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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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21話 感覚

高校が終わると、蒼真はそのまま美容学校へ向かった。


 いつもの教室。


 いつもの席。


 机の上に道具を並べながら、一限目の課題であるワインディングの準備をしていく。


 ウィッグをセットし、ロッドケースを開く。


 その時だった。


 「ねぇ」


 隣の席から声が飛んでくる。


 亜由美だった。


 「ん?」


 「結局あれからどうなの?」


 蒼真は一瞬だけ考える。


 「あれって?」


 「ダッカール」


 「あー」


 蒼真はロッドを並べながら答えた。


 「どうって言われても」


 「貸したままだな」


 「返してもらってないし」


 亜由美が目を細める。


 「それ大丈夫なの?」


 「別に」


 蒼真は肩をすくめた。


 「ちゃんと使ってるみたいだし」


 「俺から返さなくていいって言ったし」


 その瞬間。


 亜由美の手が止まった。


 「……へぇ」


 少しだけ目を丸くしている。


 蒼真は気づかない。


 ロッドを整理し続けている。


 「何?」


 「いや?」


 亜由美は口元を押さえながら笑った。


 「なんか思ってたよりいい方向に進んでるなーって」


 「?」


 意味が分からない。


 蒼真は首を傾げる。


 「何が?」


 「別にー」


 亜由美はにやにやしていた。


 その顔を見ていると、なんだか面倒な予感しかしない。


 「その顔やめろ」


 「やだ」


 即答だった。


 ちょうどその時。


 担当講師が教室へ入ってくる。


 「はい、準備できた?私語やめてー」


 教室の空気が一気に変わる。


 亜由美はまだ笑っていた。


 蒼真は最後まで何がおかしいのか分からなかった。



実技の授業が始まる。


 「スタート」


 講師の声と同時に、教室の空気が一変した。


 さっきまで雑談していた生徒たちも、一斉にウィッグへ向き合う。


 ロッドケースを揺らす。


 コームを動かす音。


 紙を引き抜く音すら聞こえなくなる。


 全員が課題に集中していた。


 蒼真もいつものように手を動かす。


 髪を細かく分け、ロッドを巻く準備を進めていく。


 そして。


 一本目を巻こうとした、その時だった。


 指先に違和感が走る。


 「……」


 蒼真は一瞬だけ手を止めた。


 絆創膏ばんそうこう


 昼休みに亜里沙から渡されたものだった。


 ロッドを巻く時の感覚が少し違う。


 普段なら気にならない程度の差。


 でもワインディングは指先の感覚が大事だ。


 少しでも感覚がズレると巻きやすさが変わる。


 蒼真は無意識に絆創膏へ触れる。


 外した方がやりやすい。


 それは分かっていた。


 実際、いつもなら迷わず外している。


 なのに。


 指先が止まる。


 「……」


 一瞬だけ剥がそうとして。


 なぜかやめた。


 理由は自分でも分からない。


 ただ。


 今は外したくなかった。


 蒼真は小さく息を吐く。


 「まぁ、いいか」


 そう呟くと、そのままロッドを巻き始めた。


 授業は続く。


 周りの誰も気づかない。


 けれど蒼真の指先には、いつもより少しだけ不器用な違和感が残っていた。



アラーム音が教室に響く。


 「そこまでー」


 講師の声と同時に、生徒たちが一斉に手を止めた。


 あちこちからため息が漏れる。


 蒼真も小さく息を吐いた。


 時間はギリギリだった。


 それでも課題は終わっている。


 ウィッグに巻かれたロッドを確認しながら、蒼真は肩の力を抜いた。


 不思議と気分は悪くなかった。


 むしろ少しだけ調子が良かった気すらする。


 蒼真はロッドを外し始める。


 片付けの準備をしながら道具をまとめていると。


 隣から聞き慣れた声が飛んできた。


 「ははぁ〜ん」


 亜由美だった。


 どう見ても面白がっている顔をしている。


 「なに」


 蒼真は嫌な予感しかしなかった。


 「いや別に?」


 「なんか思ったよりいい方向に進んでるなーって」


 「だから何が?」


 蒼真は本気で分からない。


 亜由美は数秒黙った。


 そして額を押さえる。


 「その顔」


 「ほんと腹立つ」


 「?」


 意味が分からない。


 蒼真は首を傾げた。


 亜由美はそんな様子を見て、呆れたように笑う。


 「まぁいいや」


 「お姉さんの助言は偉大だったってことね」


 「はぁ?」


 「感謝しなさい」


 「意味分かんないんだけど」


 「分からなくていい」


 即答だった。


 蒼真は最後まで何を言われているのか理解できない。


 それでも。


 なぜだろう。


 今日は少しだけ気分が軽かった。


 次の課題の準備をしながら、蒼真はもう一度指先の絆創膏へ目を向ける。


 そして何事もなかったように、次の実技へ取りかかった。


美容学校が終わる。


 そのまま店へ戻り手伝いをする。


 営業の片付け。


 自主練。


 気づけばあっという間に時間は過ぎていた。


 シャワーを浴び、自分の部屋へ戻る。


 時計を見ると日付が変わろうとしていた。


 いつものことだ。


 ベッドへ倒れ込む。


 普段ならここから少しだけゲームをしたり、動画を見たりする。


 ようやく一人になれる時間だった。


 なのに。


 今日は妙に眠かった。


 「……ねむ」


 小さく呟きながら天井を見上げる。


 昼休み。


 絆創膏。


 美容学校。


 亜由美の意味不明な言葉。


 色々あった気がする。


 でも。


 なぜか嫌な一日ではなかった。


 むしろ少しだけ気分が良い。


 理由はよく分からない。


 「まぁいっか」


 そう呟いた頃には、もう瞼が重くなっていた。


 蒼真はそのまま眠りへ落ちていく。


 珍しく何も考えないまま。

読んでいただいてありがとうございます。

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