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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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43話 温度差

スタジオを出た亜里沙は、大きく息を吐いた。


 「終わったぁ……」


 張り詰めていた緊張が一気にほどける。


 空を見上げる。


 撮影は無事に終わった。


 そんな達成感で胸がいっぱいだった。


 その時。


 スマホが鳴る。


 画面には担当スタッフの名前が表示されていた。


 「はい、もしもし」


 『ありちゃん?』


 「はい」


 『今少しだけ時間もらえるかな?』


 「大丈夫です」


 『実は部長から話があってね』


 亜里沙は近くのベンチへ腰を下ろした。


 担当スタッフは少し嬉しそうな声で話し始める。


 『まず一つ目なんだけど』


 『会社として、今後専属モデルをお願いしたいと思ってるの』


 その言葉に亜里沙は目を丸くした。


 「え……?」


 思わず声が漏れる。


 『もちろん、すぐ返事をしてほしいわけじゃない』


 『ゆっくり考えてくれれば大丈夫』


 夢のような話だった。


 しかし。


 担当スタッフは少しだけ言葉を選ぶように続けた。


 『それと、もう一つ』


 さっきまでとは少し違う声だった。


 『今日の撮影なんだけど……』


 亜里沙は自然と背筋を伸ばす。


 『モデルとしては本当に良かったの』


 『表情も、ポージングも、現場での対応も素晴らしかった』


 その言葉に少しだけ安心する。


 だが。


 『今回の秋特集と髪色の方向性だけが、少し合わなかったの』


 『照明や衣装と合わせると、ハイライトが想像以上に目立ってしまって……』


 『編集部で話し合った結果、今後は撮影の時だけでも、こちらでお願いしているサロンのスタイリストに担当してもらえないか、という話になったの』


 その瞬間だった。


 亜里沙の頭に浮かんだのは。


 撮影現場ではなかった。


 何日もウィッグで練習していた蒼真。


 営業後も遅くまで残っていたこと。


 本気で私に似合うカラーを考えてくれていたこと。


 そして。


 「俺、この色すごく瑠璃ヶ浜さんに似合ってると思う」


 昨夜、電話で聞いた声。


 胸が締め付けられる。


 気付くと。


 涙が頬を伝っていた。


 「ご、ごめんなさい……」


 慌てて涙を拭う。


 『ありちゃん?』


 担当スタッフの優しい声が聞こえる。


 『返事は今日じゃなくていいから』


 『ゆっくり考えて』


 『また改めて話そう』


 「……はい」


 電話が切れる。


 亜里沙はしばらくその場から動けなかった。


 夢に近付いたはずだった。


 なのに。


 胸の中は、少しも嬉しくなかった。


 帰り道。


 亜里沙は何度も同じことを考えていた。


 ――蒼真君に、なんて伝えよう。


 頭の中が整理できない。


 専属モデル。


 今日の撮影。


 蒼真。


 考えれば考えるほど、答えが分からなくなる。


 本当は。


 撮影が終わったら少しだけ蒼真に会いに行こうと思っていた。


 今日、プロにヘアセットもメイクもしてもらった自分を見てもらいたかった。


 そして。


 「ありがとう」


 その一言だけは、ちゃんと伝えたかった。


 気付けば亜里沙は電車へ乗っていた。


 向かった先は、蒼真の働く街。


 駅へ降り立つ。


 店へ向かって歩く。


 あと少し。


 あと少し歩けば店だ。


 しかし。


 店の前までは行かなかった。


 道を一本挟んだ向かい側。


 少し離れた場所で立ち止まる。


 ガラス越しに店内が見えた。


 蒼真がいた。


 営業中だった。


 お客と話しながら動き回り、スタッフと声を掛け合い、忙しそうに働いている。


 その姿は。


 美容師の蒼真だった。


 「……やっぱり頑張ってるね」


 小さく呟く。


 その瞬間。


 胸の奥がぎゅっと締め付けられた。


 今日までの全部が頭の中に浮かぶ。


 自然と視界が滲んだ。


 「……会えないよ」


 今は。


 笑顔で会える気がしなかった。


 ありがとうも。


 今日のことも。


 何一つうまく言葉にできる気がしない。


 亜里沙は静かに踵を返す。


 店へ背を向ける。


 一歩。


 また一歩。


 人混みの中へ溶け込むように歩き出した。


 その頬を伝う涙は。


 最後まで止まることはなかった。


 

 ◆◇◆


 営業が終わる頃には、時計の針は夜九時を回っていた。


 蒼真は最後の片付けを終えると、小さく息を吐く。


 ポケットからスマホを取り出した。


 画面には亜里沙からのLINEが届いていた。


 『撮影終わったよ!』


 続けてもう一通。


 『今度の火曜日、専門学校終わったあと空いてる?』


 蒼真は迷わず返信する。


 『空いてるよ。』


 『時間けっこう遅くなるけど、そっちは平気なの?』


 すぐに既読が付く。


 『大丈夫だよ!』


 『じゃあ火曜日の夜ね。』


 蒼真は少し笑いながら画面を見つめた。


 『うん。了解。』


 送信する。


 それだけのやり取りだった。


 それなのに。


 自然と笑みがこぼれる。


 撮影は無事に終わった。


 その報告だけで十分嬉しかった。


 それに。


 自分が担当したモデルが、実際の撮影でどう見えたのか。


 現場ではどんな雰囲気だったのか。


 どんな感想をもらえたのか。


 早く聞きたくて仕方がない。


 「火曜日か……」


 思わず小さく呟く。


 仕事で疲れているはずなのに、不思議と体は軽かった。


 蒼真はウィッグをセット台へ運ぶ。


 コームを手に取る。


 もっと上手くなりたい。


 そんな思いが自然と湧いてくる。


 店内には、コームが髪をすくう小さな音だけが静かに響いていた。

読ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


この章を書いていて改めて思ったのですが、書き始めた頃は、まさかこんな展開になるなんて自分でも全く想像していませんでした。


本来、なろう作品として考えると「それはやらない方がいい」と言われそうな展開なのは、自分でも分かっています(笑)


でも、美容師という仕事や撮影現場をなるべくリアルに描こうとすると、「現実はそんなに甘くない」という部分がどうしても出てきてしまいました。


きっと、なろうの主人公だったら、この場面も完璧に乗り越えて大成功だったんだろうなぁ……なんて思ったりもします(笑)


もっとご都合主義全開で書いた方が、作者としては楽だったのかもしれません。


それでも、この作品だけは蒼真が一歩ずつ失敗しながら成長していく物語として描いていきたいと思っています。


ここから先、蒼真と亜里沙がどんな答えを出すのか、最後まで見届けていただけたら嬉しいです!

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