23話 前進
渋々、蒼真は職員室へ向かった。
正直気が重い。
遅刻の件だろうか。
課題だろうか。
心当たりを探しながら職員室へ入る。
すると榎本先生は席を立ち、
「こっち」
それだけ言って歩き出した。
案内されたのは談話室だった。
蒼真の緊張が一段階上がる。
普通に話すだけなら職員室で済む。
わざわざ談話室。
嫌な予感しかしない。
向かい合って座る。
榎本先生は缶コーヒーを一本机に置き、自分も椅子へ腰掛けた。
しばらく沈黙。
先に口を開いたのは榎本先生だった。
「遅刻した理由は分かった」
蒼真は黙って聞く。
「連絡もちゃんと入れた」
「そこは問題ない」
少しだけ安心する。
だが。
榎本先生の表情は変わらない。
「ただね」
鋭い視線が蒼真へ向けられる。
「これが続くようだと、あなたうちの学校続かないよ」
蒼真は息を呑んだ。
責められているわけではない。
怒られているわけでもない。
それでも言葉は重かった。
榎本先生は続ける。
「高校」
「美容学校」
「家の手伝い」
指を折りながら並べていく。
「普通の高校生なら一つでも大変」
「あなたは三つやってる」
事実だった。
だから反論できない。
「どれか一つを疎かにすると、全部崩れる」
談話室が静かになる。
榎本先生は少しだけ視線を落とした。
「面接の時、覚えてる?」
蒼真は顔を上げる。
もちろん覚えていた。
入学面接。
あの日。
「高校も続けます」
「美容学校も続けます」
「店の手伝いもやります」
自分ではっきり言った。
榎本先生は小さく頷く。
「私はね」
「その言葉を信じたから合格にしたの」
蒼真は何も言えなかった。
榎本先生は腕を組む。
相変わらず目つきは鋭い。
けれどその声に怒りはなかった。
「だから聞く」
「今でも続ける覚悟ある?」
談話室が静まり返る。
試されているわけじゃない。
責められているわけでもない。
ただ確認されている。
蒼真は少しだけ考えた。
そして顔を上げる。
「あります」
即答だった。
榎本先生は数秒黙る。
やがて小さく息を吐いた。
「ならいい」
その一言だった。
けれど。
どこか安心したようにも見えた。
「ただし」
再び鋭い目になる。
「無理して倒れたら意味ないから」
「それだけは覚えといて」
蒼真は静かに頷いた。
榎本先生は缶コーヒーを蒼真の方へ押した。
「飲みな」
「今日は帰って寝ろ」
「ありがとうございます」
蒼真は缶コーヒーを手に取る。
少しだけ温かかった。
その日の夜。
シャワーを浴び、自主練も終えた蒼真はベッドへ倒れ込んだ。
時計を見る。
日付が変わるまで、あと少し。
疲れているはずなのに、なかなか眠気が来ない。
天井を見上げながら、蒼真は今日のことを思い出していた。
榎本先生。
談話室。
鋭い視線。
そして、あの言葉。
――全部やるって決めたのは、あなたでしょ。
蒼真は小さく息を吐いた。
球技大会。
怪我をしたくない。
それは本当だ。
指は大事だ。
美容学校もある。
店の手伝いもある。
だから出場を免除してもらった。
間違った判断ではなかったと思う。
でも。
「……本当にそれだけか?」
誰に聞くでもなく呟く。
静かな部屋に自分の声だけが響いた。
球技大会が嫌いなわけじゃない。
運動が得意なわけでもない。
むしろ苦手だ。
大勢で盛り上がるのも得意じゃない。
クラス全員で何かをするのも、少し苦手だった。
だから。
怪我を理由にして、逃げようとしていただけじゃないのか。
そんな考えが頭をよぎる。
蒼真は枕元に置いたスマホへ目を向けた。
高校。
美容学校。
店の手伝い。
全部やる。
面接の時、自分で言った言葉だ。
誰かに言わされたわけじゃない。
自分で決めた。
だったら。
高校生活の行事だけ避けるのは違う気がした。
「……はぁ」
大きく息を吐く。
そして苦笑する。
結局。
答えはもう出ていた。
蒼真はベッドから起き上がる。
明日。
もう一度、桃原先生に話そう。
球技大会に出る。
もちろん無茶はしない。
怪我もしないよう気を付ける。
それでも。
高校生活も、美容学校も、店の手伝いも。
全部やると決めたのだから。
蒼真は再びベッドへ横になる。
今度は少しだけ気持ちが軽かった。
目を閉じる。
数分後には、静かな寝息が部屋に響いていた。
翌朝。
ホームルームが始まる。
教壇の前に立った桃原先生が出席簿を閉じた。
「はい、連絡事項ねー」
教室が少し静かになる。
「今日の六限、ロングホームルームだから」
「球技大会の種目決めやるよー」
その瞬間。
教室のあちこちで声が上がった。
「よっしゃ!」
「何やろうかなー」
「バレー人気そう」
朝から盛り上がっている。
蒼真はそんなクラスを眺めながら小さく息を吐いた。
昨夜決めたことを思い出す。
――全部やる。
高校も。
美容学校も。
店の手伝いも。
だったら。
球技大会だけ避けるのは違う。
*
昼休み。
蒼真は一人で職員室へ向かった。
扉を開く。
すぐに桃原先生を見つけた。
「先生」
「ん?」
パソコンへ向かっていた桃原先生が顔を上げる。
蒼真は一度だけ深呼吸した。
「この前の球技大会の件なんですけど」
「うん」
「やっぱり参加します」
一瞬だけ沈黙が流れる。
桃原先生は数秒蒼真を見つめた。
そして。
ふっと笑った。
「そう来たか」
蒼真は黙って頷く。
「怪我が怖くなくなったわけじゃないです」
「でも……高校生活もちゃんとやろうと思って」
言葉にすると少し照れくさい。
だが本音だった。
桃原先生はしばらく何も言わなかった。
やがて満足そうに頷く。
「いいじゃん」
「そういうの大事だと思うよ」
そして椅子にもたれながら続けた。
「正直、米倉君ならそう言ってくる気がしてた」
「え?」
「いや、なんとなくね」
桃原先生は笑う。
どこか嬉しそうだった。
「じゃあ出場辞退は取り消しね」
「ありがとうございます」
蒼真は頭を下げた。
*
そして六限目。
ロングホームルーム。
机が動かされ。
球技大会の種目決めが始まろうとしていた。
教室の空気は朝以上に浮ついている。
桃原先生が黒板の前に立つ。
「みんなー」
「じゃあ球技大会のメンバー決めるよー」
クラスが一気に騒がしくなった。
その中で。
蒼真は静かに席へ座っていた。
昨夜までとは少しだけ違う気持ちで。
球技大会へ参加することを決めたのだから。
読んでいただいてありがとうございます。




