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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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34話 父

蒼真は雑誌から顔を上げた。


 父は腕を組んだまま立っている。


 しばらく沈黙が続いた。


 そして。


 蒼真が口を開く。


 「ハイライト教えて」


 父は一瞬固まった。


 「は?」


 蒼真は真顔だった。


 「だからハイライト」


 父は蒼真の顔を見る。


 雑誌を見る。


 また蒼真を見る。


 そして何かを察したようにため息をついた。


 「なるほどな」


 蒼真は何も言わない。


 父は頭をかく。


 「お前」


 「簡単にできると思うなよ」


 その声はいつもより少し真面目だった。


 ハイライト。


 言葉だけなら簡単だ。


 だが実際は違う。


 入れる位置。


 太さ。


 量。


 どれか一つズレるだけで印象が変わる。


 自然に見せる方がむしろ難しい。


 蒼真もそれは理解していた。


 だから短く答える。


 「分かってる」


 父はしばらく蒼真を見ていた。


 冗談で言っている顔じゃない。


 本気だ。


 そして父は小さく笑った。


 「そうか」


 そのままバックヤードの方へ顎をしゃくる。


 「ウィッグ持ってこい」


 蒼真が顔を上げる。


 父はすでに歩き出していた。


 「口で説明しても覚えねぇ」


 「まずやってみろ」


 蒼真は反射的に立ち上がる。


 胸の奥が少しだけ高鳴った。


 父が技術を教えてくれる。


 それだけで嬉しかった。


 蒼真は急いで練習用のウィッグを取りに向かった。


 *


 父はウィッグをセット台へ固定した。


 そしてコームを手に取る。


 「よく見とけ」


 蒼真は隣へ立った。


 父は迷いなく髪を分け取る。


 スライス。


 そしてテールの先で髪をすくう。


 細い。


 本当に細い。


 アルミホイルへ乗せる。


 リンスを塗る。


 包む。


 流れるような動きだった。


 蒼真は思わず見入る。


 簡単そうに見える。


 だが。


 父は振り返った。


 「じゃあやれ」


 「はい」


 蒼真はコームを握る。


 まずはスライス。


 一センチ。


 そこまではいい。


 問題はここからだった。


 テールで毛束をすくう。


 二ミリ。


 そのつもりだった。


 だが実際はバラバラだ。


 細い毛もあれば太い毛もある。


 さらに左手が連動して動いてしまう。


 その瞬間。


 ポカッ。


 頭を叩かれた。


 「いてっ」


 「左手動かすな」


 父が即座に言う。


 「客だったら引っ張られて痛ぇだろ」


 蒼真は慌てて謝る。


 「すみません」


 再挑戦。


 今度は慎重に。


 だが。


 今度は毛束が太すぎた。


 父がため息をつく。


 「今何ミリ取った?」


 「えっと……」


 「二ミリって言ったよな?」


 蒼真は黙る。


 再挑戦。


 また失敗。


 再挑戦。


 また失敗。


 思ったより遥かに難しい。


 見るのとやるのでは全然違う。


 父がやれば数秒。


 だが蒼真は一本取るだけで何十秒もかかる。


 焦る。


 すると余計に手元が狂う。


 失敗する。


 またやり直し。


 いつの間にか店内は静かになっていた。


 かなり時間が経っている。


 目の前のウィッグにはアルミホイルが何枚も付いている。


 しかし。


 納得できるものは一つもない。


 父は腕を組んだまま言った。


 「どうだ?」


 蒼真はウィッグを見る。


 そして小さく息を吐いた。


 「難しい……」


 正直。


 ここまで難しいとは思っていなかった。


 リタッチとはまるで別物だった。


 父は少しだけ笑う。


 「だから言っただろ」


 「簡単じゃねぇんだよ」


 蒼真は何も言い返せない。


 悔しかった。


 悔しかったが。


 同時に少しだけ楽しかった。


 自分の知らない技術がまだまだある。


 そう思えたからだ。


 蒼真は再びコームを握る。


 父はそんな息子を見て。


 何も言わず次のホイルを差し出した。


 *


「オーナー」


 アシスタントの声が店内に響く。


 「私、そろそろ終電なんで帰りますね」


 父が時計を見る。


 「あ?」


 「もうそんな時間か」


 気付けば日付は変わっていた。


 父は苦笑しながら言う。


 「お疲れさん」


 「気を付けて帰れよ」


 「はーい」


 アシスタントは荷物を持つ。


 そして店を出る直前。


 まだウィッグと格闘している蒼真を見た。


 「蒼真」


 「いい加減にしときな」


 蒼真の耳には入っていない。


 完全に集中していた。


 アシスタントは呆れたように笑う。


 「明日学校でしょ?」


 「ほどほどにねー」


 そう言い残して帰っていった。


 父は閉まったドアを見る。


 そして蒼真を見る。


 少しだけ反省したように頭をかいた。


 「おい」


 「今日はもうやめろ」


 その言葉で。


 初めて蒼真の手が止まった。

 

 *


 店を閉める。


 シャッターを下ろす。


 店内の電気を消す。


 いつもの作業を終えた頃には、すっかり夜も更けていた。


 蒼真は疲れ切っていた。


 風呂へ入り、自分の部屋へ向かう。


 その背中を見送りながら。


 父は一人カウンターへ腰を下ろした。


 冷蔵庫を開ける。


 缶ビールを一本取り出す。


 プシュッ。


 小気味良い音が響く。


 一口飲む。


 「うめぇ」


 思わず声が漏れた。


 明日は火曜日。


 定休日だ。


 久しぶりに朝を気にしなくていい。


 父はもう一口飲む。


 だが。


 本当に酒が美味い理由は別にあった。


 今日の蒼真だ。


 あれだけ夢中になっている姿を見たのはいつ以来だろう。


 高校生活


 専門学校。


 店の手伝い。


 疲れているはずなのに。


 気付けば日付が変わるまでウィッグと向き合っていた。


 父は少し笑う。


 「頑固なところは俺に似たな」


 誰もいない店内で呟く。


 ビールが進む。


 一缶。


 二缶。


 三缶。


 気付けば普段よりかなり飲んでいた。


 だが不思議と気分は悪くない。


 むしろ上機嫌だった。


 「まぁ」


 父は缶をテーブルへ置く。


 「頑張れよ」


 息子に聞こえるはずもない言葉を残して。


 もう一口ビールを流し込んだ。



読んでいただいてありがとうございます。


土曜日は更新しないので、また日曜日。




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