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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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19話 ブロー

その日の夜。


 亜里沙はベッドの上に寝転びながらスマホを眺めていた。


 画面に映っているのは一枚の写真。


 今日の放課後。


 体育倉庫で蒼真に直してもらった髪型だった。


 本当はお風呂に入る前に崩れるはずだった。


 でも、なんだか名残惜しくて。


 気づけば鏡の前で写真を撮っていた。


 「……何やってんだろ、あたし」


 そう言いながらも、また写真を見る。


 そして今日のことを思い出した。


 体育倉庫。


 蒼真の手。


 髪に触れられた感覚。


 「っ……」


 思い出しただけで顔が熱くなる。


 また頭を触られた。


 サロンでも何度も触られているはずなのに。


 今日は全然違った。


 あの時よりずっと近く感じた。


 なんでだろう。


 なんでこんなにドキドキするんだろう。


 スマホを胸の上に置いて天井を見上げる。


 蒼真以外の男子に褒められても、こんな気持ちにはならない。


 モデルの仕事をしていると、外見を褒められることなんて珍しくもない。


 可愛い。


 綺麗。


 似合ってる。


 そんな言葉は何度も聞いてきた。


 でも。


 蒼真は少し違う。


 あの人は、あたしを見ているというより——。


 髪を見ている。


 今日だってそうだった。


 髪が乱れていたから直した。


 それだけ。


 たぶん本人にとっては、本当にそれだけ。


 「いや……」


 亜里沙は枕を抱きしめる。


 「髪ばっか見てないで、あたしを見ろし……」


 言った瞬間、自分で吹き出した。


 「なにそれ……」


 意味が分からない。


 自分でも笑ってしまう。


 でも。


 笑いながらも。


 もう一度スマホの写真を開いてしまう自分がいた。



翌朝。


 教室へ入った瞬間。


 亜里沙の視線は無意識に教室の奥へ向かう。


 窓際の後ろの席。


 蒼真の席。


 けれど、今日もまだ空いていた。


 「……」


 まだ来てない。


 それを確認すると、なぜか少しだけ肩の力が抜ける。


 自分でも理由は分からない。


 亜里沙は鞄を自分の席へ置くと、そのまま瑠華のところへ向かった。


 「おはよー」


 「おはよ」


 いつものように他愛もない会話が始まる。


 昨日見た動画の話。


 次の休みにどこへ行くか。


 そんな話をしているうちに。


 教室の扉が開いた。


 亜里沙は反射的にそちらを見る。


 蒼真だった。


 少し眠そうな顔。


 少し乱れた前髪。


 いつもの蒼真。


 蒼真は瑠華の隣の席へ向かい、鞄を机の横に掛ける。


 そして椅子へ腰を下ろした。


 そのタイミングで。


 亜里沙は自分でも驚くくらい自然に声をかけた。


 「おはよう」


 蒼真が顔を上げる。


 「昨日ありがとね」


 一瞬だけ蒼真の目が丸くなる。


 けれどすぐに視線を逸らした。


 「……別に」


 それだけだった。


 相変わらず素っ気ない。


 でも。


 それだけで十分だった。


 ここ最近、なかなか話しかけられなかったのに。


 今日は不思議なくらい自然に言葉が出た。


 すると隣で聞いていた瑠華が首を傾げる。


 「ありがとって何?」


 「なんかあったの?」


 その瞬間。


 蒼真の肩がぴくっと揺れた。


 亜里沙は思わず笑いそうになる。


 「昨日の体育の片付け」


 「結構やってもらっちゃったから」


 できるだけ自然に答える。


 瑠華は納得したように頷いた。


 「そっかぁ」


 それ以上は聞いてこない。


 ちょうどその時、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。


 みんなが自分の席へ戻っていく。


 亜里沙も席へ腰を下ろした。


 そしてふと思う。


 本当は違う。


 昨日お礼を言いたかった理由は、片付けじゃない。


 体育倉庫で髪を直してもらったこと。


 あの時のこと。


 それを言いたかった。


 でも言えなかった。


 瑠華にも。


 誰にも。


 あれは今のところ。


 二人しか知らないことだから。


 「……」


 亜里沙の口元が少しだけ緩む。


 慌てて前を向く。


 けれど。


 ホームルームが始まっても、その笑顔はなかなか消えてくれなかった。



次の授業は移動教室だった。


 クラスメイトたちはそれぞれ教科書やノートを持って教室を移動していく。


 亜里沙も瑠華たちと一緒に廊下を歩いていた。


 移動先の教室へ入ると、後ろの席からどんどん埋まっていく。


 「ここ座ろー」


 瑠華が窓際の後ろの席を指差した。


 「いいね」


 亜里沙は頷き、そのまま隣の席へ座る。


 周りにも仲の良いグループが集まり始め、いつものように賑やかな空気ができていた。


 そんな中。


 少し遅れて蒼真が教室へ入ってくる。


 亜里沙は無意識にその姿を目で追っていた。


 蒼真も本当は後ろの席を狙っていたのだろう。


 教室の後方をちらりと見た。


 しかし。


 すでに後ろの席はほとんど埋まっている。


 空いているのは前の方だけだった。


 蒼真は小さくため息をつくと、諦めたように前の方の空席へ腰を下ろした。


 その様子を見ていた亜里沙は思わず笑いそうになる。


 あの人、本当に後ろの席好きなんだな。


 そんなことを思いながら、なんとなく蒼真の後ろ姿を眺めていた。


授業が始まる。


 蒼真は前の方の席に座っている。


 だからだろうか。


 亜里沙の視線の先に、自然と蒼真の姿が入ってしまう。


 別に見ようとしているわけじゃない。


 たぶん。


 きっと。


 授業を受けながら、亜里沙はそんなことを考える。


 すると。


 蒼真が何度か前の席へ視線を向けていることに気づいた。


 ちらり。


 またちらり。


 授業中なのに珍しい。


 先生の話を聞いているようで聞いていない。


 何か気になっているようだった。


 ——どうしたんだろう。


 そんなことを思っているうちに授業終了のチャイムが鳴る。


 前の席の女子たちが立ち上がろうとした、その時だった。


 蒼真が突然声をかけた。


 亜里沙は思わず目を丸くする。


 「え?」


 隣の席にいた瑠華も気づいたらしい。


 「へー」


 「珍しいね」


 「何話してるんだろ」


 亜里沙も前の方へ視線を向ける。


 距離があるので会話までは聞こえない。


 けれど。


 「くせ毛」


 「湿気」


 「ドライヤー」


 そんな単語だけが時々耳に入ってくる。


 ああ。


 髪の話なんだ。


 亜里沙はすぐに分かった。


 蒼真は珍しく身振りまで交えながら話している。


 楽しそうだった。


 女子たちは最初驚いた顔をしていた。


 やがてスマホを取り出し。


 何かを確認し。


 今度は鏡を見始める。


 そして最後には何度も頷いていた。


 「髪の話らしいよ」


 いつの間にか聞き耳を立てていた瑠華が言う。


 「へぇ」


 亜里沙は小さく頷く。


 そしてぼんやりと、その様子を眺めていた。


 普段の教室では見ない蒼真。


 美容室で見た時と同じ顔。


 好きなことを話している時の顔。


 それを見ているのは、自分だけだと思っていた。


 なのに。


 なぜだろう。


 自分しか知らない蒼真を、他の誰かに知られてしまった気がした。

読んでいただいてありがとうございます。



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