑む。
「そういうことだったのか。だったらさ、俺という存在は君自身の悩みを解決する助けになりそうかい?」
その問いに首を振るフェイズさん。
「さてね、今のところはどうにも。言っても僕たちって会ったばかりの関係ですから。今後に期待、ってところでしょうね」
「そっか。じゃあ、俺からも一つだけ。これについては俺も、こんな考え方をするのは自分だけなのかな~って思いもしてたさ。俺の最終目的を知っている一部の教授や生徒にはよく言われているからな。マーベルさんのそういうところが甘い、ってさ。だから、俺にとっても君のような存在は珍しかったりするんだよ」
「そうなんですね。ふふ、僕たちってどこか似たような境遇を持っているのかもしれませんね」
そう言ったところでフェイズさんは何かに気が付いたように「はっ」と息を呑んで俺に訊いてくる。
「ああ、そういうこと? もしかしてその腹いせに授業できつく当たってたんですか? 魔人と呼ばれていたってことも実は恐れられるための作戦だったりして」
「そんなわけないだろ。常識なんてあったものじゃねえな、それ!」
とまたしても焦る俺を見てフェイズさんは愉しそうに微笑んだ。
「ふふ、冗談ですよ」
言ってフェイズさんはパシンと手を叩く。
「と、まあこんな雑談もここまでとしまして、そろそろ帰りましょうか。これから先に彼らのような人がいつ現れるか分かりません。警戒しすぎるのもどうかと思いますが、結局彼らが誰を対象にこんなことをしでかしたのかは分からずじまいです。でしたら最悪な事態を避けるためにも可能な限りは自分の大切な人のそばで過ごしましょう、ね」
「そうだな。もう怪しい気配も感じないことだし、一旦帰ろうか。ところでフェイズさんはこれからどうするんだ? 何もなかったら一度スヴェンさんのところに寄ってくかい? 今日だったら夕食があるから一緒にどうかな。ただ、今日のメニューはお楽しみって言われてるから何が出てくるかは分からないんだけどさ。けど美味さは保証するよ。スヴェンさんの料理は格別だから」
その提案にフェイズさんは悩むように唸る。
「うーん、それはとても興味深いんですけれどね。申し訳ない。嬉しい誘いだけれど、ここは断らさせていただきます。僕は僕でこの後にやるべきことがあるんです。また今度、ってことで許してくれませんか」
「そっか。残念だな。じゃあまた今度ってことで。その時が来ることを楽しみにしておくよ」
「ええ。その時はよろしくお願いします」




