45話 夜まで
専門学校を終えた蒼真は、いつもどうり店へ。
店ではまだスタッフが働いている。
蒼真は制服から仕事着へ着替えると、何も言わず店の手伝いを始めた。
床を掃く。
タオルを畳む。
薬剤を補充する。
使い終わった道具を片付ける。
やる気があるとか、ないとか。
そんなことを考える前に体が動いていた。
毎日続けてきたこと。
考えなくても、次に何をするべきか体が覚えている。
やがて作業が終わる。
最後の片付けも終わった。
普段なら。
ここからが蒼真の時間だった。
ウィッグを出し、コームを握る。
練習というより趣味。
普通の高校生がゲームをするように、蒼真にとって一番楽しい時間だった。
だから今日も。
いつものようにウィッグをセット台へ置く。
コームを手に取る。
だが。
手が止まった。
何をやろうとしていたのか分からない。
鏡に映るウィッグを見つめたまま、時間だけが過ぎていく。
「……駄目だ」
小さく呟く。
今日はどうしても集中できない。
その様子を見ていた父が声を掛ける。
「どうした?」
蒼真は少し困ったように笑った。
「なんか……今日、調子悪い」
それだけ言って店を出る。
父は何も聞かなかった。
ただ黙って、その背中を見送っていた。
家へ戻る。
シャワーを浴びる。
部屋へ入る。
ベッドへ腰を下ろしたまま、天井を見上げる。
今日一日を思い返す。
学校を休んだ亜里沙。
何度も話しかけようとしても逃げるように席を離れた瑠華。
どこか様子がおかしかった亜由美。
全部が。
少しずつ噛み合っていない。
昨日まで。
撮影はうまくいったと思っていた。
なのに。
今日一日で、その自信は少しずつ崩れていった。
(明日……)
(本当に瑠璃ヶ浜さんは、来てくれるのかな)
不安は静かに膨らんでいく。
その夜。
蒼真はベッドに腰掛けたまま、ただ天井を見上げていた。
スマホを手に取る。
亜里沙とのトーク画面を開く。
火曜日の夜。
その約束だけが、画面に残っている。
何度見ても、そこに答えはない。
結局その夜、蒼真は何もできなかった。
眠ることさえ、うまくできなかった。
*
翌朝。
教室では一つの話題で盛り上がっていた。
昨日休んだ亜里沙のこと。
そして。
もう一つ。
「ねぇ、昨日さ」
「米倉くん、瑠華のことずっと見てなかった?」
女子の一人が小声で言う。
「え、そうだった?」
「私も見た。」
「亜里沙休んでたからかな?」
「新学期の頃も、亜里沙のこと見てたよね。」
「ちょっと怖くない?」
何気ない一言。
それだけで。
話は少しずつ広がっていく。
女子高生の噂話は早い。
事実かどうかよりも。
「そう見えた」が、一人歩きしていく。
その時だった。
「おはよー」
瑠華が教室へ入ってくる。
すぐに友達が集まった。
「瑠華さ、ちょっと気を付けた方がいいかも。」
「昨日、米倉くん瑠華のこと見てたよ。」
「え?」
瑠華はきょとんとした表情になる。
すぐに昨日のことを思い出した。
蒼真は。
何度も自分へ話しかけようとしていた。
理由も分かっている。
だから。
「違うよ。」
瑠華は笑って首を横に振った。
「そんな人じゃないから。」
それ以上は何も言わなかった。
言えなかった。
日曜、亜里沙から聞いたことは。
亜里沙自身が伝えると決めたことだから。
その時。
教室のドアが開く。
蒼真だった。
教室の空気がほんの少しだけ静まる。
何人かの視線が蒼真へ向く。
だが。
本人はそんなことに気付かない。
いつも通り席へ向かう。
その背中を見ながら。
瑠華は小さく息を吐いた。
しばらくして。
教室のドアがゆっくり開いた。
「おはよー」
亜里沙だった。
昨日休んだとは思えないように、いつも通り挨拶をする。
だが。
その姿は少しだけいつもと違っていた。
マスク。
そして珍しく伊達眼鏡を掛けている。
「ありさ!」
「もう大丈夫?」
「風邪って聞いたけど!」
一瞬で友達が集まった。
「うん、大丈夫!」
亜里沙は笑顔を作る。
「昨日はちょっと熱っぽくてさ」
「もう平気!」
そう答える。
いつも通り。
いつも通りを演じる。
だけど。
その笑顔はどこかぎこちなかった。
マスクで口元は隠れている。
それでも。
泣き腫らした目を隠すように掛けた眼鏡だけは、瑠華には理由が分かっていた。
「そういえばさ!」
女子の一人が何かを思い出したように口を開く。
その瞬間。
瑠華が笑顔で割って入る。
「あ、亜里沙!」
「今日の英語の小テスト勉強してきた?」
「え?」
「私、全然やってないんだけど!」
「あはは、私も!」
話題は一瞬で変わる。
そのまま友達もテストの話で盛り上がり始めた。
亜里沙はその様子を見ていた。
そして。
瑠華と目が合う。
瑠華は何も言わない。
ただ。
小さく笑った。
やがてみんなが自分の席へ戻っていく。
亜里沙も席へ腰を下ろした。
その姿を。
蒼真は少し離れた席から見ていた。
登校してきた。
それだけで安心した。
昨日から抱えていた不安が少しだけ軽くなる。
けれど。
胸の奥の違和感は消えない。
昨日からずっと続いている。
何かがおかしい。
何がおかしいのかは分からない。
でも。
確実に何かが変わっている。
(早く話したいな……)
今夜。
約束の時間になれば分かる。
そう思うしかなかった。
キーンコーンカーンコーン。
始業のチャイムが鳴る。
続いて桃原先生が教室へ入ってくる。
「はいはい、おはよぉー」
いつもの声。
いつもの朝。
ホームルームが終わる。
一限。
二限。
授業はいつも通り進んでいく。
だが。
蒼真の意識は何度も亜里沙の方へ向いてしまう。
マスク姿。
眼鏡。
いつもより少し静かな横顔。
気になる。
それでも。
約束がある。
今日の夜、全部聞ける。
そう思うと、無理に話しかけることはしなかった。
昼休み。
亜里沙はいつものように友達に囲まれていた。
笑っている。
でも。
どこか無理をして笑っているようにも見える。
蒼真は教室の出口まで歩きかける。
少しだけ話そうか。
そう思った。
だが足は止まる。
(……夜でいいか)
今日だけは。
夜にちゃんと話そう。
そう決めて、中庭へ向かった。
午後の授業も、あっという間に終わる。
放課後。
亜里沙は友達と一緒に教室を出て行った。
蒼真はその背中を見送る。
スマホを取り出す。
『専門学校終わったら向かうね。』
短いメッセージを送る。
すぐに既読が付いた。
『うん。待ってる。』
たったそれだけのやり取り。
それなのに。
胸の奥の不安は消えなかった。
蒼真はそのまま専門学校へ向かう。
授業は始まる。
時計を見る。
また時計を見る。
普段ならあっという間に終わる時間が、今日は妙に長く感じた。
そして。
授業終了のチャイムが鳴る。
蒼真は誰よりも早く荷物をまとめた。
「お疲れー」
亜由美の声に軽く手を振る。
「お疲れ様です!」
そう返すと、教室を飛び出した。
今夜。
すべてが分かる。
そう信じて。
読んでいただきありがとうございます!
たぶん今回の章で……
10万文字達成!!
♡ヾ(ΦωΦ)ノ ヒャッホウ
書き始めた頃は、「7万文字くらいで完結するかな」と思っていたのですが、気が付けば余裕で超えていました(笑)
ここまで書き続けてこられたのは、間違いなく読んでくださる皆さんのおかげです。
毎日の更新を楽しみにしてくださる方、♡や★、コメントで応援してくださる方、本当にありがとうございます。
まだ物語は続きます。
蒼真と亜里沙がどんな答えを出すのか、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!




