47話 積み上げろ。
三人は店を出た。
夜の街は静かだった。
駅へ向かう道。
しばらく誰も口を開かない。
重たい沈黙だけが三人の間を流れていた。
やがて蒼真が立ち止まる。
「……ごめん。」
二人が顔を上げる。
「俺、今日は一人で帰る。」
「ちょっと……一人で考えたい。」
その言葉に。
亜里沙も瑠華も何も言わなかった。
引き止めることもしない。
瑠華が小さく頷く。
「……うん。」
「気を付けて帰ってね。」
亜里沙も涙で少し赤くなった目のまま、小さく頷いた。
「また……学校で。」
その一言が精一杯だった。
「うん。」
蒼真は短く返事をすると、駅とは反対の道へ歩き出す。
その背中を。
二人はしばらく黙って見送っていた。
夜風が頬をなでる。
住宅街をゆっくり歩きながら、ここ数週間の出来事を何度も思い返す。
何が駄目だったのか。
自分なりに考えていた。
正直、自信はあった。
何日も前からカラーを考えた。
父にも手伝ってもらった。
練習も、人一倍やった。
だから。
絶対に大丈夫だと思っていた。
でも。
歩きながら、一つの言葉が頭に浮かぶ。
『秋なのにハイライト?』
撮影前。
何人もの人がそう言っていた。
父も。
亜由美も。
みんな一度は確認してくれた。
それなのに。
自分は。
「大丈夫です。」
その一言で終わらせてしまった。
ハイライトが悪かったわけじゃない。
似合っていなかったわけでもない。
実際。
亜里沙はすごく喜んでくれた。
学校でも評判は良かった。
問題は。
撮影という現場を知らなかったこと。
衣装。
照明。
雑誌のテーマ。
そこまで考えられるほど、自分にはまだ実力がなかった。
そして。
もう一つ。
「俺……」
「一人で突っ走ってたな。」
頭の中には、亜里沙を可愛くしたい。
その気持ちしかなかった。
だから。
周りの言葉が耳に入らなかった。
それが。
今の自分の、一番大きな未熟さだった。
気付けば。
蒼真は店の前に立っていた。
今日は定休日。
店の中は静まり返っている。
鍵を開け、明かりをつける。
誰もいない店内。
いつも聞こえるドライヤーの音も、笑い声もない。
静かだった。
蒼真はゆっくりとウィッグを取り出す。
セット台へ固定する。
コームを持つ。
最近、毎日のように続けていたウィービングの練習。
何も考えず。
ただ無心になりたかった。
コームを入れる。
毛束を拾う。
アルミホイルを添える。
何度も繰り返してきた動き。
それなのに。
手は動いているのに、頭だけは止まらなかった。
亜里沙と出会ってからの数ヶ月。
教室で初めて話した日。
リタッチの約束。
営業後の店。
「ありがとう」と笑ってくれたこと。
撮影前日の電話。
そして。
今日の涙。
全部が頭の中を巡っていく。
「楽しかった……」
思わず声が漏れる。
本当に楽しかった。
美容師になることが、こんなにも楽しいと思えた。
もっと上手くなりたい。
もっと勉強したい。
そう思えたのは、亜里沙がいてくれたからだった。
「なんで、こんなに夢中になれたんだろ……」
ふと考える。
これが恋なのか。
昔、好きだった女の子のことを思い出す。
でも。
あの時とは何かが違う。
亜里沙が事務所と契約すれば。
もう自分が髪を担当することはない。
"カラーモデル"という、たった一つの繋がりもなくなる。
その事実が、どうしようもなく苦しかった。
悔しい。
自分の実力が足りなかった。
もっと知識があれば。
もっと経験があれば。
違う結果があったのかもしれない。
「悔しい……」
コームを握る手に力が入る。
悔しい。
情けない。
悔しい。
気付けば涙が頬を伝っていた。
その涙を拭いながら。
蒼真はゆっくりと目を閉じる。
そして、小さく笑った。
「……そっか。」
「俺。」
「瑠璃ヶ浜さんのこと、好きなんだ。」
初めて口にしたその言葉は。
誰もいない店の中へ、静かに溶けていった。
*
店内には、コームが髪をすくう音だけが響いていた。
その時だった。
カラン――。
入口のドアが開く。
「お前、何やってんだ?」
父だった。
蒼真は手を止めることなく答える。
「……練習。」
父はそれ以上何も聞かない。
その横顔を見れば分かった。
何かあったことくらい、父にはお見通しだった。
しばらく静かな時間が流れる。
先に口を開いたのは蒼真だった。
「……なんで。」
「撮影の結果、聞かないんだよ。」
父は小さく笑う。
「聞かなくても分かる。」
その一言に、蒼真は黙り込む。
父はセット椅子へ腰を下ろした。
「俺も昔、同じような経験した。」
「サロンじゃ褒められても、撮影じゃ全然通用しねぇ。」
「そんなことは山ほどある。」
蒼真は黙って聞いていた。
「でもな。」
父は蒼真を見る。
「お前、その歳でこの経験ができたのはデカいぞ。」
「並の美容師なら、十年かけて気付くようなことだ。」
「それを今、失敗として経験できた。」
「それだけで十分価値がある。」
蒼真はコームを握り締める。
父は続けた。
「だから積み上げろ。」
「教えてもらったことだけじゃ駄目だ。」
「自分で見て。」
「自分で考えて。」
「自分で失敗しろ。」
「その全部がお前の技術になる。」
普段なら、こんなに長く話す父ではない。
だからこそ。
蒼真には、その言葉の重みが伝わった。
「……積み上げる、か。」
簡単なことじゃない。
楽しいことも。
悔しいことも。
失敗も。
全部積み重ねて、美容師になるということなのだ。
父は立ち上がる。
「まあ。」
「崩すのは簡単だけどな。」
そう言って笑う。
そして、いつもの調子で手をひらひらさせた。
「ほら。」
「久しぶりにシャンプーしてみろ。」
「どんだけ成長したか、見せてみろ。」
その一言で。
蒼真は少しだけ笑った。
「……うん。」
その返事は。
昨日までとは少しだけ違う、前を向いた声だった。
読んでいただきありがとうございます!
しんみりした展開も、そろそろ終わらせたいなぁ……と思いながら、一生懸命続きを考えております。
が。
まぁ~~続きが浮かばない(笑)
頭の中では「こうしたい!」というのはあるんですがね、中々そこに持っていく展開が浮かばない。
でも、この章を乗り越えたら、そろそろ恋愛の方も進めていきたいと思っています。
蒼真もようやく自分の気持ちに気付いたので、ここから二人がどう変わっていくのか、作者自身も楽しみです。
引き続き、蒼真と亜里沙を温かく見守っていただけたら嬉しいです!




