22話 遅刻
翌日のホームルーム。
担任の桃原先生が教壇の前に立ち、プリントを配り始めた。
教室が少しざわつく。
球技大会のお知らせだった。
「来月、球技大会あるからねー。各自、出たい種目考えといてー」
その一言でクラスの空気が変わる。
「バレーやろうぜ!」
「いやドッジだろ!」
「女子どうするー?」
あちこちで楽しそうな声が飛び交った。
イベント前特有の浮ついた空気。
普段より少しだけ教室が明るく見える。
しかし。
蒼真だけは気が重かった。
球技。
つまりボールを使う。
つまり指を使う。
指を怪我する。
それは美容師の卵にとって致命的だった。
高校だけならまだいい。
だが夜は美容学校がある。
学校の課題。
店の手伝い。
夜の練習。
全部、指先を使う。
蒼真は配られたプリントを見ながら小さくため息を吐いた。
――どうしよう。
*
その日の放課後。
蒼真は職員室へ向かった。
事情を説明すると、桃原先生は少し考えたあと納得したように頷く。
「まぁ米倉の場合は事情が事情だしね」
美容学校へ通っていることも。
家が美容室であることも。
桃原先生は知っている。
「うん、分かった。出場は免除でいいよ」
蒼真はほっと胸を撫で下ろした。
しかし。
「ただし」
桃原先生が人差し指を立てる。
嫌な予感しかしない。
「何もしないってわけにはいかないかな」
「当日はクラスのサポート係ね」
「サポート係?」
「試合の進行確認、飲み物の管理、出欠確認。その辺」
桃原先生はニヤリと笑った。
「米倉君、そういうの得意そうじゃん?」
蒼真は少しだけ考える。
確かに競技へ出るよりはずっとマシだった。
「……分かりました」
そう返事をすると、桃原先生は満足そうに頷く。
桃ちゃんとの話が終わり、蒼真は職員室を出た。
廊下にある時計を見る。
時刻は思ったより遅かった。
「やば」
思わず呟く。
いつもなら、とっくに美容学校へ向かう時間だ。
蒼真は急いで昇降口へ向かいながらスマホを取り出した。
数回の呼び出し音。
すぐに電話が繋がる。
「すみません。少し遅れます」
相手は美容学校の担任だった。
事情を簡単に説明すると、
『分かった。気を付けて』
短い返事が返ってくる。
「ありがとうございます」
電話を切り、蒼真は足早に校門へ向かった。
*
その頃。
亜里沙は瑠華と一緒に帰ろうとしていた。
昇降口を出たところで、ふと視界の端に見慣れた姿が映る。
蒼真だった。
スマホを耳に当てながら、どこか急いでいる様子で歩いている。
普段なら、とっくに帰っている時間だ。
亜里沙は思わず足を止めた。
「どした?」
瑠華が不思議そうに聞く。
「いや……」
亜里沙は小さく首を振った。
蒼真は電話を終えると、そのまま駅の方へ走っていく。
こちらには気付いていない。
「何やってるんだろ」
思わず呟く。
この時間まで学校に残っているのも珍しい。
しかも、あんなに急いでいる。
少しだけ気になった。
けれど理由を聞く機会もなく、蒼真の背中は人混みの中へ消えていった。
*
美容学校へ駆け込む。
教室の扉を開けると、すでに授業は始まっていた。
「すみません」
蒼真が頭を下げる。
教室中の視線が一瞬集まる。
その中で、一人だけ腕を組んで立っていた女性がいた。
榎本先生。
金髪をまとめた綺麗な女性だ。
年齢は三十代前半くらい。
目つきは鋭く、初対面だと少し怖く見える。
だが生徒たちは知っている。
この人が誰より面倒見が良いことを。
「ねぇ米倉」
低めの声。
蒼真の背筋が少し伸びる。
「遅刻の連絡は?」
「入れました」
「誰に?」
「榎本先生です」
「そう」
榎本先生は一つ頷く。
そして教室全体を見回した。
「今のやり取り聞いた?」
数人が頷く。
「社会出たらね」
「遅刻することより、連絡しない方が怒られるから」
教室が静かになる。
榎本先生は続ける。
「体調崩した」
「電車止まった」
「事故った」
「理由なんて後でいい」
「まず連絡」
「それが出来ない人間は信用失う」
淡々とした口調だった。
怒鳴らない。
説教もしない。
でも言葉は重い。
「座っていいよ」
「ありがとうございます」
蒼真は席へ向かった。
隣では亜由美が苦笑している。
「いきなり公開処刑じゃん」
「別に怒られてないだろ」
「そういうとこ」
意味が分からない。
蒼真は首を傾げた。
*
授業終了後。
帰ろうとしていた蒼真へ声が飛ぶ。
「米倉」
振り返る。
榎本先生だった。
「ちょっと残って」
その一言で教室がざわつく。
蒼真は眉をひそめた。
「俺ですか?」
「あなた以外誰がいるの」
即答だった。
そして榎本先生は資料を閉じる。
「話あるから」
「職員室」
それだけ言って歩いていく。
蒼真は心当たりを探した。
だが何も思い浮かばない。
「何かやらかした?」
亜由美がニヤニヤしている。
「知らん」
「じゃあ頑張って」
「何を」
「生きて帰ってきて」
「おい」
蒼真はため息を吐いた。
榎本先生の背中はすでに廊下の向こうへ消えている。
――嫌な予感しかしなかった。
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