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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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20話 尊敬

 放課後。


 亜里沙は友達たちとカラオケへ来ていた。


 歌って。


 笑って。


 気づけばあっという間に時間が過ぎている。


 店を出た頃には空はすっかり暗くなっていた。


 駅へ向かう途中。


 今日は瑠華も同じ方向だった。


 「マジであの曲やばかったよね」


 「それな」


 他愛もない話をしながら二人で歩く。


 そんな中。


 行ったことのある美容室の前へ差しかかった。


 蒼真の家の店だった。


 ——あ。


 気づいた瞬間。


 亜里沙の視線は自然と店内へ向いていた。


 大きな窓越しに店の中が見える。


 そして。


 そこに蒼真がいた。


 営業は終わっている。


 客もいない。


 静かな店内で、蒼真はウィッグと向き合っていた。


 鏡を見る。


 髪を整える。


 確認する。


 また手を動かす。


 何度も同じ作業を繰り返していた。


 真剣だった。


 学校で見る眠そうな顔じゃない。


 好きなことに夢中になっている顔だった。


 亜里沙は思わずその姿を目で追う。


 けれど隣の瑠華は気づいていない。


 「でさー」


 相変わらず楽しそうに話を続けている。


 亜里沙も相槌を打つ。


 「うん」


 「そうだね」


 でも。


 視線だけは何度も店へ向いてしまう。


 ついさっきまで自分たちはカラオケで遊んでいた。


 それも楽しかった。


 何も悪いことじゃない。


 だけど。


 同じ高校生なのに。


 蒼真はこうして夜まで練習している。


 美容学校へ通って。


 店も手伝って。


 それでもまだ練習している。


 「……すご」


 思わず小さく呟く。


 「ん?」


 瑠華が振り返る。


 「なにが?」


 「え?」


 亜里沙は慌てて首を振った。


 「なんでもない」


 そう言って笑う。


 けれど。


 最後にもう一度だけ店内を見る。


 蒼真は相変わらずウィッグと向き合っていた。


 その横顔を見ながら。


 亜里沙は小さく思う。


 ——あいつ、すごいな。




次の日の昼休み。


 亜里沙は瑠華と一緒に昼食を食べていた。


 蒼真も隣の席でパンをかじっている。


 いつもの昼休み。


 いつもの光景。


 すると。


 「米倉くん!」


 昨日の女子たちがやって来た。


 蒼真が顔を上げる。


 「昨日教えてくれたやつ!」


 「分け目逆にしてみたら前髪跳ねるの治まった!」


 「マジでありがと!」


 女子たちは嬉しそうだった。


 蒼真は特に驚く様子もなく頷く。


 「よかった」


 それだけ。


 いつも通りの声だった。


 「また今度教えてね!」


 「うん」


 女子たちは少し照れながら笑い、そのまま自分たちの席へ戻っていく。


 なんでもない会話だった。


 蒼真にとっても。


 女子たちにとっても。


 きっと。


 でも。


 昨日の夜。


 美容室の窓越しに見た蒼真の姿が頭をよぎる。


 真剣な表情。


 ウィッグと向き合う姿。


 好きなことに夢中になっていた顔。


 蒼真はきっと、誰が相手でも同じなんだろう。


 髪で困っている人がいたら。


 相談されたら。


 きっと昨日みたいに教える。


 助ける。


 それは良いことだ。


 むしろ蒼真らしい。


 なのに。


 なぜだろう。


 少しだけ面白くなかった。


 「……」


 無意識に蒼真の方を見る。


 本人はもう次のパンを食べていた。


 何も気にしていない顔。


 その様子を見ていると。


 なんだか少しだけ寂しい気持ちになった。


 「ありさ?」


 隣から瑠華の声がする。


 「ん?」


 「ポテト冷めるよ」


 「え?」


 見ると手に持ったポテトを全然食べていなかった。


 「なに考えてたの?」


 瑠華が不思議そうに聞く。


 亜里沙は慌てて首を振った。


 「別に?」


 そう答えながらポテトを口に運ぶ。


 でも。


 自分が何に引っかかっているのか。


 亜里沙自身、まだよく分かっていなかった。


瑠華が立ち上がる。


 「ゴミ捨ててくるー」


 そう言って教室の後ろへ向かっていった。


 ほんの少しの間だけ。


 亜里沙と蒼真の二人だけになる。


 とはいえ会話をしているわけではない。


 亜里沙はスマホを眺めるふりをしながら、つい視線を蒼真へ向けてしまう。


 蒼真は相変わらずパンを食べていた。


 やがて最後の一口を飲み込むと、ゴミを捨てようと立ち上がる。


 その時だった。


 「あれ?」


 亜里沙が思わず声を漏らす。


 蒼真の指。


 そこから小さく血が滲んでいた。


 手荒れだろうか。


 よく見ると指には細かい傷もある。


 「血出てるよ」


 「え?」


 蒼真が自分の手を見る。


 亜里沙は鞄を開くと、絆創膏ばんそうこうを取り出した。


 「はい」


 蒼真は少し驚いた顔をした。


 けれど素直に受け取る。


 「ありがと」


 そう言いながら器用に絆創膏を貼り始めた。


 その様子を見ながら。


 亜里沙は昨日の夜を思い出す。


 美容室の窓越しに見た姿。


 ウィッグと向き合い続けていた蒼真。


 気づけば口が動いていた。


 「昨日も練習してたよね?」


 蒼真の手が止まる。


 「え?」


 明らかに驚いていた。


 「なんで?」


 「昨日、たまたまお店の前通ったから」


 「あー……」


 蒼真は納得したように頷く。


 そして少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


 「まぁ、うん」


 「してた」


 亜里沙は絆創膏を貼った指を見る。


 「手とか荒れてるけど」


 「つらくないの?」


 蒼真は少し考える。


 けれど答えはすぐに出た。


 「好きだから」


 その言葉はあまりにも自然だった。


 かっこつけるわけでもなく。


 照れるわけでもなく。


 ただ当たり前のことを言うみたいに。


 「辛くないよ」


 蒼真は続ける。


 「好きなことだし」


 「早く上手くなりたいから」


 その顔は昨日見た時と同じだった。


 好きなことを話している時の顔。


 亜里沙は思わず見入ってしまう。


 同じ高校生なのに。


 自分にはそこまで夢中になれるものがあるだろうか。


 蒼真の横顔が少しだけ大人に見えた。


 「……すごいね」


 気づけばそんな言葉が口から漏れていた。



ちょうどその時。


 ゴミを捨てに行っていた瑠華が戻ってきた。


 「ただいまー」


 席へ腰を下ろしながら二人を見る。


 「何話してたの?」


 亜里沙は少しだけ考えて答える。


 「蒼真の指から血出てたから」


 「絆創膏あげてただけ」


 瑠華は一瞬きょとんとした。


 そして。


 にやりと笑う。


 「へぇ~」


 「亜里沙ちゃん優しーのね~」


 明らかにからかっている。


 亜里沙は思わず視線を逸らした。


 「何それ」


 「別に普通じゃん」


 「そうかなぁ~?」


 瑠華はまだ笑っている。


 亜里沙はそれ以上相手にしないように、わざと話題を変えた。


 「ていうか次の授業なんだっけ?」


 「あ、ヤバ。小テストじゃん」


 「マジ?」


 話題はあっという間に別の方向へ流れていく。


 いつもの昼休み。


 いつもの会話。


 だけど。


 亜里沙の胸の奥には、なぜか小さなざわつきだけが残っていた。

読んでいただいてありがとうございます。


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