38話 約束の日
リタッチ当日。
日曜日。
蒼真は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
時計を見る。
まだ朝早い。
普通の高校生なら休日だ。
友達と遊びに行ったり。
家でゲームをしたり。
好きなことをして一日を過ごすのだろう。
だが。
蒼真は違う。
軽く朝食を済ませると、そのまま店へ向かった。
店の鍵を開ける。
シャッターを上げる。
そしてスタッフ達と一緒に開店準備を始めた。
店の前を掃除する。
窓を拭く。
予約表を確認する。
いつもの日曜日の朝だった。
穏やかな時間。
蒼真はこの時間が好きだった。
営業前の静かな店。
まだ誰もいない鏡。
整然と並んだ道具。
これから始まる一日を感じられる。
何より。
美容だけを考えていられる。
見習いではある。
まだ免許もない。
それでも。
サロンの一スタッフとして過ごせるこの時間が好きだった。
いつもなら。
そんなことを考えながら準備をしている。
だが今日は違った。
頭の中にあるのは一つだけ。
営業終了後。
亜里沙のリタッチ。
そのことばかりだった。
モデルとはいえ。
今日は違う。
自分から声をかけ。
自分で掴み取ったお客だ。
蒼真の中では。
初めて担当する本物のお客に近かった。
だからこそ。
失敗したくない。
絶対に喜んでほしい。
そんな気持ちが何度も頭をよぎる。
「おはようございまーす」
スタッフが出勤してくる。
蒼真も慌てて頭を下げた。
「おはようございます!」
営業準備は順調に進む。
そして開店時間になる。
最初のお客様が来店する。
いつも通りの営業が始まった。
だが。
蒼真だけはいつも通りではなかった。
時計を見る。
まだ朝だった。
少し仕事をする。
また時計を見る。
まだ午前中だった。
「……時間進まなすぎだろ」
思わず小さく呟く。
今日だけは。
時計の針がいつもの何倍も遅く動いている気がした。
*
しかし。
営業が始まるとそんな余裕はすぐになくなった。
次々と来店するお客様。
片付け。
掃除。
タオル交換。
先輩へのヘルプ。
気付けば店内を走り回っていた。
余計なことを考える暇などない。
蒼真は目の前の仕事に全力で食らいついていた。
そして。
気付けば午後五時。
ピークを過ぎた店内は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
その時だった。
「蒼真」
父が声を掛ける。
「はい」
「そろそろ上がれ」
蒼真が目を丸くする。
まだ帰る時間ではない。
父は笑った。
「店はもういい」
「夜の予約忘れんなよ」
その言葉で。
蒼真は我に返った。
今日。
リタッチ当日だった。
忙しさですっかり頭から飛んでいた。
父は肩をすくめる。
「準備しとけ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
だが。
気を遣ってくれているのは分かる。
いつもよりかなり早い。
蒼真は小さく頭を下げた。
「ありがとう」
父は聞こえないふりをした。
「ほら行け」
蒼真は控室へ向かう。
深く息を吐く。
そして。
もう一度心を落ち着かせた。
あと少しで。
亜里沙がやって来る。
◇◆◇
一方その頃。
亜里沙もまた、落ち着かなかった。
日曜日。
普段なら友達と遊んだり、買い物へ行ったり。
何かしら予定が入っていることが多い。
だが今日は違った。
自分から予定を入れなかった。
理由は分からない。
ただ。
今日は空けておきたかった。
朝。
亜里沙はいつもより早く目を覚ました。
時計を見る。
まだ早い。
それなのに二度寝する気になれなかった。
ベッドから起き上がる。
顔を洗う。
そして気付けばランニングウェアへ着替えていた。
最近続けているランニング。
いつもは夕方に走る。
だが今日は朝から走り始めていた。
じっとしていられない。
理由はよく分からない。
でも。
なんとなく気分が落ち着かなかった。
走る。
走る。
いつもより長く走る。
ようやく家へ戻る。
汗を拭きながら時計を見る。
「まだ九時前か……」
思わず呟いた。
時間が全然進まない。
朝食を済ませる。
その後は街へ出た。
服屋を覗く。
雑貨屋を見る。
そして本屋へ入る。
何気なくファッション誌を手に取った。
モデル。
メイク。
ポーズ。
撮影。
ページをめくる。
気付けば服ではなく髪ばかり見ていた。
「へぇ……」
ハイライト。
アッシュ。
ブラウン。
自然と目が止まる。
欲しい服を探しに来たはずだった。
普段ならそうしている。
だが今日は違った。
気になるのは髪色ばかりだった。
その時。
スマホが震える。
友人からだった。
『今日暇?』
短いメッセージ。
亜里沙は少しだけ考える。
そして返信した。
『ごめん、今日は予定ある』
送信。
スマホをしまう。
ふと。
思った。
今日は予定を入れなくて良かった。
本当にそう思う。
まだ正午を少し過ぎたくらいだというのに。
もう一度家へ帰ることにした。
昼食を済ませる。
部屋へ戻る。
ベッドへ倒れ込む。
天井を見上げる。
今日の夜。
リタッチ。
蒼真。
ハイライト。
そんなことばかり考えていた。
時間が進まない。
本当に進まない。
まだかな。
あとどれくらいだろう。
そんなことを考えているうちに。
いつの間にか意識が薄れていく。
そして。
亜里沙はそのまま眠ってしまった。
*
目を覚ます。
「あっ!!」
亜里沙は飛び起きた。
寝すぎた?
リタッチは?
慌ててスマホを掴む。
時計を見る。
しかし。
焦った気持ちとは裏腹に。
外はまだ明るかった。
予定の時間までまだかなり余裕がある。
「……なんだ」
亜里沙は大きく息を吐いた。
一瞬本気で焦った。
そして。
そんな自分がおかしくなる。
「落ち着け(笑)」
誰に言うでもなく呟いた。
ベッドから降りる。
支度を始める。
鏡の前に立つ。
前髪をかき上げる。
生え際が見える。
黒い。
思った以上に伸びている。
それを見て。
なぜか少しテンションが上がった。
「いい感じかも」
思わず笑う。
今日はどんな仕上がりになるんだろう。
ハイライト。
秋カラー。
蒼真が考えてくれたスタイル。
想像するだけで少し楽しくなる。
準備を終える。
そして家を出た。
夜の時間帯。
それなのに空はまだ少し明るい。
気温もちょうどいい。
風も気持ちいい。
なんだか今日は全部が少しだけ良く見えた。
普段歩いている道。
見慣れた景色。
それなのに。
どこか特別な日に思える。
亜里沙は自然と足取りが軽くなる。
そして。
知ってる美容室の看板が見えてきた。「Salon RISE」
蒼真の店だった。
先日、皆様に蒼真のお店の名前を募集したところ――
一件もお便りをいただけませんでした。( ꐦ◜ᴗ◝)
作者、ちょっと泣きました。
なので当初の予定通り、
ヘアサロン ライス
にしようかと思いました。
しかし。
さすがに主人公の実家が米屋みたいになってしまうので、
最終的に
Salon RISE
に決定しました。
きっと田舎のおじいちゃんおばあちゃんが看板を見たら、
「おっ、米屋だべ」
と思って入店してくれることでしょう。
なお、
お米の販売予定は今のところありません。
髪は切れます。
カラーもできます。
たぶん。
お米を買いたい方は、ぜひ Salon RISE へお越しください。
(# ゜Д゜)




