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陰の俺と、輝く彼女。リタッチから始まる天使が恋に落ちるまで。  作者: 酒本 ナルシー。
第一章 春

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17話 fragile

冷や汗が止まらないまま、昼休みは終わった。


 午後の授業。


 蒼真は、ほとんど内容を覚えていなかった。


 ただでさえ昨日は寝不足だったのに、

 昼もまったく眠れなかったせいで、意識がずっとふわふわしている。


 黒板の文字が流れていく。


 教師の声も、どこか遠い。


 半分眠ったような状態のまま、

 気づけば放課後になっていた。


 帰る準備をしながら、小さく息を吐く。


 その時。


 「米倉ー」


 突然声をかけられ、蒼真の意識が一気に戻った。


 振り向くと、七宮が立っている。


 「ちょっと聞いていい?」


 「……なに」


 蒼真は少し警戒しながら答える。


 七宮は特に気にした様子もなく、

 軽い調子で言った。


 「今日さ、ありさが付けてたヘアクリップあるじゃん?」


 蒼真の肩がわずかに強張る。


 「……ダッカール?」


 「名前むずっ」


 七宮は笑う。


 「それそれ。あれ、どこに売ってんの?」


 一瞬、蒼真の思考が止まる。


 ——なんでそんなこと聞くんだ。


 昼休みのことが頭をよぎり、

 また変な汗が滲みそうになる。


 だが。


 「……ネット」


 とっさに、それだけ答えた。


 「ネット通販」


 七宮は「あー!」と納得した顔になる。


 「なるほどな! 米倉そういうの詳しそうだもんな!」


 悪気ゼロの笑顔。


 蒼真は曖昧に頷くしかない。


 「ありがとな!」


 七宮は軽く手を上げ、そのまま友達の方へ戻っていった。


 あまりにも一瞬の出来事で、

 蒼真はしばらく呆然としてしまう。


 けれど。


 ふと時計を見た瞬間、我に返った。


 「……やば」


 専門学校。


 急がないと間に合わない。


 蒼真は慌てて鞄を掴むと、

 逃げるみたいに教室を後にした。



◇◆◇



その日の夜。


 亜里沙はベッドの上で足をばたばたさせながら、枕へ顔を埋めていた。


 原因は——ダッカール。


 「うぅ〜……」


 くぐもった声が漏れる。


 今日こそ返そうと思っていた。


 ちゃんとタイミングも考えていたのだ。


 いつもは瑠華の方から自分の席へ来ることが多い。


 だから今日は、自分から瑠華の席へ行った。


 ——蒼真の近くに。


 返すタイミングなんて、いくらでもあったはずだった。


 なのに。


 結局、返せなかった。


 亜里沙は枕から顔を上げ、

 ベッドの上に置いていた水色のダッカールを見る。


 照明の光を受けて、小さく反射していた。


 「……なんで返せなかったんだろ」


 自分でも、よく分からない。


 ただ。


 昼休み。


 七宮に「貸して」と言われた瞬間。


 なぜか、すごく嫌だった。


 貸したくなかった。


 触られたくない、とすら思った。


 ——なんで?


 自分でも意味が分からない。


 返したい。


 でも、返したくない。


 頭の中で、矛盾した気持ちがぐるぐる回る。


 そのまま数秒悩んで。


 亜里沙は勢いよく枕へ顔を埋めた。


 「これじゃ、ただの借りパク女じゃん!」


 さらに足をばたばたさせる。


 「あたしキモっ……!」


 でも。


 そう言ってるわりに、

 亜里沙はそっとダッカールを手に取る。

返さなきゃ。

そう思うのに。

指は、なかなか離れてくれなかった。


翌朝。


 亜里沙は制服へ着替えながら、

 机の上に置いていた水色のダッカールを手に取る。


 「……今日こそ返そ」


 小さく呟き、

 鞄のポケットへそっと挟んだ。


 昨日の夜、あれだけ悩んだのだ。


 さすがに今日は返す。


 そう決めて家を出た。


 通学電車は朝から混み合っていた。


 人が揺れるたび、肩や鞄がぶつかる。


 その時。


 どん、と横から誰かの鞄が当たった。


 ぶつかったのは、ちょうどダッカールを挟んでいた辺り。


 「っ……」


 亜里沙は反射的に鞄へ手を伸ばす。


 視線を落とし、

 すぐにダッカールを確認した。


 ——あった。


 壊れてもいない。


 その瞬間。


 胸の奥から、一気に力が抜ける。


 「……よかった」


 思わず、小さく息が漏れた。


 相手が申し訳なさそうに目を合わせてくる


 「すみません……!」


 亜里沙は慌てて顔を上げた。


 「え、あっ、いえ! こちらこそ……!」


 軽く会釈を返す。


 でも意識は、まだダッカールへ向いたままだった。


 数秒考えて。


 亜里沙はそっとそれを鞄から外す。


 そして、混み合う車内でもぶつからないように、

 自分の髪へ留め直した。


 まるで、大事なものを守るみたいに。


 

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