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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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40/56

40話 ハイライト

 一回目の工程は驚くほど早かった。


 蒼真は慣れた手つきで、生え際の黒い部分だけへ薬剤を塗っていく。


 この作業は何度も練習してきた。


 迷いはない。


 途中、他愛もない話を交わしながらも、手だけは止まらなかった。


 塗り終えると、ラップを丁寧に巻く。


 「少し時間置くね」


 「お茶持ってくる」


 「うん」


 その言葉も。


 前回と同じだった。


 亜里沙は思わず笑う。


 「知ってる(笑)」


 蒼真もつられて笑った。


 待ち時間。


 亜里沙はふとスマホを取り出す。


 「今、写真撮っていい?」


 「別にいいよ」


 蒼真は道具を片付けながら答える。


 亜里沙は鏡越しにラップ姿の自分を一枚撮った。


 「これ絶対レア(笑)」


 そんなことを言って笑っているうちに。


 ピピピッ。


 タイマーが鳴る。


 「じゃあ一回流すね」


 二度目のシャンプーを終え。


 再び鏡の前へ戻る。


 クロスが掛けられる。


 その時だった。


 「蒼真」


 父の声が響く。


 「はい」


 「バック入る」


 短い一言。


 それだけで店の空気が少し変わった。


 近くにいたスタッフ達も、さりげなく視線を向ける。


 ドライヤーが二台。


 父と蒼真が左右に立つ。


 二人で一気に髪を乾かしていく。


 亜里沙は少しだけ緊張した。


 何が始まるのか。


 自分でも分からない。


 でも。


 さっきまでとは空気が違う。


 いよいよ。


 本番が始まろうとしていた。


 薬剤が二つ用意される。


 いよいよ。


 ハイライトの工程が始まった。


 先ほどまでの和やかな空気が、一変する。


 蒼真は口を閉じた。


 鏡越しの表情も真剣になる。


 父は後ろ。


 蒼真は前。


 二人が息を合わせるように立った。


 店内にはドライヤーの音や会話が響いている。


 それなのに。


 亜里沙の耳には、コームが髪をすくう音だけが妙に大きく聞こえた。


 コームのテールで毛束をスライスする。


 そして。


 細かくウィービングしていく。


 あまりにも細かい作業だった。


 亜里沙はハイライトを入れる瞬間を見るのは初めてだった。


 本当は。


 蒼真にプレッシャーを与えたくない。


 だから見ない方がいいと思っていた。


 でも。


 気付けば目が離せなくなっていた。


 迷いのない手。


 一定のリズム。


 スピードを落とさず、正確に毛束を拾っていく。


 「すご……」


 思わず心の中で呟く。


 学校で見る蒼真とは、やはり別人だった。


 作業が始まって数分。


 父が口を開いた。


 「蒼真さん」


 「何かお話しされないんですか?」


 「お客様、退屈しちゃいますよ」


 その一言に。


 蒼真の肩がピクリと動く。


 「あ……」


 少し考え。


 「今日は、このあとどちらかお出かけされるんですか?」


 父は思わず吹き出した。


 「蒼真」


 「女子高生にその質問は、なかなかしないぞ」


 「あっ……」


 蒼真は固まる。


 亜里沙は思わず吹き出した。


 「ふふっ」


 見かねた父が自然に会話を引き継ぐ。


 「モデルの仕事って、どれくらいやってるの?」


 「中学三年生の時です」


 「声を掛けてもらって、それからです」


 「へぇ」


 父は頷く。


 そこからは父と亜里沙の会話が続いていった。


 蒼真は一言も話さない。


 話せなかった。


 本来なら。


 施術をしながら会話をするのも美容師の仕事だ。


 だが。


 今はそんな余裕がない。


 細かなウィービング。


 時間との勝負。


 目の前の髪だけに集中していた。


 やがて。


 父が後ろを塗り終える。


 少し遅れて蒼真も最後の一枚を包み終えた。


 亜里沙の頭には、何枚ものアルミホイルが並んでいる。


 蒼真は前髪が顔に当たらないよう、丁寧にダッカールで留めた。


 「よし」


 父は一歩下がる。


 「じゃあ、また後でな」


 そう言ってバックヤードへ戻っていった。


 店内には再び蒼真と亜里沙だけが残る。


 亜里沙は鏡越しに蒼真を見る。


 少し息が上がっていた。


 額にはうっすら汗も浮かんでいる。


 「お父さんが来た時、びっくりした」


 蒼真は苦笑する。


 「俺一人だと時間が掛かりすぎるから」


 「色の抜け方が変わっちゃうんだよ」


 「だから手伝ってくれたんだと思う」


 「なるほど」


 亜里沙は素直に頷く。


 「優しいね、お父さん」


 蒼真は少し照れたように笑う。


 「……別に」


 短く答えると、道具を片付け始めた。


 「また少し時間置くね」


 「うん」


 亜里沙は鏡を見る。


 アルミホイルだらけの自分の頭。


 なんだか少し面白い。


 思わずスマホを取り出し。


 もう一枚、写真を撮った。


 「これ、記念だね」


 そう呟くと、一人で小さく笑った。


 タイマーが鳴る。


 最後の薬剤を流し終える。


 店へ来た時はまだ営業中だった。


 だが。


 気付けば最後のお客様も帰り、店内はすっかり静かになっていた。


 蒼真もようやく肩の力を抜く。


 山場は越えた。


 その表情からも少しだけ緊張が消えている。


 「じゃあ最後ね」


 蒼真に案内され、最後のシャンプーを終える。


 鏡の前へ戻った。


 まだ髪は濡れている。


 それでも。


 今までとはまるで違った。


 髪の表面には、細く入ったハイライトがうっすらと浮かんでいる。


 「……すご」


 思わず声が漏れた。


 乾いたらどんな仕上がりになるんだろう。


 期待がどんどん膨らんでいく。


 やがて。


 仕上げは前回と同じように父が担当した。


 ブラシを入れ。


 ドライヤーを当てる。


 髪が少しずつ形になっていく。


 その隣では。


 蒼真が真剣な表情で見守っていた。


 「はい、お疲れ様でした」


 父がそう言って一歩下がる。


 最後は蒼真へバトンタッチする。


 鏡の中の自分を見る。


 アッシュをベースに。


 ブラウンのハイライトが自然に溶け込んでいる。


 派手ではない。


 それなのに。


 光が当たるたび、髪が柔らかく輝いて見えた。


 「……すごい」


 思わず笑顔になる。


 こんな髪色は初めてだった。


 亜里沙はすぐにスマホを取り出す。


 一枚。


 もう一枚。


 角度を変えてまた一枚。


 気付けば鏡へどんどん近付いていた。


 「瑠璃ヶ浜さん」


 「その辺で(笑)」


 蒼真が苦笑する。


 「あっ、ごめん!」


 我に返って一歩下がる。


 それでも。


 もう少しだけ。


 鏡の中の自分を見ていたかった。


 すべての施術が終わる頃には。


 外はすっかり夜になっていた。


 亜里沙は荷物をまとめる。


 すると。


 近くにいたスタッフが笑顔で声を掛けてくれた。


 「今日は差し入れありがとうございました!」


 「ごちそうさまでした」


 「また来てくださいね」


 「はい」


 亜里沙は少し照れながら笑う。


 「ありがとうございます」


 そんなやり取りを見ていた蒼真が声を掛ける。


 「駅まで送るよ」


 二人は一緒に店を出た。


 夜風が心地いい。


 駅までの道をゆっくり歩く。


 学校のこと。


 専門学校のこと。


 モデルの撮影。


 今日のカラー。


 話題は次から次へと変わっていく。


 信号で立ち止まる。


 赤信号。


 亜里沙は何気なく隣を見る。


 今日という一日が。


 もう終わってしまう。


 そんなことを思うと。


 少しだけ名残惜しかった。


 信号が青へ変わる。


 二人はまた歩き出す。


 やがて駅へ着いた。


 改札の前で立ち止まる。


 亜里沙は振り返った。


 「今日は本当にありがとう」


 少しだけ笑う。


 「またお店行くね」


 そして。


 自然に言葉が続いた。


 「ありがとう、蒼真君」


 そう言うと、亜里沙は改札の向こうへ消えていく。


 蒼真はその背中を見送りながら、小さく手を振った。


 長かったようで。


 短かった一日。


 二人にとって。


 忘れられない日曜日が、静かに終わった。


 *


 家へ帰った亜里沙は、真っ先に自分の部屋へ向かった。


 バッグを置く。


 服を着替える。


 そして。


 鏡の前へ立つ。


 髪を横から見る。


 後ろを向く。


 もう一度前を向く。


 光が当たるたびに、細く入ったハイライトが表情を変える。


 「……すご」


 何度見ても飽きない。


 スマホを取り出す。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 角度を変えてまた一枚。


 気付けば何枚も写真を撮っていた。


 まるで。


 小さな子どもがおもちゃを買ってもらった時のように。


 嬉しくて仕方がなかった。


 我慢できずに瑠華へ写真を送る。


 すぐに既読が付いた。


 『すごーい!』


 『めっちゃいいじゃん!』


 『担当、やるね!』


 そのメッセージを見た瞬間。


 亜里沙は思わず笑ってしまう。


 『でしょー!』


 少し得意げに返信する。


 そこからしばらく。


 カラーの話や撮影の話でLINEが続いた。


 やり取りが終わると。


 亜里沙はスマホを枕元へ置く。


 ベッドへ横になる。


 今日一日を思い返す。


 Salon RISE。


 蒼真。


 ハイライト。


 鏡に映った自分。


 「……楽しかったな」


 小さく呟く。


 その言葉を最後に。


 亜里沙は静かに目を閉じた。


 その夜は。


 すぐに眠りにつくことができた。


読んでいただいてありがとうございます。

投稿遅くなってすみません。

次回も何卒よろしくお願いします。

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